第39話 翳りの中に彩りが瞬くような

 左右にそびえる小高い島を思わせる山々が、表面の膨らみに樹木を携えて陣取り、間に挟まるのは一面を肌色に飾る砂粒の絨毯じゅうたん。幅数百メートルの絶景スポットに到着し、名前通りの白っぽい砂浜と、寄せては返す長閑のどかなさざ波に目を細めていた。

 渚に満ちた海水は雪のように白く、浅瀬から沖合に遠退くほど濃くなる色調色のトーンは、日本の海とは思えないほど鮮やかなエメラルドグリーン。白浜海岸が名所たる所以ゆえんを、現地に赴いてひしひしと実感している。

 


「3年前に見た沖縄の海より綺麗だな……」


「お、修学旅行? あたしも沖縄だったー」


「俺が行った時は台風が近付いてて、海が少し濁ってたんすよねぇ。愛華さんの時はどうでした?」


「うーん、熱帯魚っぽいのを見た気がするんだけど、あんまり覚えてないんだ〜」



 時間経過で忘却する以前に、当時は最も悲嘆にれていた時期だろう。記憶が曖昧でも仕方がない。

 スカートを抑えながら屈んだ彼女は、手の中に砂を掬い取ると、瞳をキラキラと輝かせる。

 


「ちょー細かくてサラッサラだよー! 海も砂浜も幻想的で、すっごく素敵なとこだねー♪♪」


「そうですね〜。前回はここまで感動しなかったのに、隣にいる人が違えば、こんなにも変わるもんなんだなぁ」


「きっと幸せを感じながら見ると、世界が幸せな色に染まってくんだね♪」


「そうかもしれない……けどまだ足りないな。あなたにとってこれが当たり前になったら、ようやく因縁が断ち切れた証だから」


「蒼葉くん、いなくなったりしないよね?」


「俺はどこにも行かないよ」


「でもさっきの言い方、それで役目が終わりみたいに聞こえたから」


「……考え過ぎだよ。ずっと一緒にいるって約束したでしょ?」


「そう……だよね。変なこと言ってごめんね」

 


 手を繋いでしばらく歩き回り、様々な角度から眺めた風景を、胸の奥深くに刻み込んでいく。写真に収めた彩りよりも、触れ合って伝わる心の色を鮮明に思い出せるように。

 足跡をたどって引き返した石段には、見知らぬ男女カップルが腰掛けていた。自然に談笑する二人を見て、憧れに似た感情が胸を焦がす。今の俺達の関係は、とても歪に結ばれたものだと感じてしまうから。


 ホテルを立ち去る前、愛華さんから貴船の両親について聞かされた。

 旦那の家族とは婚前に打ち解けていたらしく、二つ年下の義妹も含め、本当の家族のように感じてたと言う。むしろ彼らの存在が入籍を後押ししたほどだとか。そこまでは問題ないけど、和春からの仕打ちを、その人達にも隠し続けていたことが、彼女の闇の根深さを物語っていた。

 対立する可能性を考えたのならまだしも、自分らのせいで悲しませたくないという思想は、常識から大幅に外れている。繰り返し否定されてきた経験から、受け入れてもらうことへの拘りが強過ぎて、大事なことを見失ってると思えてならない。

 彼女に告げられる『好き』って言葉が、受け入れてくれたことへの感謝に聞こえてしまい、俺が抱く好意と噛み合ってない気がした。

 


「一人で実家に行くことはやっぱり反対?」


「えぇ。弁護士とも『コンタクトを取れたら報告する』って手筈だったんですよね? いくら向こうに圧力かけたくないからって、嗅ぎ付けた旦那に乱入されたらどうすんですか?」


「危険かもだけど、弁護士さんを連れて話し合いに望むのは、恩を仇で返す気分なの。きっとお義母さん達なら、あたしから真実を伝えるだけでも協力してくれるし」


「向こうの親を味方につけるのはありだと思う。でも難しい上にリスクの大きいやり方だから、それこそ慎重にやってほしい。単独交渉とか無謀だよ」


 

 かれこれ4時間近くこの堂々巡りである。これだけはどうしても譲れないのか、最後はかたくなに口を閉ざしてしまうので、どうしていいのか分からない。

 時間が経つとまた確認してくるのも、そろそろ認めてくれるよね? って期待混じりだろう。さすがにあっさりとは頷けないよ。


 気まずい空気のまま車に戻り、ぬるくなったコーヒーをひと口飲んで頭を鎮める。

 旦那の呪縛が解けないうちは、自責の類いを否定しても逆効果だが、これに関しては彼女の性質による部分が大きい。大切だからと妥協ばかり重ねれば、また自分が苦しむ結末になると気付かせねば、俺の身が持たないんだ。

 泣いてる姿も怯える表情も、できることなら二度とさせたくない。目の前にいなくたって笑っていてほしい。だけどそれは彼女も同じで、大切な人の為なら、意固地になってでも貫こうとする。どうしたら上手く伝わるんだろう。

 ハンドルに額を当ててふさいでると、そっと服を引っ張られた。

 


「ずっとあたしを心配して、悩ませてるよね。キミを困らせたくないのに、家族として最後の相談になるって思うと、どうしても胸がチクチクするの」


「……分からなくもないから悩んでるよ。特に愛華さんにとっては、大きな存在だったんだろうなって。でも俺には、あなたを差し置いて優先できるものなんて、何もないんだよ」


「上手くいけば、みんなの傷が浅く済むよ?」


「そういうことじゃないでしょ。ハッキリ言うけど、あなたを苦しめた旦那はもちろん、その親族だって俺は一切信用できない。全員が悔いて謝罪すべきだと思ってる」


「そんなことされても、嬉しくないよ……」


 

 確かにこの主張には、俺個人の憂さ晴らしが含まれている。しかしこれを被害者本人が俯瞰できてる時点でおかしい。本来であれば、ひと泡吹かせる意気込みでいてもいいのに。

 洗脳下であるが故の彼女の加害者意識は、家族への情けという点でも浮き彫りになっている。一般常識を学び直させるくらいの覚悟はしてたけど、介入の余地すら無いほど強い支配かもしれない。

 車内の蒸し暑い空気が輪をかけて息苦しくさせる中、悶々とした感情は瞬く間に吹き飛ばされていくことになる。


 

「このままだと、蒼葉くんにも見限られちゃうよね……」


「へ? いえ、それはないっすよ。どうしても守りたいから我を通してるんです」


「それを拒絶されて、嫌な気持ちにならない?」


「この程度の衝突で落ち込んでたら、あなたを支えてくのはムリでしょ。何度も喝入れてもらったように、俺も根気よくやりますよ」


「………そっか。うん、決めた! ちゃんと弁護士さんに連絡して、話し合いの日取りを調整する!」


「えっと……さっきまでの駄々っ子はどこ行ったんすか?」


「だってあたしに何かあったら、今度はキミが自分を責めちゃうもん。こんな思い、キミには絶対させたくない。あたしも蒼葉くんだけは守りたいんだよ」

 


 どうやら愛の力は支配にも打ち勝つらしい。なんて安易には考えず、この件は最後まで見届けねばと感じながらも、強気な笑顔に惚れ惚れしていた。

 

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