第31話 この胸に刻まれているから(2)


「明月家の墓……ここに愛華さんのお母さんが……」


「そう。おじいちゃんとおばあちゃんも一緒に眠ってる」


「いくつだったんですか?」


「享年は46歳。まだ若かったよ」

 


 手を引かれてたどり着いたお墓は、周りに比べて新しいのか、艶やかに見えた。花を供える愛華さんは意外と冷静で、逆に心配になってくる。8年以上経ってるとは言え、それまで二人きりで生きてきたことを考慮すれば、深い悲しみは簡単に消えたりしないだろう。

 墓石を磨き終えて、雑草の駆除を手伝ってる頃、しゃがんでじっと一点を見つめ続ける彼女に気付いた。物憂げで切ない、今にも壊れてしまいそうな表情に、心臓をえぐられるような感覚を覚える。次の瞬間、下を向いた彼女の頬を雫が伝い、地面に吸い寄せられていった。

 


「お母さん………もう、大丈夫だから……私、ちゃんと夢、叶えるから………また、笑顔で見守ってて……くれる……よね?」

 


 震える声を必死で絞る姿は、確認と言うより懺悔のように映った。縮こまった肩が弱々しいのに、握られた拳が強い意志を感じさせる。

 彼女ほど過酷な運命を背負った人なんて、現実では会ったことがない。立ち向かいながらも笑って見せて、ちっぽけな痛みにも寄り添ってくれる人だからこそ、物語よりも美しく咲くのだろう。

 音を立てずにしゃがみ込み、隣に伸ばした手で背中をさすった。

 


「昨日から泣いてばっかでごめんね……。ここに来ると、やっぱり我慢できないや……」


「謝る理由なんて一つも無いですよ。俺はあなたをもっと理解して、支えになりたいんです」


「……また、会いたいよ」


「そうですよね。溜め込んできたものを全部吐いちゃえば、多少はラクになりますよ」


「……お母さんにまた会いたい!! 私もお母さんみたいな強くて優しい母親になりたい!! でも守ってほしいときだってあるの! 独りになるのはもう嫌なの! 蒼葉くんと……ずっと一緒にいたいよ」


「俺は愛華さんを裏切らない。死ぬまで守り通すから、いつかあなたも母親になれる。そのとき鏡を覗けば、憧れの人が映ってると思いますよ」


「あたしも、お母さんみたいになれるかな?」


「きっとなれますよ。だって、ホクロまで遺伝した似たもの親子なんだから」


「………じゃあ、蒼葉くんを信じるね」


 

 涙を指で拭った彼女は、しばらくの間お袋さんに語りかけていた。


 バイトが楽しくて充実してること。

 夫である和春かずはると離婚すること。

 そして、人生で最も大切だと想える人に巡り逢えたこと。


 そばで聞いてるだけで照れくさくなったが、嬉しそうに話す横顔があまりにも可愛らしくて、まばたきを忘れるほど見蕩みとれていた俺である。

 一通り伝えて満足した彼女に呼ばれ、線香をあげさせてもらった。

 白檀びゃくだんの華やかな香りに包まれながら、自分なりの決意を胸の奥で誓う。たったそれだけでも緊張感があり、呼吸を整えつつ瞼を開くと、横にいる人が何やら腕の中に抱えている。古いノートだろうか。

 真正面にそれを差し出されて、軽めに首を傾けた。

 


「レシピノート? この年季の入り方、お母さんの手書きですか?」


「うん。って、入院中に書いてくれたの。料理が上手くなるコツがたくさん載ってて、これのおかげでキミと結ばれたんだよ♡」


「キューピットがお義母さんだったとは……本当に娘想いの方なんですね」


「自慢の母だもん♪ 会社で色んな人と関係持っちゃって、父親は分からないままだけど、お母さんも探せない理由があったと思うの」


「でしょうね。愛華さんを見てるとそう感じます。親族には理解されそうなもんですけどね」


「祖父母との関係は悪くなかったよ。でも兄嫁に当たる伯母さんから一方的に嫌われてて、あたしも関わりを減らしてたんだ〜」


 

 どうやらこの件は気にしてないらしく、声のトーンがあっけらかんとしている。そう思ってた矢先、綺麗な笑顔のまま再び涙が零れ始め、色を確かめるように問いかけた。


 

「複雑な心境ってところですか?」


「大事なことは、必ずお母さんに報告するの。その度に思い出して、返事が無いのが寂しくて、いつまで経っても慣れないんだ」


「訣別することに慣れるなんて、それこそ寂しいと思いますよ」


「そうだよね。幽霊でもいいから会いに来てほしいって、本気で願っちゃうんだよ……」


 

 ハンカチで目元を拭き、愛華さんが語ってくれた昔話は、非常に痛ましいものだった。


 彼女がまだ高1で梅雨が明けたばかりの頃、いつも通りに家を出て授業を受けていると、昼前に物々しい雰囲気の教師に呼び出された。廊下で聞かされた内容は、仕事中に母親が吐血して倒れ、病院に搬送されたというもの。

 慌てて駆け付けた時には検査が終了しており、医師からは進行した膵臓癌すいぞうがんだと告げられる。すでに十二指腸まで転移してしまい、手術での切除は不可能な状態で、痛みを緩和する為に麻酔で眠らされていた。

 それから半年の余命宣告はくつがえしたものの、翌年の2月末に他界してしまったという、悲し過ぎる結末である。

 


「朝は普通で一緒にご飯も食べてたの。だけどあれがお母さんと家で食べた、最後のご飯だった。帰ってくるって信じたくて、8ヶ月近く独りで自宅に暮らしてさ、お母さんも激痛に耐えてるんだから、居場所は自分で守らなきゃって……」


「……これまでの愛華さんの言動、全てそこに繋がってたんですね」


「不思議だったよ。世界そのものだったお母さんを失って、誰にも埋められない隙間がいっぱいあったのに、キミだけはどんどん埋めてくれるの。してほしいことや言ってほしい言葉を、頼まなくても与えてくれる、唯一無二の存在がキミなんだ」


「まだ足りませんよ。俺ができたのは救助だけで、あなたはこんなにも大怪我したままじゃないですか!」


「……これは違うよ。許せないんだよ、自分が」


「なんで? 愛華さんは何も悪いことしてないでしょ?」


「一緒にいたのに気付けなかった。倒れる前も痛みはあったはずだって、担当医が言ってたの。お母さんに無理させたのはあたしなんだよ!」


 

 祈るような表情でしがみついてきた彼女は、泣き叫びながら自分を責めた。この場所に来て最初の発言が懺悔に思えたのは、本当に許しを乞う為だったからだろう。

 いくら向き合っても、彼女の根底に届く気がしない。優しいとか愛情深いなんてきたりな表現では、むしろ誤解が生まれる。そのぐらい彼女を形作る性質や境遇は難しく、無力感に苛まれた。

 だがこの程度で諦めたくはない。愛華さんの真の笑顔を拝む為ならば、天国でも地獄でも喜んで駆けずり回ってやるぞ。

 

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