6話 毒の天使
イシュタルは式典に参加するための衣装を選んでいた。ホラーティウス邸の大宴会場には華やかな衣装と仕立て屋がやってきた。
「イシュタル様、おきれいです!」
「君は先ほどから“おきれいです”としかいえないようだな。役に立たんなら下がってくれてもかまわない。」
「アイーダ様、大変申し訳ございません。ご無礼をお許しくださいませ!」
40くらいの侍女が青ざめて膝をついている。サクラはややあきれたような視線をこちらに向けてくるが仕方ない。この侍女は父親についていた侍女だから忠誠心にかける。
イシュタルが望む行動を理解しながら、今一つ違う行動をする。無意識にやるからタチが悪い。父親から優秀な人物だと聞いていたから残念だ。
「次は青のものを持って来てくれ。水色がもいい。」
「は、はい!もちろん用意しております。」
「初夏をイメージできるものはないだろうか。お前のメジャーについているレースも素敵だな。」
「あっ、あのこれは50年以上前に作られたものでして…もしよろしければ同じものを使ったドレスがあって…」若い仕立て屋はおでこまで赤くしていていまでも泣きそうになっている。
「マリア!あんな古いものを持ってきたのかい!」仕立て屋の店主がひどく驚いて慌てている。
「だって、あの衣装がんばって仕入れたんだもん!」
「だからって!」
「仕立て屋、それを見せてもらえるか?」
「もちろんです!」
「エミル、緊張しているのか」
「当たり前だろう!」
エミル・ミュラーはひどく緊張していた。ここはあのアイーダ・イシュタル・ホラーティウスの寝室だ。
「なにも変なことはしたりしないぞ。」
家主はのんきに紅茶にジャムをとかしながらしゃべっている。
「今にも殺してきそうな用心棒がいたぞ!あいつに殺される!」
「あいつはレオン・アルベルトというんだ。年も近いから。仲良くしておくれよ。そういえばレオンも例の式典に参加することになっている。」
「最悪だ!」
「すねているだけだ。普段は温厚だから安心してくれ」
ホラーティウスの屋敷は殺気で満ちている。試合中ゴールに向かうアンギオもそんな感じだった気がする。
「…お前、とんだ狡猾な奴だな。」
イシュタルはうわさに聞いていた程恐ろしい人物ではなかった。薔薇の門番のメンバーの面倒も見てくれるという。
「当日の話だが、こちらから送り込むことが出来るのは五人だ。私とレオン、そして侍女が三人だ。当日は軍が警備をするということだが…」
「こちらが用意できるのは三人もいないな…あとは皇室が用意した人間が付いてくれる。こいつらは信用が出来ない。」
「難しいな…この時に皇族の連中とお前らの接触を減らすことが最善策なのだろうか。」
「いや、俺みたいに個人でスポンサーと契約しているやつは大丈夫だ。心配なのもそうじゃないやつら…実績の少ない若手が良く狙われているんだ。」
「汚い連中だな…お前もそうだったのか?」
「いや、俺は違った。アンギオが守ってくれたんだ。今ああいうことをやろうと思うと少し難しいのだが」
「いい男、だな。」
「おう!誰にも負けないと思うぜ!」
アンギオはいいやつだ。世間は薔薇の門番が俺を中心としたチームだと思っているようだが実際にはそうじゃない。アンギオを中心に統制が取れたチームだ。目の前の女はどこかアンギオに似ている。
桃色の髪の毛はに濃いピンク色の瞳はアンギオとは正反対だが、刺すような視線は似ている。落ち着いて毅然とした態度も似ている。似ているから心を許してしまった。
しかしこの女は危険だ。血縁関係がある人間を鶴の一声で地方送りにしたんだ。腹の中におぞましい怪物を飼っているに違いない。例え向こうが俺を信用してくれても、俺以外のやつらはその怪物の餌にしてしまうかも知れない。しかも俺の友人もその手の中に収めようとしているらしい。
なんて女に手を出してしまったのだろう。昔、ばあちゃんが「美人には気を付けろ」と言っていたな。気を付けていたつもりだったのに。
「浮かない顔をしているな。カモミールティーを入れてやろう。」
「お、おう」
「毒を入れると思っているのか?恋人同士だろう?」
「お前....」
「毒と言えばこの屋敷で子供のころ毒を作ったことがあったな。興味本位で作ったのだが…」
「誰かに使ったのか?」
「いや、どこかで無くしてしまったんだ。」
そう答えるイシュタルの顔はどこか落ち込んだように見える。
「なぜ作ったんだ?」
「五歳のころ、屋敷で毒を見つけた。同じものを作って売ればお金になると思ったからだ。」
お金を稼ぐことによって親の気を引きたかったのだろうか。
「とんでもないやつだな。」
「しかし、見つけた毒をいじっているうちに私は強いめまいに襲われて倒れてしまったんだ。」
「それで怒られたりしたのか?」
「いや、目が覚めた時には何もなかったことになっていて、お前は悪い夢を見ただけだ、と父親に言われてそれきりだ。もしかすると本当に夢であったのかもしれん。」
「それは悪い夢だったんだな。」
エミルはイシュタルの髪を撫でた。トレードマークの編み込みが乗っていない髪の毛はしっとりとしていて触り心地が良い。
「本当に嫌な夢だった。殺してしまったネズミの感触がまだ拭えないんだ。」
やはり俺はこの女によく似た人間をよく知っている。
目の前の女がどんな顔をしているかはわからない。ただどうしようもない怪物を飼い続ける運命の中にいる女に同情せずにはいられなかった。
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