第30話 この胸に刻まれているから(1)
「じゃー終わったら連絡するね!」
「はい。必要があればすぐ駆けつけるんで、遠慮なく呼んでください」
「もぉ〜、キミは過保護だなぁー♪」
昨晩我が家で過ごした愛華さんと、一駅先の弁護士事務所にやって来ている。近隣では離婚に強いと評判らしく、すでに彼女は場所までリサーチ済みだった。ただ他の男を連れて相談するのはデメリットもある気がして、中へは本人だけで向かい、俺は周辺で時間を潰す
落ち着いて本を読む気分にはならず、コーヒーを啜りながらネットサーフィンに
「運転されるのは石切蒼葉様と、貴船愛華様でお間違いないでしょうか?」
「はい、その二名でお願いします」
「かしこまりました。ではご案内いたします」
注文通りのコンパクトカーが用意されていて、最終確認と支払いもすんなり完了した。
車の運転はおよそ3ヶ月ぶり。シートやミラーの位置を入念に確認して、手順通りにエンジンをかけると、説明以上に乗り心地は良好。
近場の広い道路で肩慣らしをしてる最中、スマホと接続されたナビの画面に着信表示が出た。相手はもちろん愛華さんである。ハンドルを握ったままスピーカー越しに通話を始め、詳しいアドバイスをもらえたことに満足してる様子が窺えた。
10分程で待ち合わせ場所の手前まで来ると、やる気に満ちた笑顔で手を振る彼女が映り、思わず微笑んでしまう。
「お待たせしました。良い弁護士だったみたいですね」
「うん! 先生の話だと、この内容で証拠も充分だから、協議離婚で詰めていけそうだってー♪」
「代理交渉してもらう感じですか?」
「最終的にはそうするつもりだけど、まだできそうなことがあるんだ♪ とりま国道出ちゃって、そしたら運転代わるねー」
「了解っす!」
上機嫌な彼女を助手席に乗せ、目的地付近へと繋がる
交代の為に立ち寄ったコンビニで、意を決して尋ねてみた。
「愛華さん、そろそろ行き先を知りたいんですが……」
「んーとねぇ、お母さんのとこだよ☆」
「はいっ!? 実家ってことっすか!?」
「あ〜、ちょーっと違うんだけど、詳しくは車乗りながらでもいい?」
「は、はぁ……分かりました」
飲み物を片手に告げた彼女は、苦笑いに変わっていた。さっきまで屈託のない笑顔だったのに、声も表情もどこか気まずそう。母親に会うだなんて想像もしてなかったけど、何かしらの事情があることは間違いない。
慣れた手つきで運転席を調整し、車を走らせる横顔には、それなりに余裕がある。間もなくして彼女から出た言葉は、不可解な疑問をより一層膨らませた。
「その位置からだと、あたしの泣きぼくろがよく見えるでしょ?」
「あ、はい。ちょうど目尻の端っこで、とても魅力的ですよね」
「ありがと♡ でもね、左の目尻にある女性って恋愛運悪いらしくて、ダメンズを引き寄せやすいんだってー」
「ぶふぉっ!! そ、それって遠回しにダメ男だと宣告されてます?」
「違う違う、
「そう言えばシングルでしたっけ。早いうちに離婚を?」
「と言うより、あたしの母は結婚したことがないの。親にもお兄さんにも相手を伝えずに、一人で産んで女手一つで育ててくれたから」
察するに、父親側に大きな問題でもあったのだろう。占いの
そして進路は木々が生い茂る山道に突入し、雲まで被さって不穏な空気に呑まれていく。薄暗い道半ばで目に付いた看板が、嫌な予感を過ぎらせた。
「霊園……? って、まさか……」
「うん。あたしが高2になる前に、癌でね」
「そうだったんですか………。その後は誰が親代わりを?」
「祖父母も亡くなってたから、伯父さん
「でもさっきの話だと、従姉妹や伯父夫婦と仲良さそうには思えなかったんですが……」
「お母さんを悪く言われるのは悲しかったけど、他に頼れる人がいなくてね。だから卒業と同時に、当時の彼氏との同棲を選んだんだ」
それ以上は言葉が出なかった。愛華さんにとって家族がどれだけ大切かを思い知り、貴船として耐えてきた意味も重量を増す。別れた際に頼れる肉親がいないなんて、恐怖も心細さも生半可ではないだろう。いっその事、痛みを受け入れた方がマシだったのかもしれない。
手前の店で線香などを買い、霊園内の駐車場で降りた直後、泣き出しそうな空に心まで沈んでしまう。蒸し暑さに顔を
「お母さんに報告させて。今度こそ自分に素直になるから、あたしが幸せにしたい人を連れてきたから、もう心配しないで——って」
自然と目頭が熱くなり、視界がぼやけて前が見えなくなる。もう一度上を向いて目を擦ってたら、耳や首まで涙が流れて止まらなかった。
愛華さんさえ報われてくれればそれでいい。そう思ってたはずなのに、彼女は俺の幸福を一番に願ってくれている。誰よりも大切な人の前で、すでに報われてるかのように宣言しようとしている。こんなに強く想われたら、感情を抑えられるわけがない。彼女の心を再確認した俺は、情けなく上ずった声で応えた。
「ありがとう愛華さん。俺も同じ気持ちなんで、絶対二人で幸せになりましょう!」
「うん♡ あたしには蒼葉くんが必要だし、蒼葉くんもあたしにゾッコンみたいだから、二人で幸せになる未来しか残ってないね♪」
「なんであなたはそんなにも……健気なんすかぁ……! もーやだ、片時も離れたくない!」
「ずっと離さなくていいよ。あたしもキミを離さないし、何があっても離れないから」
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