第15話 近くにあってなんとなく遠い距離(1)
なんでこうなったんだろう。なぜ俺は今、貴船家でシャワーを浴びてるんだよ。これではまるで、本物の不倫相手じゃないか。
愛華さんが突然クローゼットから引っ張り出した物には、正直目を疑った。旦那に購入した下着らしいが、犬の柄が本人の趣味に合わず、未開封のまま保管されてたと言う。ワンサイズ大きいくらいはどうにでもなるものの、使用するのはかなり気が引ける。あんなに喜ばれたら、断る方が難しいけど。
というわけで本格的に宿泊が決定してしまい、俺が着れそうな寝巻きを用意してもらってる間に、浴室を借りている。愛華さんの髪と同じ匂いのコンディショナーを付けたら、益々背徳感が湧いてきた。
さっぱりして上がると、脱衣所の棚にはバスタオルと例の下着、あとは薄いスウェットの上下。これはどう見ても女物だよね。
「愛華さん、なんすかこれ!?」
「わぁー、似合う似合う♪ あたしがダボダボで着るやつなら、蒼葉くんも着れると思ったんだ〜♪」
「上は白だからまだしも、下の
「ヒモ
「えぇ、まぁ……むしろ履き心地はいいんすけど、よりにもよってこの色は恥ずいんですよ!」
「でも旦那の履かせるのは、あたしがヤダから」
「あっ、これしか無いならこれで妥協しやす」
「蒼葉くんの体があたしに包まれてるみたいだね♡」
「ちょっと、変な言い回しやめてください!」
一悶着あったけど、あの人の服だと考えれば悪い気はしない。
平常心を保つ為にスマホアプリで遊んでると、風呂上がりの愛華さんと目が合った。そして即座に視線を外した。彼女が身に纏っているのは、サラッとした素材のキャミソールと、セットアップのショートパンツ。細身が一段と引き締まる黒系統もよく似合う。しかしいくらなんでも目の毒だろう。
高鳴る鼓動を抑えつつ、彼女の声に耳を貸した。
「ソファとテーブル端に寄せちゃってー。真ん中にお布団敷くよー」
「あ、はい。すぐやります」
寝室には夫婦のベッドが並んでおり、周りに寝られるスペースは無い。客用の布団があると言うので、リビングを使わせてもらうことになった。これで多少は落ち着けるはず。そんなささやかな安堵感は、脆くも崩れ去っていく。
押し入れから出した布団を運んでると、後ろから愛華さんがもう一人分を抱えてついてくる。しかも二枚をピッタリ隣同士に揃えたではないか。
「あのー……なんで敷布団が二組……?」
「えっ、だってこれシングルだよ? あたしは別にいいけど、ちょっと狭くない?」
「俺の理解力が足りてないのかな? この部屋で二人一緒に寝る前提で、話が進んでる気がするんですけど」
「だって独りは寂しいよー?」
「いや俺は独りで構わねーし、あなたは自分のベッドあるでしょーが!」
「せっかく蒼葉くんが来てるのに、ポツンと寂しく寝なきゃダメ?」
なんですかその
元々一人暮らしの人間は気楽でいい。だが帰宅する相手がいる場合、不安や期待感がのしかかる為、必然的に待つ時間が辛くなる。彼女は今でこそ開き直ってるにしても、背負っていた日々があったはずだし、わざわざ思い出させたくはない。
静かな足取りで歩み寄り、布団の上に正座した。
「もう一度だけ忠告しておきます。隣で寝るのは構いませんが、俺は男なんです。あなたに手を出さないって保証はできません」
「でもあたし今スッピンだよー? スッピンの人妻なんて需要ないでしょ〜」
「あのですね、本心から述べますけど、ちょっと眉毛が薄い以外は何も違和感ありません。シミひとつないツルツルの肌も、パッチリ二重の目も、そこらの美人じゃ比較にならないくらい、魅力的ですから」
「……ほほぉ〜? つまり蒼葉くんはぁ、獣になっちゃう準備万端ってことだね〜?♡」
不敵な笑みを浮かべて前のめりになる愛華さん。俺は反射的に姿勢を崩し、逃げるように毛布を被った。
あんなキャミでは全く胸元を隠せてない。黒のブラどころか、谷間の深い部分までガッツリ覗いてしまった。誘ってるとしか思えない。生殺しだよこんなの。
下半身が悶え苦しむ中、背中をしつこくツンツンされる。
「蒼葉くーん? なんでいきなり潜っちゃうの〜?」
「……もうムリっすよ」
「んー? 何がムリなのかなぁ?」
「ガチで愛華さんのこと襲っちゃいます。だから勘弁してください」
「あれま。ちょっとやりすぎてた?」
「俺は橘さんとしか付き合ったこともなくて、女性と一緒に寝るとか初——ぶはぁっ!!」
顔を見て訴えようと寝返りした途端、鼻から血が吹き出した。実際にはたら〜っと垂れてきた程度だったけど、瞬間的な興奮度は一気に上昇した。背後にいた彼女はしゃがむ体勢に変わっており、ショートパンツのフワッとした裾の奥に、生の太ももと下着まで映り込んでしまったのである。足の付け根部分なんて童貞の許容範囲を遥かに超え、暴走を通り越して血管がブチ切れた感覚。
あわあわしながらティッシュで鼻血を止めようとする愛華さんだが、最早彼女の姿を視界に収めるのもしんどい。目を瞑ってじっと耐えていた。
「ごっ、ごめんっ! 今あたし何もしてないんだけど、煽りすぎた??」
「下着……見えてます。上も……下も」
「ん? あー、こういう直球のが効いちゃうのかぁ。ごめんね、すぐに電気消すから」
「……わざとじゃなかったんすね。こちらこそ、なんかすみません」
真っ暗になった室内で、ゴソゴソと布団に入る音だけが響く。彼女がそばにいるだけで緊張するのに、先程の光景が記憶から抜けず、尚更心拍が早まるばかり。
呼吸だけでも必死に整えてると、胸の辺りに手を回され、背中に柔らかな弾力感と体温を感じた。
「な、なんで抱きついてるんですか……?」
「嫌な思いさせちゃってない?」
「それはないです。刺激が強かっただけですから」
「そっか。でもあたしには本気にならないでね」
「え? どういう意味っすか?」
「あたしにとってキミは、友達として大切な人。添い寝もするからソフレかな? そういう認識でいてほしいの」
「そ、そりゃそうっすよ! 愛華さん既婚者ですもん」
「うん、ありがとう」
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