第12話 永遠としての存在





私は子どもの頃によく来た両親の別荘に来た。


地球に戻ったのは何年ぶりか。


別荘の庭は母がしっかり丹精しているのだろう。

様々な緑と花の色が溢れていた。


「イゴル!」


庭にいた母が気付き叫んだ。


「やあ、母さん。」


私は普通に返事をしたつもりだったが、


「なに、あなた、ひどく疲れた顔をして。

家に入りなさい、お茶でも飲んで。」


心配げに母は私の顔を覗き込んだ。


部屋の中は昔のままだった。

白地に青い花が描かれているポットで母はハーブティーを入れる。


「飲みなさい。温まるわよ。」


そして手作りのクッキー。

ああ、昔と全く変わっていない、と私は思った。


「何年ぶりかしらね、電話では時々話しているけど。」

「地球には二十年ぶりだよ。」


私はあの少女の言葉を思い出す。


「もうそんなになるかしらね。」

「父さんは?」

「仕事よ、隠居しているけどたまに仕事があるの。」


私の家系は貴族だ。

だがいわゆる貧乏貴族だ。

昔は細々とした領地しかなく普通の農民とほとんど変わらなかった。


だがいつの頃か商才に恵まれた人物が現れ、そこそこの財を成した。


その流れで私の家系は続き、

私の父、弟と極めて有能な商売人に恵まれて

今ではかなりの財を成している。

だからこそ私は何も考えず好きな事を続けられた。


だが、


「母さん、しばらくここの別荘に居て良いかな。」

「……、どういう事?大学はどうするの?」

「休職しようかなと思って。なんか疲れちゃって。」


窓から風が微かに入って来る。

緑の香りがする。


「何かあったのね。」


母がぽつりと言う。


しばらく二人は何も言わず時々お茶を飲んだ。


遠くに鳥の声がする。

気持ちの良い午後だ。


「私は構わないわよ。

疲れたならゆっくり休みなさい。

父さんも何も言わないと思うわよ。」


母が言う。

私はほっとした。


「でもね、」


母が私を見た。


「あなたに何があったのかは知りたい。

話せることがあるなら教えて頂戴。」


それは長い話になった。


日は傾き、夕暮れが来る。

一緒に食事を作り、そして食べる。

食後にお茶を飲み話を続ける。

風呂にも入り寝具の用意もちゃんとやる。


ごく当たり前の日常だ。


そして母は絶対に急がせない。

昔のままだ。


普通だ。

だがそれがなぜか心に沁みる。

その当たり前をずっと私は忘れていたのだ。


翌朝びっくりするほどゆっくり寝た自分が起きると、

朝食が用意されていた。


「私は先に済ませたわ。急がなくていいわよ。

そうそうお皿は洗っておいてね。」


と母が言うと庭仕事をするのか

大きな麦わら帽子をつけて出て行った。


全てが日常だ。

昔と変わっていないものがここにはあった。


昼になり、母が戻る。


「まあ食事を用意してくれたのね、ありがとう。」

「大した食事は作れないから簡単なものだけど。」

「全然良いわよ。嬉しいわ、人が作ってくれたものを食べるなんて。」


母は笑う。

その笑顔はやはり歳をとっている。

忘却レンズで見た姿と違った。


午後が過ぎていく。

こまごまとした仕事を済ませて黄昏が近くなる。


夕食を済ませて二人でお茶を飲む。

いつもの習慣だ。


窓の外の空には微かに太陽の気配はあるが、

すぐに消えて満天の星空が現れるだろう。


「母さん。」


私は母を呼んだ。


「母さん、この宇宙はいずれ無くなるって知っている?」


母は首を傾げた。


「それぐらいは知っているわよ、

宇宙はビッグバンで生まれて膨張してまた縮む、とか。」

「うん、一つの説だよね、

僕はそれを語る女の子と会ったんだよ。」


私は早老症の女の子の話をした。


物に触れるとその記憶を知る事が出来る。

その記憶はこの宇宙の全てが持っている事。


「私にもそれがあると言う事よね。」

「うん、そうだよ、人に限らず動物でも物でも、

この宇宙に存在する全ての物質の共通の記憶だ。」


母はため息をついた。


「とてつもない話ね、私は全然分からないけど。」

「それで宇宙はいずれ収縮して新しい宇宙に生まれ変わる。

その時に今この宇宙にあったものは全て変わるのだと思う。」


私はため息をつく。


「今ここにあるものはなにも残らないんだよ。

全て消える。」


母は何も言わなかった。

立ち上がり新しいお茶を入れる。


「ここに来たら全部は昔のままだった。

だからほっとしたけど、これもいずれは消える。

何も残らない。

僕が探したものや見つけたものも全部消える。

いずれは無くなるものに情熱を傾けても無駄になるんだよ。

永遠なんてないんだ。」


私は俯いた。

まるで子どもが駄々を捏ねているようなものだ。


母はしばらく黙っていた。

窓に微かに何かが当たる音がする。

光に誘われた虫が飛んでいるのだろう。


「……あなたはこのクッキーが好きだったわね、

ランドグシャ。

薄く焼くのは結構難しいのよ。」


母はクッキー缶からそのクッキーを出した。

とても軽く甘くて舌触りが良いクッキーだ。


「あなたは今はそれほど好きじゃないかもしれないけど、

あなたが好きだった事や、

私が上手に作れるように頑張った事は永遠なのよ。」


私は顔を上げた。


「永遠はね、あるわ。」


母は笑う。

私が花を調べていた時のように。


「今この話をしている事実はずっと変わらない永遠なのよ。

これは宇宙が無くなろうと変わろうと絶対に無くならないわ。

事実だから。

誰も覚えていなくても宇宙が消えても、

あなたが私の子どもで私が母親なのは永遠に変わらない事実よ。」


その時私はどんな顔をしていたのか覚えていない。


だが、自分の答えがこんな身近にあっさりと見つかるとは思わなかった。

そしてそれはあまりにも単純な事だったのだ。


「あなたのやっている事をみんなが忘れても、

それは永遠に残る事実なのよ。

安心しなさい。

さあ、お風呂にはいって。

ぐっすり寝て、朝が来たら起きて、ご飯を食べて。」


母は私にタオルを押し付けた。

湯舟には母が摘んだハーブが浮いているはずだ。


それは生活だ。


だがそれは全て永遠なのだ。


何気ない日常の全てが永遠だったのだ。

毎日永遠は生まれているのだ。




翌日起きると曇っていた。

そのうち雨が降るのだろう。


雨が降る前に庭仕事を済ますと言う母に着いて

私も庭に出た。


湿気があるせいか緑の香りが強い。


全ての植物が雨を呼ぶ。

その間を雨にうたれたくない虫が慌てて飛んでいる。


「ほらほら、雨が降る前に早く食事を済ませなさい。」


母がミツバチに声をかけた。

ミツバチは花に頭を突っ込んで腹をぴくぴくとさせている。

虫の体は花粉だらけだ。


母がそれを指さして私に笑いかける。

私もそれを見て母に笑う。


そしてミツバチは別の花に行くのか空に飛んで行った。


私と母はそれを見送った。

そしてまた庭仕事を始めた。


そのミツバチも永遠の一つなのだ。








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