第34話 手探りだって信じていける(1)
「あっ、あれだよ! 駐車場の広いおっきなビル!」
「実際に見ると結構豪華っすね〜。素泊まり以外ではそこそこ値が張るんでしたっけ?」
「実はちょっと良いとこ選んじゃったの。あたしが多めに持つから許して?♡」
「全然構いませんよ。魅力的なオプションでもあったんでしょ?」
「うん♪ 近い所だとここだけなの!」
時刻は18時前。海岸沿いを走り続け、熱海市内に入って少し内陸に向かうと、目的のホテルはすぐに現れた。愛華さんがネットで調べ、二つ返事で承諾したものの、想像以上に高級感がある。隣の人の浮かれ具合も、過去最高かもしれない。
車を停めて荷物を肩に
「おぉ〜、涼しげな和室でいいっすねー♪」
「畳の部屋っていいよねー♪♪ あたしホントはベッドよりも、畳にお布団派なんだ〜」
「めっちゃ分かります! 手足がはみ出すくらい大の字で寝るのがサイコー!」
「そーそー♪ 子供の頃なんて、ほとんど裸で畳の上を転がってたー!」
「えぇー……それは分かんない」
「ちょっ、わざとじゃないよ!? 寝てる間に脱いじゃって、そのまま寝返りして——」
「なーんてね。愛華さんの癖だろうなって気付いてますよ♪」
「むぅーーっ! それイジワルじゃんさー!」
「いつものお返しでーす。それより真ん前の障子、ずいぶんデカいっすね」
「あっ、そこがあたしの一番の目的だったの☆」
「ここ、露天風呂付きの部屋っすか!?」
「うん♪ これなら一緒に入れるよね♡♡」
「いやいやいや、厳しいって! 何度も言いますけど俺ドーテー! 刺激が強過ぎるんすよ!」
「みんな初めは童貞か処女だよ?」
「えーえー、キョトン顔で正論述べてくれますねぇ。ただこういうのは順を追ってですね——」
「他のことはほとんど全部やったよね?」
「………確かに。でも勘弁してくださいよぉ、心の準備がぁ……てか恥ずかしぃ」
「子供を産ませてくれるって言ったのは嘘だったんだぁ!!」
途端に両手で顔を隠し、崩れるようにへたり込んでしまう愛華さん。ドキッとした俺は慌てて隣に膝をつき、背中を摩りつつ躍起になって弁明する。
「えぇっ、いや、それは違う! 本気!! 本気っすから!!」
「な〜〜んちゃって♡」
「んもぉ〜、ガチでやめてぇ。今のあなたはいつ泣き出すか分っかんないから、冗談にならないっすよー」
「あははっ、お返しのお返し♡ でも蒼葉くんと一緒に入りたいのは本当だよ。何もしないし、タオル巻いたままでいいからさ、大きいお風呂にゆっくり浸かろうよ♪」
濁りの無い眼差しで言われては、ゴネる気力も失せてしまう。タオルがあるなら理性も保てるだろう、たぶん。ため息混じりに頷けば、全身で喜びを表現する年上女性を前にして、自分の薄汚れた煩悩が虚しくなった。
スマホを手にした愛華さんは、予定通り浅間さんにメッセを入れる。直後に返信が来て通話を始め、俺はできる限り部屋の隅に離れて、会話を意識しないようにした。彼女が浅間さんを頼りたがらない理由は不明だが、結局その話題の間は神妙さを崩さなかったのだ。
室内に響く声は徐々に緊張感を増していき、10分くらい経って俺にも呼び出しがかかる。
「蒼葉くん、美里ちゃんが三人で話そって」
「分かりました。スピーカーにしてもらえます?」
「あ、ビデオ通話がいいみたい」
小型のスタンドをテーブルに置くと、愛華さんのスマホ越しに浅間さんの顔が映る。
なんでわざわざビデオ通話なんだろう。旅行気分を味わいたかったのかな。
ふとした疑問を察知したのか、茶化すような言葉が聞こえてきた。
「蒼ちゃ〜ん? 恋人と遊ぶ為に連休取るなんて、キミも大胆になったもんだねぇ〜♪」
「えっと、あの……お土産買ってくから許して」
「別に責めたりしないよー。それよりさ、病院も行ってないんだって?」
「うん。痛みはほとんど無いって、本人が言ってるから」
「いやそーじゃなくてさ、DVの証拠なら診断書が有効なんだよ? 慰謝料に関わってくるんだから、先に書いてもらわなきゃ!」
隣にいる愛華さんが、眉を八の字に落としている。電話中に声のトーンが暗くなってたのは、この辺りに言及されたからだろう。
画面の向こうで不服そうにするバイト仲間に、俺達二人の現段階での結論を、なるべく穏便に伝えた。
「浅間さんが親身になってくれるのはすごく嬉しい。けど最優先は一刻も早く旦那から離れることと、愛華さんの精神面のケアなんだ。離婚さえ成立すれば、それ以外は特に求めてないよ」
「待ってなにそれ、どゆこと? 蒼ちゃんに聞いた話だけでも、めっちゃエグい仕打ちだったよ? もっと
「その見解は
「だから財産分与に慰謝料上乗せさせて、新生活の足しにすればいいじゃん!」
「相手を恨めるならそれでよかった。でも彼女にとっては勝ち取った金銭でさえ、罪の意識を強めてしまう負債になる。ずっと自分が悪いって思い込まされて、今も苦しんでるんだから」
「んーー……愛華さんは相手を憎んでないの?」
「……うん。あの人のことは怖いし、酷いこといっぱいされてたけど、二度目の流産をするまでは本当に支えられてたんだ。希望も見えてたのに、あたしが失敗したかなぁって」
横でしんみりと語られても、決して肯定はしたくない。けれども昨晩から話し合って気付いたのは、愛華さんの自責の念は本心から溢れてるということ。
絶望の縁でも彼女が壊れずにいられた要因に、『自分のせいで狂わせてしまった』と一心不乱に盲信してた影響がある。悲劇に呑まれていれば、恐らく彼女まで狂ってしまったか、或いは耐え続ける精神力が残らなかった。
例え旦那が悪だと認識しても、自分が完全な被害者ってとこには直結しない。そうやって苦痛を受け入れて踏みとどまった彼女を、やるせないからと否定なんてできなかった。
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