第29話 求めたものは以前よりも確実に


「こういう時はガチで頼りになるなぁ」


「ん? なにかあったの?」


「寒川さんから個人メッセが届きました。浅間さんに先日の事情を聞いたらしく、明日のシフト代わってくれるそうです」


「あたしには美里ちゃんから応援がきたよー。まだ何も伝えてないのにね」


 

 俺の三連休はあっさりと決まり、初日は愛華さんと弁護士事務所に行くことにした。録音内容が証拠になると判断されれば、離婚を拒否する旦那も言い逃れできなくはず。終わり次第、レンタカーを使って遠出するつもりである。

 しばらく険悪な状態にあった寒川さんとも和解できて、順調な滑り出しを実感した。

 


「なんだかんだ俺達って恵まれてますよね。こんなに良い人達と働けてるんですから」


「キミがみんなに影響を与えたんだと思うよ。職場の雰囲気もキミが作ってるもん」


「似たようなことを諏訪さんにも言われたんすけど、俺なんもしてないっすよ?」


「そのうち気付けるよ。石切蒼葉って男の子が、周りにとってどういう存在なのかにね」


「うーむ……?」


 

 首を捻ってる俺の肩に、もたれ掛かる愛華さん。ようやく悪夢から覚めたような安堵した表情で、心からの喜びに満ちていく。これで離婚が成立すれば、障害なんて無くなったも同然。初めは近所での人目が気になるとしても、じきに笑い話として流せるだろう。

 のんびりした空気に浸ってると、少しだけ彼女の声に力が入った。

 


「蒼葉くん、離婚の相談が終わったら行きたい所があるんだけど、ついて来てくれる?」


「もちろんです。どこに行きたいんすか?」


「道は知ってるから、あたしが運転してくよ。ギリギリまではお楽しみってことで」


「分かりました。では愛華さんに任せますね」


「ありがと。日付も変わっちゃったし、そろそろお風呂入って寝よっか」


「そうしますかー」


 

 沸かしっぱなしだった風呂に先に入ってもらい、その間に車の予約と簡単な片付けを済ませた。

 彼女の後に使った浴室は、普段とは少し違った匂いが溶けている。トリートメントやマッサージオイルなど、色々持参してたからだろう。

 日頃の手入れも怠らない女子力に感心してると、扉の前に座り込む人影に気がついた。さすがに開放するのは厳しいので、ドア越しに声をかける。


 

「心細かったんですか?」


「うん……急かさないから、ここにいてもいい?」


「ずいぶん甘えん坊になっちゃいましたね」


「だって、蒼葉くんが甘やかしてくれるんだもん……」


「そりゃ甘やかしますよ。明るくても沈んでても、俺が好きな人には変わりありませんから」


「……すぐに元気になるから、もう少しだけ寄り掛からせて」


「焦らなくていいですよ。先は長いんだし、きっとまた傷つくことだってあります。毎回お手軽に治してたら傷痕が増える一方なんで、じっくり癒しましょうよ」


 

 曇りガラスの向こう側で、小さな背中がより一層こじんまりと丸くなる。それと同時に唸るような声が聞こえてきて、居ても立ってもいられず湯船を上がり、全身の水気を拭いた。

 腰にタオルを巻いた姿では些か恥ずかしい。けれど羞恥心よりも、今はただそばにいてあげたい。そんな思いで扉を開くと、愛華さんは驚いた様子で振り返った。


 

「も、もういいの?」


「全身バッチリ洗ったんで問題ないっす!」


「ごめん、結局急かしちゃった……」


「何言ってんすか。早く愛華さんと添い寝したくて、辛抱できなかっただけっすよ」


「キミはいつもそうやって……本心みたいに気遣ってくれるよね」


「それは気遣いじゃなくて本音って言うんすよ。もちろん出てきた理由も本音で、子供みたいに感情を見せる愛華さんも、堪らなく可愛い!」


「………もう、どうすればいいのさぁ」


「何がっすか?」


「キミって存在そのものが愛おしくて、こんな気持ちになるのも初めてで、どー伝えればいいのか分かんないの!」


「今のでだいぶ伝わりましたよ」

 


 髪を乾かして寝巻きを着た俺は、愛華さんと一緒にベッドで横になった。浅間さんの時とは別種の緊張感があるものの、それ以上の幸福感と安心感に満たされている。今夜は何も行動を起こすつもりはない。そういう雰囲気ではない上、今はまだ人妻だという認識が強くて気乗りしない。彼女も似たような気持ちなのか、腕の中でしおらしく包まれていた。

 向かい合わせで抱擁し、脚まで絡んだような体勢であるにも関わらず、不思議と心は落ち着いている。旦那に受けた散々な仕打ちが、俺の脳内にもこびり付いてるのだろう。もっと頼ってほしい思いで小さな背中を引き寄せると、穏やかな声色で囁かれた。

 


「あたしね、眠ってる時の癖が出たの、すごく久しぶりだったんだ〜」


「服を脱いじゃうやつですか?」


「うん、3年ぶりとかだよ。蒼葉くんのおかげで、やっと熟睡できたの」


「酔ってたからってオチじゃないっすよね?」


「違うよ。あたし一人っ子で母子家庭だったからさ、いつもお母さんを独り占めしてたの。その頃は毎朝下着だけになってたのに、独りか他の人と寝るとちゃんと着てて、自分でも変化にビックリしてた」


「つまりお母さんに近いレベルで、気を許してくれてたんですね」


「キミはそれだけ大切にしてくれる人だって感じたの。後戻りできなくなるって気付いて、横浜行った時なんか、ホントは最後の思い出作りの予定だったんだから」


「それで情緒不安定っぽく見えたのかぁ」


「一緒にいたらやっぱり楽しくて、キミも色んな表情を見せてくれるから、気持ちがいっぱいになって止まらなかったんだよ……」


 

 窓から差し込んだ街灯に染まる、薄暗い部屋の中でも、愛華さんの寂しげな表情が手に取るように解る。たぶん瞳は潤んでるのだろう。ずっと助けてほしくて、だけど困らせたくなくて、相反する想いを笑って吹き飛ばしてたところが、いかにも忍耐強い彼女らしい。

 信頼して打ち明けてくれたことが何よりも嬉しく、拠り所に選んでもらえたのは誇らしく思う。そんな胸の高鳴りが自然と身体を動かし、初めて自分から愛華さんに口付けした。

 


「もう少ししたら、ずっと一緒にいられます。我慢も遠慮も要らなくなるんで、最後の仕上げまでは後腐れないように済ませましょう」


「………頑張るから、もう一回して」


「本当に甘えん坊になりましたね。愛華さんの本質なのかな?」


「そうだよ。甘えるのも甘やかすのも、ホントは大好きなの。あたしは道具なんかじゃないから」


「ちょ、キュン死しそうなんで、程々でお願いします!」


「蒼葉くんがもっかいキスしてくれたら考える♡」

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