第5話 特訓開始

「…早かったですね。」

「することが何一つなかったもんでな。」

というとレインはニコッと笑い、

「早速ですが始めましょうか。まずは走り込みから始めましょう。私についてきてください。」

と言い、レインは走り出した。

走る速度はゆっくりだったが、何時間も走らせれた。家に戻るときにはもうすでに体力の限界は超えていて、倒れ込むように草の上に突っ伏した。

「一分待ちますので、息を早く整えてください。」

「…この後も何かするの?」

「腕立て、腹筋…etc。まだまだやることはたくさんありますよ。」

と言われ目が回るような思いだった。

 が、回数は少なく、ちょうど気持ちのいい汗を流すことができた。これくらいならお嬢様もやれば良かったのに。と思った矢先、とんでもないことを彼は口に出した。

「明日からはこの倍以上のことをしますので、今日はぐっすりと寝て体を休めてください。」

と言い残し、彼はそそくさと家に戻っていった。

 今日の内容でさえ、もう体力は底を尽きていたのに、これ以上のことを明日からやらされるらしい。

 明日など永遠に来ないでくれとただ祈るばかりだった。


 俺はそのあと少し庭で休んでから、家に戻った。

 もう寝ようと思ったが自分の部屋がどこかわからん。レインなら知ってるだろうと思い、まずレインを探すことにした。

 扉があれば手当たり次第開けていったが、そのほとんどが物置部屋のようだった。

 半ば諦めかけながら、開けた扉の先にはお嬢様がいた。

「…あら、どうしたの?」

突然の訪問に少しばかり驚いていた様子だった。

「あの、、俺の部屋…」

と言いかけ、口をつぐんだ。この言い方だとまるでさも自分専用の部屋があって当然という、図々しさ極まりない男になってしまうのではという考えが脳をよぎった。じゃあ、何と言い換えようかと頭を抱えていると、

「…そういえば部屋の場所をまだ教えてなかったわね。案内するわ。」

と言われ、ホッとした。

「こっちよ。」

と言われるがままお嬢様についていく。


「ここよ。」

と言われ入ってみると、寝床、机と椅子があるだけの簡素な部屋だった。

「何か必要なものがあったら言いなさい。それじゃおやすみなさい。」

「おやすみ。」

お嬢様はスタスタと自分の部屋に戻っていった。

「ふぁぁぁーー、んっ、」

欠伸をしながら少し伸びをして、俺は寝床に一直線に向かった。座ってみると、とてもフカフカとしていて、寝心地が良さそうだった。

「…あそことは大違いだ。」

と呟き、俺は大の字になってすぐ眠りについた。



 目が覚めると、そこには見慣れない風景が広がっていた。辺り一面には木が生えていて、ところどころ紅く燃えている。

 耳を澄ますと、叫び声やうめき声、それに金属が擦れ合う不快な音が聞こえてきた。

「…一体ここは…どこなんだ?」

 俺は足を伸ばすような姿勢で何かにもたれかかっているように座っていた。

 背中から感じるこのゴツゴツとした感覚は岩に違いないだろう。

 立とうとして腕に力を入れようとすると、左腕に力が入らない。何だ?と思い見てみると、左腕の肘から先がなくなっていた。

「う、うわぁぁぁー!!」

 と一瞬驚いたが、不思議と痛みはなかった。

 …これは夢なのか?ただはっきりと意識があることに違和感を感じていた。

 ふと右を見てみると、そこには、今日の朝、記憶にあった赤いシャツを着た男が仰向けになって寝転んでいた。

「おい。大丈夫か?」

と聞いても特に反応がない。

 右手で男の体を起こそうと触るとべちゃっと気持ち悪い音が鳴った。触れた手を俺の方に返してみると、手にはべったりと血がついていた。

 この男は赤いシャツを着ていたわけではない。流血で白いシャツが赤くなったのだと気づくのに時間は要さなかった。

「おいっ!!起きろっ!!」

と大きな声で叫び、体を揺さぶっても特に反応はない。

 …もう死んでるのか。顔の方を見てみるが靄がかかっていてよく見えない。

 そういえばもう一人、記憶の中で抱いていた女がいたことを思い出した。あいつも近くにいるのか?と思い、立って歩き出そうとした瞬間体が地面に沈み出した。

「うわっ!!なんだこれっ!!」

どうにかしようと必死にもがくが、どんどんと沈んでいき、ついには体全部が地面に沈んでしまった。


 ハッと目が覚める。

 見慣れてはいないが、昨日この部屋で寝た覚えがあった。

 なんだ夢か。と思えないほどに現実実がある夢を見て、少し気分が悪かった。

 体を起こし、食堂に向かうと、すでに二人は席について飯を食べていた。

「…おはよう。」

「おはようございます。」

と一人はぶっきらぼうにもう一人は笑顔で挨拶してきた。

「おはよう。」

と軽く返事をし、席について飯を食べる。

 少し冷めていたが、それでも美味しいことには変わりなかった。

 飯を食い終わるとすぐさま、レインがこっちに向かってきて

「こちらに着替えてください。」

と、半袖を渡してきた。

「…なんで半袖?」

「?。半袖の方が動きやすいでしょう?」

 数秒脳をフル回転して考え、そして昨日のことを思い出した。これから地獄のような特訓が待っていることを。

 俺は飛び跳ねるように席を立ち、全身全霊で自分の部屋に走った。

…が、あっさりと捕まってしまった。

「どこに逃げようというんですか?」

 と笑顔で言われた。

 笑顔を恐ろしいと思うのは初めての体験だった。


 

 そこから四ヶ月は地獄のような毎日だった。

 汗だくになり、体力が底を尽きてもやめさせてはくれない。まだまだあなたの限界はこんなもんじゃないですよ。と何回言われたことだろうか。

 ただ、美味い飯を食わせてもらっているので、何の文句も言えなかった。

 流石に四ヶ月もやっていれば、腹筋も六つに割れ、特訓の成果が目に見えるようにわかってきた。

 四ヶ月経ったある日、レインが急に、今日の特訓はないのでしっかりと休んでください。という旨を伝えてきた。

 俺は全身全霊で喜びを表現した。この四ヶ月で初めて報われた気がした。

だが喜んでいられるのも束の間だった。

「あ、でも明日からの四ヶ月、昨日までの倍の特訓をしますのでしっかり休んでいてください。」

 逃げようと思った。だが逃げようとしてもどこまでも追いついてくるレインの足の速さはこの四ヶ月で嫌なほどわかっていた。

 俺は大人しく寝床についた。


 

 特訓を始めて早八ヶ月が経ったある日、腕立て、腹筋等が終わって庭で休んでいると、レインが近づいてきた。

「そろそろ特訓に対人戦闘の方も取り入れていきます。」

「…対人戦闘ってどんなことやんの?殴り合い?」

「まあ、そんなとこです。内容としては、私が本気であなたを三発殴ります。それをどうにかして防ぐだけです。私に隙があったら、殴り返してもいいですよ。」

「……そんだけ?」

「そんだけです。」

 はっきり言って楽勝だと思った。この八ヶ月、俺は手を抜かずにちゃんと体を鍛えた自負がある(逃げようとしたけど)。そう簡単には負けないという自信があった。

俺は何回か飛び跳ねて少し伸びをして

「俺はいつでもいいすよ。」

「…ではいきますよ。」

 レインは構えなどせずに、そのままの姿勢で殴ってきた。腰にあったはずの右手はもう既に俺の顔の目の前にあった。

 俺は左腕で顔を覆いつつ、後ろに飛び下がろうとしたが、それよりも拳が届く方が数段早かった。後ろに下がろうと宙に浮いていたのと相まって俺は足で踏ん張ることも出来ずに吹っ飛ばされた。

 倒れて仰向けの状態になるが、腕と足の両方を使い、すぐさま起き上がった。が、レインの姿はどこにも見当たらなかった。その時、左脇腹に激痛が走る。

 その攻撃で後ろにいるとわかり、激痛に耐え振り返りながら拳を振ったが、その拳は空を切った。

 レインはちょうど俺の腹筋に拳が当たるように低く構えていたようだ。ガラ空きになった腹を抉るように殴ってきた。俺は叩きつけられたように倒れ込んだ。

「っっっっがはっ!!」

呼吸がうまくできない。声が出ない。そんな苦しい中、

「これから毎日特訓の後に今やったことを取り入れていきます。三発全部受け切るまでこれは続けますよ。」

と、俺の安否など気にも留めていないような無機質な声で、俺に話しかけてきた。

 ただ、いまはそんなことに気にする余裕など全くなかった。



 その日の晩の夕食は、全部口の中の傷に染みた。ここにきて初めて飯を食べたくないと感じた。















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