第33話 切なる願いを追う限り(2)


「なーるほどねぇ〜。旦那さん、かなりヤバみだわー。私んとこに愛華さん泊めんのは、全然おっけーだよー」


「ありがとう、ガチで助かるよ。このあと本人にも相談するけど、早ければ明後日からになるから、決まり次第また連絡する」


「ほいほーい。あそーだ、ついでに蒼ちゃんも来たっていいけど、布団は無いから持参でよろ〜」


「うん、分かった」

 


 浅間さんに粗方あらかたの事情を説明し、愛華さんの一時的な避難場所は確保できた。相手側も弁護士を雇った場合、ずっとうちでかくまえば優位性が削られる。そもそも安アパートではセキュリティ面が心許こころもとない。でもこれで離婚成立までなんとか凌ぎ、金輪際こんりんざい一対一で会わせなければ、最悪の事態はまぬがれるはず。

 意気揚々と車に戻った俺は、助手席でスプーンを咥える彼女を目にして、一気に血の気が引いてしまう。

 


「アイズ溶げぢゃうよぉ〜?」


「えっ、あの、なんでボロ泣きしてんすか!?」


「だっでぇ、蒼葉ぐん見えないどご行っぢゃうじ、ギー車のキー無いがら離れられないじ、置いでがれだらどーじよっで怖がったのぉお」


「……マジか」

 


 子供だ。今年25歳になる美人お姉さんが、瞼や口元をピクピクさせて幼女みたいに泣いている。反抗期前くらいに若返ったのかな。

 正直姿にも惹かれるけど、ここまで弱ってるとなれば、何がキッカケで底まで堕ちてしまうかも予測できない。

 そっと抱き寄せて落ち着かせた。

 


「俺が愛華さんを置いてくわけないでしょ。そんなに信用できませんか?」


「ううん、信じてるぅ。蒼葉くんのことは信じてるけど、見えなくなったら不安なの。お母さんみたいに、何か起きてからじゃ遅いんだもん……」


「そっか、隠れるようなことをしてごめん。相談事がまとまってから伝えたかったんだ」


「……相談? 誰と、なんの?」


「車返すの明後日なんで、その前に愛華さんの私物を、できる限り貴船家から運び出しますよ。そしたらしばらく浅間さんの部屋に泊めてもらうんです」

 


 急に冷静さを取り戻した彼女は、表情まで変わっていく。どうやら目的も察したらしく、考え込む素振りを見せた。

 そして口を開いた途端、否定的な意見を呟き始める。

 


「やめとこうよ。美里ちゃんにも迷惑だし、巻き込めないよ」


「でも他に頼れる人いるんですか? こっちに引っ越してから、バイト以外で人との関わりがほとんどなかったって、だいぶ前に言ってましたよね?」


「多少は貯金があるから、危なくなったらホテル暮らしに切り替えるよ」


「それこそダメですよ。今のあなたを独りになんてできませんし、危険人物と二人にもできません」


「でも……美里ちゃんにこんなこと頼むなんて、さすがに申し訳ないよ」


「そこの浜辺で話しましょっか。潮風に当たって羽を伸ばしながら、頭もスッキリさせましょう」

 


 コンビニから道路を渡れば、すぐ目の前が海。交渉が長引きそうなので、せっかくなら良い景色を眺めた方が、気分も安定するだろう。そんな思いで提案すると、彼女は黙って首を縦に振った。

 だいぶ柔らかくなったアイスを手に持ち、もう片方の手を彼女に差し伸べる。絡まった指先にはしっかり力が込められており、ワガママを言いたいだけではないのだと伝わった。

 砂浜に続く階段を降りていく途中、寄せる波と煌めく光の粒が息を呑むほどに美事みごとで、二人の足は自然とタイミングを測ったように停止した。

 


「すっごいねー! 神奈川の海って、こんなに綺麗だったんだ!」


「そうですね。今日は人が少ないからか、一段と壮大に見えます」


「あたしさ、蒼葉くんと一緒にもっと色んなものが見たい。キミと二人なら、素直な気持ちで感動できるんだ」


「俺も同じですよ。愛華さんとだから特別に感じます」


「うん。キミだけは誰にも譲れないんだよ、絶対に。それを解ってて承諾しちゃう美里ちゃんを、無闇に傷つけるのもイヤなんだよ……」


「ん? なぜそこで浅間さんの名前が??」


「……あとであたしからも電話させて。場合によっては三人で話し合いになるかも」


「了解です。最終的にはあなたの意思が重要なんで、納得いくまで話しましょう」

 


 俺の返事を聞いた愛華さんはニコッと微笑み、石の階段にハンカチを敷いて座り込む。同様の手順で隣に腰を下ろすと、風になびく繊細な髪が頬をくすぐり、肩に頭が乗せられた。

 先程から食べてたアイスは半分以上が液化してしまい、最早ただのバニラシェイク。カップに口を付けて流し込んだところ、唇の端に垂れてしまい、気付いた彼女にペロッと舐め取られる。慌てて左を向いてみれば、物欲しそうな眼差しを浴びてるではないか。

 


「う、上目遣いが得意っすよね」


「ちゅーしたい♪」


「はぁ、誰も見てなさそうなんでいいっすけど」


「して♡」


「ここで俺から!?」


 

 目を瞑って待ち構えられては、放っておくわけにもいかない。周囲をキョロキョロ警戒し、軽く触れる程度のキスをした。昨晩何度もこの感触を味わってるのに、一向に慣れる気配が無い。

 日光と恥じらいでじんわり体が暑くなる中、いきなり首に腕を回され、半ば強引に唇を奪われる。とは言え内心では歓喜しており、俺からのとは違った濃密さに、身を預けて浸っていた。

 顔を離した彼女は再び寄り添い、穏やかな声を出す。

 


「勇気出してホントに良かった」


「人前じゃなければもっと気軽にできますって」


「キスじゃなくて、初めてキミに手料理を渡した日のこと」


「あー、確か肉じゃがでしたよね。サラッと手渡された印象なんですけど」


「結構ドキドキしてたんだよー? お節介だって引かれたらどうしよう。手作りが苦手だったりしないかな? って色々考えたけど、それでもキミに近付きたかったから」


「そうだったんすね。翌日には自宅に呼ばれたんで、大胆な人だな〜って思ってました」


「あははっ、そーなるよね! 蒼葉くんは想像以上に理想的な人だったよ。普通こんなに話聞いたり、一緒に悩んでくれたりしないって」


「さっきの件だったら、俺がしたのはあくまで手助けなんで、受け入れるかどうかはあなた次第でいいと思いますよ」


「二人の思いやりは伝わってる。反対するなんて図々しいから、怒られても仕方ないって思ってたの。だけどキミは理由も聞かずに譲ってくれるんだもん。こんな人、他にいないよ?」


「そんなもんすか? 俺バカなんで、何が本当に正しいのかは分かりません。でも間違ってることなら解るから、それを止めたくて動くだけっすよ」


 

 さざ波の音よりも優しく左手を包んだのは、彼女からの返答だと受け取れる一回り小さな手。悠然と伸びる二つの影も、絆を求めて重なり合っていた。

 

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