第12話 当たり前のようで歪に絡まる結び目は(2)


 今晩の夕食の買い出しかと思えば、まさかの数日分の買い溜めだった。普段カートを転がす習慣がない為、今更取りに戻るのもなんとなく格好悪い。

 溢れんばかりのカゴを必死にレジまで運び、ようやく会計を済ませたまではいいものの、どうやって家まで運ぶんだこれ。

 大きめのエコバッグを四つ取り出した貴船さんは、手際良く荷物を詰めていく。

 


「ほいっ。石切くんはこっちの二つよろ!」


「えっ? でもその袋に飲み物とか入ってるし、一番重くないですか?」


「手痛かったでしょ? このぐらいはいつも持ってるから、全然へーきだって♪」


「……いえ、これ軽いんでもう一つ持てます。重いやつください」


 

 別に俺の買い物じゃないけど、付き添ってる以上、女性に力仕事なんてさせたくない。ましてや貴船さんは小柄な方で華奢な体なのだから。

 意地で三つの袋を両手に提げ、己の軟弱さを嘆きながら歩くこと10分。到着した貴船家では片付けを任せて、少し休ませてもらった。

 


「ホントに助かったよ〜。やっぱり男の子だねー♪」


「運動不足感は否めないっす。バイトばっかじゃダメっすねぇ」


「えー、腕とか結構逞しくない? 芯は細いのに筋肉質に見えるよ?」


「一応学生時代は運動部だったんで——」


 

 気付けば貴船さんは真横にしゃがみ込んでいた。しかも首回りの広いブラウスだから、微妙に水色の下着がチラついてるんだけど。

 咄嗟に距離を取ろうとするも、左腕を掴まれた上にまじまじと観察されてる。無防備過ぎる彼女から、どうにか自制心を保って視線を逸らしてると、穢れのない瞳で尋ねられた。


 

「しっかり筋肉あるじゃん! 何部だったの?」


「バスケと柔道を少々……」


「柔道!? じゃあ石切くん強いの!?」


「いえ、中学の頃ですし、県大会で初戦敗退なんで大したことないっすよ」


「県大会まで行った時点ですごいじゃん! そっかぁ〜、意外な一面だねー♪」


「えっと……貴船さん、ここはあなたの自宅ですが、男がいるってことを忘れないでもらえると……」


「ん? なんで真っ赤になって顔そっぽ向けてんの?」


「水色が……水色のが見えちゃってるんです!!」

 


 心の訴えを聞き届けてくれた彼女は、立ち上がって隣の部屋へと向かう。ドアを開けて出る際に「着替えてくるね」って言ってたから、涼しげな表情でも恥ずかしかったのだろう。

 だが5分程で戻ってきた彼女の服は、ゆったりしたグレーのワンピース。膝までは隠れてるけどその下が生足だし、部屋着だからかラフな作りで、腕も首元もさっきより緩い。

 わざとやってやがる。ズレたら肩まで露出しそうだから、ブラ紐なんて動いただけで見えてしまう。そう来るならこっちも考えがあるぞ。動揺を表に出さず、逆に褒め倒してやろう。

 


「そういう若い格好してると、奥様ってより、年下の可愛らしい学生みたいっすね♪」


「ホントー!? これ高校の時からのオキニで、涼しいし動きやすくていいんだぁ〜♪」


「ガチっすか!? てことは7年は着てるはずだから、かなり物持ちいいんすね!」


「冗談だよ〜☆ 去年買ったのー♪」


「……もう、なんでそんな嘘つくんすか?」


「えへへー、お返し♡」


「さっきからなんのお返しなのか、さっぱり分かんないんすけど……」


「だってドキッとさせるのはあたしの役目でしょ?♡」

 


 思わず後ずさりしながら右耳を抑えてしまった。吐息は吹きかかるし、声やセリフはなんかエロいしで、童貞には刺激が強過ぎる。

 空いてる方の左耳には、満足げな笑い声が入ってきた。

 


「あははっ、いい反応見れたー♪」


「いやあなた人妻ですよね? こんなことまでしたら、反撃されても文句言えませんよ?」


「ちょっと待ってて、ご飯作っちゃうから」


「あ、はい。何か手伝いましょうか?」


「お客さんはのんびりしててよ。テレビ観てても漫画読んでてもいいからさ〜♪」


 

 キッチンに向かい、食材や調味料を準備する貴船さん。切り返しが待っててって、どうせ反撃できるわけないっていう余裕の現れだろうか。

 リビングの本棚から知ってる漫画を手に取ると、懐かしさのあまり読みふけってしまった。奥でリズミカルに鳴る包丁の音も心地好く、実家とは違った意味で落ち着く雰囲気。

 次の巻に手が伸びた頃、急に名前を呼ばれてここに来た目的を思い出す。

 


「石切くーん、ちょっといーい?」


「はーい、もちろんです。自分みたいにくつろいじゃってました」


「それフツーに嬉しい♪ リラックスしてくれてたんだね〜」


「し過ぎてたくらいっすよ。それで何すればいいんですか?」


「んーー? 顔見たかっただけ〜♡」


「ちょ、さすがに冗談っすよね!?」


「うん、じょーだん♪ 左下の扉を開けると小さめのボウルがあるから、取り出して台の上に乗せてほしいの」


「え〜っと、ボウルボウル——って、ひょえっ!?」


 

 膝をついた俺のすぐ隣には、白くて細くてキメ細やかな美女のふくらはぎが。無駄な肉が全く付いてないのに、肌の質感が自分のそれとは別物で、すんごい柔らかそう。触れたらきっとスベスベなのだろう。

 ヨダレを垂らしそうなスケベ心を耐え忍び、戸棚の中に集中しようとするも、どうしたって眼球の動作が制御できない。チラチラと横目を向ける俺は、真上から降ってくるニヤけた眼差しに気がついた。


 

「ボウルあったぁ〜?♡」


「すっ、すいませんっ! ありました! これっすよねっ!」


「そうそうこれこれ〜。一番上にあったはずなのに、ずいぶん遅かったねぇ〜?♡」


「うぐっ……本当にごめんなさい。あまりにも綺麗な脚で、つい見とれてしまいました」


「あははっ、正直者だねーキミは♪ わざとだから別にいいよー」


「あの、ネタバレしちゃっていいんすか?」


「だって本気で謝るから、可哀想になっちゃったんだもん。イタズラしてごめんね♡」


「いえ、むしろご褒美なんで……」

 


 その後彼女は一切ふざけたりせず、真剣に料理をしていた。ただ遊ばれてたのではなく、俺は彼女が子供っぽい部分をさらけ出せる、数少ない相手の一人なのかもしれない。考えれば考えるほど憶測ばかりが募り、羽を伸ばす気にもなれない。

 ボーっと後ろからエプロン姿を眺めてると、再び呼び出しがかかった。

 


「ほら、オーブン見て! もう膨らんでくるよ!」


「おぉ〜、すごいけどなんだこれ?」

 

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