第21話 歩んだ分だけ先が長く感じてしまう

 今日からいよいよ8月。学生時代は最ものびのびできた時期なのに、今の俺には通勤が億劫なだけである。晴れていればチャリンコで汗ばむし、雨なら最寄り駅より遠い距離を、靴を濡らして歩かねばならない。かと言ってバイト先を選んだ時も色々理由があった上に、今となってはここ以外考えられないのだ。

 一週間早番シフトに入り、この日は久しぶりの遅番。よりによってなぜ今日なのかと店長に文句を言いたいが、遅番が足りてないので仕方がない。13時から15時までのたった2時間しかこの人と被らないなんて、あまりに寂し過ぎる。

 


「そんなにどんよりしないで。あとで顔見に来るからさ」


「いえ、夕勤には橘さんがいるんで、やめといた方がいいです。貴船さんも気まずいでしょ?」


「んー、でも……」


「大丈夫! もうすぐ寒川さんも来るし、楽しくやりますって」


「そだね。頑張れー石切くん♪」


 

 愛華さんにはあれ以来、夕飯を二回ご馳走になった。その他は勤務中に顔を合わせるだけで、プライベートでは関わっていない。週に二度も家に行ってれば、充分親しい仲なんだろうけど。

 あっという間に15時を回り、泣く泣く彼女に別れを告げた。それと同時に鋭い視線が突き刺さり、思わず瞼を塞ぎたくなる。


 

「石切くーん? 僕が何を言いたいか分かるよね?」


「ハハハ……気のせいじゃないっすか?」


「へぇ〜。内容も告げずに否定から入るなんて、心当たりにでもあるのかな?」


「や、やましさなんて……! ただ俺が憧れちゃってるだけっすよ」


「まぁ、何度か忠告はしたからね? 聞いた上で君達がどうしようと、僕の知ったことじゃないから」


「そうですよね。自分で決めないと……」


「やっぱりやましいことしてんじゃんさー」


「はぁあ!? 引っ掛けっすか!?」


 

 基本的に淡白な性格の寒川さんでも、この件には口を酸っぱくする。愛華さんに気があるのではと勘繰ってしまうレベルだけど、たぶん俺をすごく心配してくれてるんだろう。

 店長の目もあるので業務に立ち返ると、しばらくして今度は意外な質問を投げられた。

 


「それよりさ、石切くん的に、橘さんとヨリを戻す気はないの?」


「なんすか藪から棒に? やめとけって言ってたの寒川さんっすよ?」


「前はそう思ってたけど、最近のあの子はだいぶ変わったよ。バイトに対する姿勢もそうだし、ニコニコして取り繕ったりしなくなったんだよね」


 

 俺としては、ぶりっ子感が弱まったなぁ程度の印象だったが、寒川さんはもっと変化を感じてるらしい。どれだけ人を観察してるのか考えると、少し背筋がゾワッとしてしまう。

 続けられた話は腑に落ちず、首を傾げてしまった。


 

「石切くんにフラれたのがキッカケだろうね。君は良くも悪くも、他人に影響を与えやすいんだろう」


「俺が影響を与える? こんな中身も取り柄も無い人間が?」


「まぁ本人には分からないんじゃない? バカ正直だとか懐が深いとか、寄りかかりやすいタイプだと思うよ」


 

 二股だーって騒いでた俺が、懐が深いなんて言えるのだろうか。

 寒川さんの見立てに疑問を抱いてると、話題に上がってた橘さんが入店してくる。いつにも増して晴れやかな挨拶に、少し謙虚な心が映されてる気がした。

 出勤時間になって売り場に出てきた彼女は、確かに以前とは違う雰囲気。被ってる皮が尾を振る小型犬から、己の意志で進む猫になったような差だろうか。

 ピーク過ぎまで仕事に集中し、休憩を回し始めた後、彼女の方から声をかけてきた。

 


「石切さん、今日は歩きですか?」


「うん。昼過ぎまでは雨降ってたからね」


「もしお疲れでなければ、一緒に帰りませんか? 神社に沿う道の方で」


「よくあっちから大回りして、のんびり歩きながら話してたね。別に疲れてないから構わないよ」


「ホントですか? ありがとうございます♪」


 

 俺から見れば完全に二股でも、彼女にはそのつもりがなかった。認識の差で生まれた溝がどこまで狭まったのかは、素直に興味がある。すぐに復縁できる状態ではなくても、叶わぬ想いに身を焦がすよりは、いくらか前向きになれるかもしれない。

 夜勤との引き継ぎを終えて外の空気に当たると、なんとなく心地良さを覚える。乾いた雨の匂いは嫌いじゃないし、長時間の屋内勤務の後だから開放的。そして隣にいる彼女との時間を、毎回のように待ち侘びていた頃の昂りは、未だに身体が記憶してる感覚だった。

 


「りっちゃんと夜空の下を並んで歩くのは、結構久しぶりだね」


「はい。遠い昔のことみたいに感じます」


「大袈裟だなぁ。まだ半月くらいじゃない」


「でも独りで帰宅してる時、いつも思い出すんです。切なくて胸が苦しくて、大切な人を裏切ってしまったのだと、ひたすら悔やみました」


「そっか……でもごめん、これに関しては謝れないや。俺は今でも浮気されたと思ってるから」


「ふふっ。いま先に謝ってましたよ?♪」


「ガチで!? 簡単に謝る癖は良くないって分かってんだけど、なかなか直らないなぁ」


「謝罪できないことを、申し訳なく思ってしまったのではないですか?」


「そこまでいくと、もう自分でも自分の思考が意味不明すぎる……」


 

 恋人同士だった当時と比べれば、互いの物理的な距離は若干広い。しかし通る道も歩くペースも把握してる為、なんだかんだで気が楽だった。かつての緊張感や高鳴る気持ちはなくても、思いのほか自然体でいられる。吹っ切れたからでもあるし、別の人に意識が向いてるのも理由だろう。

 5分ほど経過しても、まだ同じ話題で会話が続いていた。


 

「私は悪癖ではないと思います♪」


「えー、ペコペコしてる男とか情けないでしょ?」


「そんなことありませんよ。石切さんはとても誠実で、自分にも嘘がつけないだけです。私みたいに八方美人で、周りに良く見られることしか考えてない人間の方が、よっぽど情けなくて醜いですよ」


「……本当に変わったねりっちゃん。急に大人になったみたいだ」


「それは今までが未熟すぎたのと、石切さんとの3ヶ月がとても大きかったからです。このままではいけないって、心からそう感じました」


「このままではいけない……かぁ」


 

 まるで俺に言い聞かせるようなセリフだった。絶対に長くは続けられない、破滅しか迎えないであろう関係に、いつまで浸っているのかと。理解した上で感情に踊らされるなんて、彼女の二股よりもタチが悪いだろうに。

 

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