第20話 そんな普通は変化を続けていた(3)

 再開された買い物は、真夏の炎天下で腕を組むという、鼻の下を伸ばして苦行に挑むような幕開けであった。

 仰いだ景色は青空に浮かぶ壮大な積乱雲と、それを穿うがとうとする高層ビルのくい。到底届きはしないのに同じフレームに収まる様が、なんとなく今の自分と重なってしまう。隣を歩く絶世の美女は肌まで触れ合ってるのに、決して俺のパートナーではない。心と心の間には山も谷も壁もあって、どんな色で隠れてるのかも分からない。

 だけど嬉しかった。不意打ちでされたキスは、特別な絆を感じられたから。彼女にとっては、日頃の鬱憤から逃れる為の火遊びだったとしても、今だけはこの笑顔を見ていたい。

 


「んー? どーしたの蒼葉くん?」


「なんか、さっきから愛華さんが子供みたいにワクワクしてる気がして、何に喜んでるのかなーって思って」

 


 俺の回答を聞いた彼女は、ピタリと足を止めた。そして勢いよくこちらを向いたかと思えば、眉を寄せて必死な形相になっている。


 

「あたしそんな顔してたっ!?」


「えぇ。慌てた表情も可愛いっすね」


「ちょっ……ちょっとタイムっ!!」


「へ? 休憩します?」


 

 今度は真逆の方向に顔を逸らされたので、問いかけながら覗いてみると、耳まで真っ赤になっていた。

 急いで手を引いて連れて行ったのは、駅前のカフェである。彼女が注文したフラペチーノで水分補給になるのか微妙だけど、何も飲まないよりはマシだろう。

 アイスティーを頼んで一息入れつつ、同時にため息を吐いた。

 


「しんどかったなら我慢しないでくださいよ。熱中症になったらどうするんすか?」


「えっ? あ……あぁ、それで心配してくれてたんだ」


「当然ですよ! トマトみたいだったんですから!」


「トマトなんだ……でももう大丈夫! 白いほっぺに戻ったでしょ?♪」


「そりゃ氷食ってるようなもんなんでね」


「フラペチ美味しいよ? 飲んでみる?」


「……じゃあ紅茶どうぞ。こっちのが水分摂れますよ」


「ほーい、交換こー♪」

 


 まだ間接キスでもかなり緊張するから、俺まで顔から火が出そうになるってのに……って、あれ? もしかしてさっきの愛華さんも、緊張で赤面してたのか? 普通に歩けてたし、割かし元気そうだったもんな。確認するのは気が引けてしまい、15分程度休んで再出発した。

 駅をくぐって対面側に進み、本を買いに来たビルの前で、思わず呆然としてしまう。目的地がサブカル的な商品も多く扱う、オタク御用達の店だったからだ。確かに漫画の品揃えは豊富だけど、コアな物だったらどうしよう。

 


「愛華さん、アニメとかも観るんですか?」


「んー、アニメも観なくはないよー」


「……この店で買うのって、薄い本とかじゃないですよね?」


「あははっ、同人誌じゃないよー。普通の本屋さんでも売ってる漫画とかだけど、ここなら欲しいやつが全部揃うからね♪」


 

 意気込みを裏付けるように、少女漫画や青年漫画を次々とカゴに放り込んでいく愛華さん。人気作からマイナーな物まで守備範囲が広く、好みの傾向が把握できないほどジャンルが様々。

 気になった一冊を手に取って尋ねてみた。


 

「この絵、バイト中に青年誌の表紙で見たことありますけど、男性向けな雰囲気っすよね。こういうのも読むんすね」


「あー、それは旦那が集めてて、途中から最新巻をあたしが買うようになったの。同時期に発売する本のついでだよ」


「……なるほど。家族ならありますよね、ついでの買い物くらい。普通ですよね」


「蒼葉くんは何か集めてないの?」


「俺っすか? 実家にいた頃は置く場所があったんで、色々集めてたんすけど………あれ? なんだ、新巻出てたんだこれ」


「あたしも知ってるー♪ その漫画読んでるの?」


「寒川さんに借りて読み始めたんです。結構面白いんすよねー」


「じゃあそれも一緒に買おうよ♪ あたしの本を買うついでにね☆」


「愛華さん………ガチで優しい」


 

 俺の顔面には、心境を文字にして表示する機能でも備わったのだろうか。燃え始めた嫉妬のほのおが、幻だったかのように消火されていく。同時に自分の単純さには呆れ果てたけど。

 本のコーナーをじっくり見終えた愛華さんは、天井を指差して小躍りしている。どうやら上の階のグッズ売り場に行きたいらしい。カゴを持って付き添おうとしたら、前を歩く彼女から手を差し伸べられた。

 


「これくらい持ちますよ」


「荷物じゃなくて、手繋ご?♪ 左手空いてるでしょ?」


「店内で子供じゃないんですから……」


「あたしが逃げないように掴まえてて♡」


「なっ……またからかって楽しんでるんすか!?」


「ううん、はしゃぎ回ってはぐれたらめんどーじゃん?♡」


「なんすかもう! 意味深な言い方して!」


「ときめいた? 蒼葉くん、ときめいちゃった?♪」


「もうその手には乗らーーん!!」


 

 3階に着いた途端、宣言通りはしゃぎ出したのは言うまでもない。行動を制限せずに来ていれば、本当に見失ってただろう。

 ショーケースやディスプレイを一緒に眺めていると、彼女と同じ物が目に留まり、自然とそちらに足が向いた。


 

「見て見て〜、可愛いー♡」


「家にある漫画のマスコットキャラっすね。めっちゃデカいけど」


「30センチの等身大だって〜。これが跳んだり頭に乗ったりしたら、けっこー圧迫感あるね♪」


「確かにー! 愛華さん小顔だから、そいつ尚更デカく見えますよー♪」


「………え?」


「どしたんすか? なんか固まってますけど」


「ふ〜〜ん。キミってそんな顔して笑うんだぁ?♡」


「ちょっ、いきなり近い! 顔近いって!! てかどんな笑い方っすか!?」


「んーー、食べちゃいたいくらい可愛かったぁ♡♡ はむっ♪」


「ひょほぉっ!!?」


 

 ぬいぐるみで視界を遮って側面に回り込むと、彼女は俺の耳たぶをもてあそぶように咥えた。目の前に迫ってきただけでも驚いたのに、刺激とくすぐったさに身悶えして、平然としていられるわけがない。周囲には人目があるにも関わらず、気色悪い声で叫んでしまった。

 イタズラの犯人は口を抑えてクスクスやっている。

 


「外でこれはさすがにやり過ぎでしょうが!」


「あははっ、すんごい声だったねぇ。感じちゃったの?♡」


「くっ……新しい扉が開きかけましたよ……。それよりそのグッズ、気に入ったんすか?」


「うん♪ 買って帰るー♡」


「じゃあ俺からプレゼントさせてください」


「そんな悪いよ〜。お昼も奢ってもらったのに」


「あれは服に対するせめてものお返しです。ぬいぐるみは……初デートの記念ってことじゃダメですか?」


「………そっか、ありがとね。あたしの宝物にする♪」

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