第11話 岩山の博物館・イゴル
イゴル・クユールエは幻想学者だ。
様々な場所をめぐり謎を探す。
今は先日手に入れたタルキ星系の研究の資料を纏めている。
「おっとまたこれか。」
彼は呟いた。
色々な資料を見ていて時々現れる場所がある。
「岩山の博物館。」
赤い岩山に作られた博物館だ。
砂漠と思われる岩山の一角に作られたもので、
かつて興亡を繰り返した星系の遺物が収められている、
らしい。
「ふむ、タルキ星系にあるのか。」
タルキ星系は宇宙でも古い銀河の一つだ。
全ての星が古く、中心部に巨大なブラックホールがあると言われている。
星がそこに集約しつつあり、
時間や空間が少しばかり歪み始めている。
だが、全てが消えるまでには人にとっては悠久に近い程の時間がある。
彼は何度かタルキ星系の遺跡には行った事があるのだ。
「また行ってみるか。」
彼は呟いた。
岩山の場所は彼の知識の中に資料の山で見つけたものがあり、
あっさりと星は特定できた。
そして、
「わしがガイドだあよ、
でもみんなからは嘘つきと言われてるがなあ。」
前歯が一本ない年寄りのガイドは豪快に笑った。
「え、嘘つきですか……、」
「みんながみんな岩山に行ける訳じゃねえ。」
岩山近くの町で見つけたガイドが言った。
そこへのガイドは彼一人らしい。
「どうも行ける人と行けない人がいるようでな、
わしはとりあえず山近くまで連れて行くんだが、駄目な時があるよ。
学者先生のあんたが絶対に行けるとはわしは言えん。」
「興味深い。今まで何人ほど行けたのですか?」
「十人ほどかのう、最近は一人行けたよ。」
「面白いですな、ぜひお願いしたい。」
あんたはおかしい、と笑いながらガイドは準備を始めた。
外につながれている白くふさふさとした毛に包まれた
ゴメランと言う生き物を彼は指さした。
「あれに乗っていくよ、あんた生き物は平気かえ。」
イゴルは頷いた。
一時間ほどでガイドの準備が終わった。
彼は驚くほどの水と食料を持って行く。
イゴルの背嚢にも数日分の水と食料を詰め込むよう勧めた。
当然特別料金だ。
「何が起こるか分からんからなあ、
あんたもそうだが、わしもいつまで待つのか分からん。」
ゴメランでの移動中にガイドがイゴルに言った。
ゴメランには人が乗る鞍は無い。
ふわふわした毛の中に埋もれて移動する。
乗員の外に出ている部分は頭だけだが
何かあれば手を出すのも容易だ。
ゴメランの体温は低く二十度ほどだ。
砂漠を移動するのに大変快適だ。
「ともかく岩山が見えたら歩いて行きなされ。
その後多分わしとははぐれるが、わしは待ってるから。
時間がかかったら一度は戻るが、
また来るからその場所で待っててなあ。」
ガイドの言う事はイゴルにはさっぱり分からなかった。
だが、彼の言う事は今までの経験からだろう。
素直に受け取るしかない。
二時間ほど移動した頃か。
遠くに赤い岩山がポツンと見えた。
「あれじゃよ、先生」
草も木もない砂の大地に赤い土色の岩山があった。
そのまま近寄ると岩山の様子が見えた。
岩肌に無数の横筋が走る。
「水の跡か、かつてはこの辺りには水が流れていたのかな。」
イゴルは呟く。
「先生、ここから歩いて行きなされ、
もし呼ばれているなら行けるよ。」
ガイドが言った。
「そうだと良いな。」
「駄目でもわしの事は嘘つきとは言わんでくれよ。」
「言わないよ、絶対に。」
イゴルは彼に手を上げ、歩き出した。
百メートル程歩いた時か、
風が急に吹き砂が巻き上がった。
彼は思わず口を押える。
顔を覆っておけば良かったと思ったが後の祭りだ。
少しばかりせき込みながら歩き出した。
「おや……。」
彼は後ろを見た。
いるはずのガイドとゴメランがいない。
「これがはぐれたと言う事か。」
だが、これは自分が呼ばれているのだと彼は悟った。
初めて来たのに呼ばれたとは。
彼の心が躍った。
しかし、
「ゴホン……、ゴホン……。」
砂でむせる。
彼は口を押えながら顔を上げた。
するとそこには背の高いがっちりとした体つきの人がいた。
イゴルの咳の音に気が付いたのか目の前の人が振り向く。
彼の顔立ちは犬のような熊のような、
体つきは人だが顔はいわゆる獣顔だった。
だが、細い目つきの吞気な感じの顔だ。
しかも背広を着ている。ビジネスマンの様だ。
「あ、こんにちは。」
イゴルが間の抜けた声をかけた。
思わぬ事にどう言って良いのか分からなかったからだ。
「ああ、どうも。」
ビジネスマンの彼もごく普通の返事をする。
きっと彼も驚いているのだろうとイゴルは思った。
「失礼ですが、あなたはどちらからいらしたのですか?」
イゴルは聞いた。
自分は小柄ではないが、ビジネスマンの彼は見上げる程大きい。
背は二メーター近くあるのだろうか。
「あー、私は帰る途中で列車に乗り込むところだったのですが、
呼ばれたみたいで。」
彼は頭を掻き笑いながら言った。
奇妙な話だ。
だがイゴル自身も妙な感じでここに呼ばれたのだ。
だから彼の言う事は嘘ではないと感じた。
「ほう、この辺りには駅は無いから遠くから呼ばれたのでしょうか?」
イゴルはがぜん面白くなった。
「興味深い話ですな。
私はイゴル・クユールエ、幻想学者です。」
「学者さんですか、先生ですね、
私はポチ・イクマヌ・ドクスクトと言います。
探し屋をしています。
ポチとお呼び下さい。」
イゴルはポチと名乗った男性に握手を求めた。
大きな手がしっかりと握り返す。
そして彼、ポチは胸元から名刺を取り出した。
イゴルは恭しくそれを受け取った。
名刺はビジネスマンの顔だ。丁寧に扱わなくてはいけない。
「正直一番、探し屋、ポチ・イクマヌ・ドクスクト、さんですか。
ほう、なにやら面白そうなお仕事ですな。」
普通のビジネスマンではない様だ。
イゴルは名刺をしまうと思い出したように体を探り出した。
「私も名刺があるのだが、どこだったかな。」
何年か前に名刺を作ったのだ。
「ところでイゴル先生、どうしてここに。」
「ああ、私はガイドとはぐれてしまって。
と言うかガイドははぐれると思うので、
そうなったら待っていますと言っていたが……。」
確か持っていたはずと探し出したが、
その時ポチの肩越しに複雑な模様の扉がうっすらと現れるのが見えた。
イゴルの動作が止まる。
彼が探していたものだ。
一瞬にして全てを忘れて彼は走り出した。
足元が砂に取られて倒れそうだが、それも今は関係なかった。
後ろからポチが何か叫んでいるが気にもしなかった。
彼は扉に飛びついた。
硬く締まった素材の扉は砂ではなく赤い岩石で出来ていた。
恐ろしく複雑な模様は人の手で彫られたものなのだろうか。
取り留めもなく混乱して見える模様はイゴルの目には無秩序に見えた。
だが見上げる程の扉に彫刻を施し、
幻のように現れたり消えたりする建物を作るのは、
ただの生き物ではない。
自分より遙かな高次元の生命体が作り上げたのかもしれないとイゴルは思った。
その彼らからすればこの模様も、
何かの秩序で整えられている可能性がある。
我々に感知できないだけで。
「岩山の博物館だ!」
イゴルは叫んだ。
「本当にあったんだ。」
「そうですよ。」
ポチがあっさりと返事をする。
イゴルが振り向く。
「岩山の博物館なのだよ。」
「ですね。」
「……君は驚かないのかね。」
「私は二度目ですから。」
イゴルはあっけにとられた顔をして
しばらくしてへたへたと座り込んだ。
「まあ、先生、お水でも飲んで落ち着いて下さい。
暑い中を走ったのだから苦しいでしょう。」
ポチが彼の背嚢の横にぶら下げてある水筒を取った。
「……ああ、そうだね、つい夢中になってしまって、
まさか本当にあるとは思っていなかったから。
あ、君は二度目と言ったね。」
「ええ、二度目です。借りたものを返しに来たんですよ。」
二度目、とは。
イゴルは愕然とした。
幻と言われている所に複数回行くことが出来て、
しかもそれをあっさりと話すこのポチと言う男は何者かとイゴルは思った。
「そんなに気軽に来られる場所なのか?
世の中では幻と言われているが。」
イゴルは水を飲むと腕を組んで考え出した。
「いや、多分用事がある人しか呼ばれないと思います。
だから先生も向こうに呼ばれたのだと思いますよ。」
その時、扉からきしむ音が聞こえて来た。
扉がじりじりと開き始める。
二人はぎょっとした。
「先生、その、お願いがあるんですが……。」
ポチが鞄から小さなケースを取り出した。
「これを返して来て欲しいんですよ。」
申し訳なさげに彼が言った。
「えっ?」
「返却物です。忘却レンズと言うものですが、
今回私が呼ばれたのはこれを返すためだと思います。」
ケースはイゴルの手に乗るぐらいの大きさだ。
「見て良いかい?」
「構いませんが、使うなら遠くを見る時のように見てください。
反対から見ると体が消えるかもしれません。」
イゴルはケースからレンズを取り出した。
「綺麗なものだな。」
見た目はオペラグラスのような形をしていた。
全体に装飾が施されている。
少しばかり扉の紋様に似ているようだとイゴルは思った。
所々に宝石も埋め込まれていて実に美しいものだった。
「遠くを見るように覗くと思い出したいものを見る事が出来ます。
でも反対に見るとすべてを忘れてしまいます。」
「それは困るな。」
「でしょ?」
「しかし、実に興味深い。」
忘却レンズとは初めて聞くものだったが、
どうやらこの博物館の展示物の様だ。
それをどうしてポチと言う人物が持っていたのかは不明だが、
返すのなら悪い事ではないだろうとイゴルは思った。
「先生、だめですよ、反対に見ちゃダメです、絶対。」
「遠くを見るようにだな。」
イゴルがレンズを覗いた。
一瞬岩山の赤い景色が見えたが、
すぐに花が溢れる庭が見えた。
(あれは……、)
子どもの頃によく遊んだ母親が丹精していた庭だ。
花が溢れ、可愛い実がなるものもあった。
幼い彼はそれをつまむ。
蜜を夢中で吸う虫、
花の複雑な構造、それを知りたくて乱暴に花をちぎって𠮟られた時、
だがその後母がそっと花を切って渡してくれた、
笑いかける母……。
思わずイゴルはレンズを離した。
今彼の心を悩ませているものがその瞬間浮き上がった。
早老症の幼女が語る謎を。
宇宙の永遠とは、を。
「先生、大丈夫ですか。」
ポチが心配そうに声をかけた。
イゴルは上を向く。
「参ったな……。」
ぼそりと彼は呟いた。
「先生、何ともないですか?」
「あ、ああ、大丈夫だよ。
まあなかなか厄介な代物だね。」
少しばかり重くなった心を抑えてイゴルはレンズを箱にしまった。
ポチが心配そうにこちらを伺う。
「これを返せば良いんだね。」
「そ、そうです、お願いできますか。」
イゴルはこのレンズはそんなに良いものではないと感じた。
思い出すのはいい。
だが人の傷をうずかせる何かがある。
これに頼るのは麻薬に依存するのに近いかもしれないと思った。
ポチがほっとした顔をする。
既に扉は人ひとり入れるぐらい開いていた。
「じゃあ行ってくるよ。」
「一人で大丈夫ですか?」
「常に一人で動いているからいつもと一緒だよ。
行ってくるよ、待っていてくれたまえ。」
そして中に入った瞬間扉は静かに閉まった。
きーんとした音がする。
だがそれは音ではなかった。
一瞬にして岩山に閉じ込められた音ではない音だ。
無音の圧迫感がイゴルの耳に届いたのだ。
先程の熱くかりかりとした空気ではなく、
ひんやりとした室内だ。
イゴルは見上げた。
天井がどこにあるか分からない。
上は暗く果てがないが自分の周りは明く、
目の前に少しばかり蛇行している通路が光っていた。
「こちらに行けと言う事だな。」
彼は周りを見ながら進む。
警戒してではない。
周囲を観察するためだ。
足元を見ると光っているのは埃のようなものだ。
道の真ん中はうっすらだが、両側には二、三センチ積もっている。
それがぼんやりと光っているのだ。
綿のような柔らかい光る埃だ。
一体いつから積もっているのだろうか。
壁の素材は外の岩山のものと一緒の様だ。
横に無数の溝がある。
触ってみるとひんやりとして心地良い。
彼は壁に目を凝らすとぼんやりとした何かが見えた。
そこに見えたのは何かの生き物の様だった。
それは全く動かない。
沢山の触手を持つ自分と同じぐらいの大きさのものだ。
まるで彫刻のようで宙に浮いている。
よく見ると全ての壁に生き物の影が見えた。
壁が少しばかり明るくなり影が浮き上がった。
その生き物はすべて姿が違っていた。
目の前のものは大きなものだったが、
後ろにあるものは手のひらに乗るぐらいの生き物だ。
全て生気は無く壁の向こうにぼんやりと浮かんでいる。
そしてそれぞれの姿の前に古代文字が浮かんでいた。
「……デグラ、ドウ、ダーダウ……。」
資料の山で得た知識だろうか、
全てではないが読める文字があった。
だがそれは彼にも意味が分からない。
ただの発音だ。
しかし、多分それらの名前だ。
そしてその出自もどこかに書いてあるはずだ。
その生き物は全てこの博物館の収蔵物なのだろう。
彼はしばらくそこに立ち興味深く見ていたが、
この先は長いはずだ。
惜しい気がしたが彼はそこを離れた。
何時間歩き続けただろうか。
壁の中には無数の収蔵物があった。
生き物に限らず物も凄まじい数だった。
そして、イゴルは生きている。
生物としての生理現象が起き始めていた。
「まずいなあ、汚したくないし。」
その時だ、壁の一部が光りそっと道が出来た。
「ここに行け、と言う事か。」
するとそこには彼にとっては見覚えのある場所があった。
無事欲求を満たすとそこはそっと消える。
なぜこのような至れり尽くせりな状況なのかは分からない。
ただ、このような場所にいるものは生き物の生態にも詳しいのだろう。
地球でも生き物を調べる時は排泄物も大変貴重な情報源だ。
「きっと私の物も収蔵されるのだな。」
と彼は思うとおかしくなって来た。
そしてガイドが大量の水と食料を持たせた意味も分かった。
中を見物するのには時間がかかる。
そしてこれらもここに置いて行けば収蔵物になるのだ。
彼は休み休み前に進んだ。
録画機器も持って来ていたが全く役に立たない。
「撮影禁止と言う事か、博物館らしいな。」
だが録音だけは出来た。
言葉で様々な事を記録する。
そしてどれだけ時間が経ったのか。
すっかり時間の感覚は無くなり、疲れたら仮眠をとっていた。
気が付くと食べ物も水も無くなっていた。
「まずいな。」
録音はもう容量がいっぱいで出来なくなっていた。
電池もない。
持って来たノートに書きつけていたが、
ノートも筆記用具ももうすぐ無くなりそうだった。
「もっと食べ物を持ってこれば良かったなあ……。」
彼は呑気に呟いた。
死ぬかもしれないなと思ったが、
この場所で死ぬのも悪くないなと彼は感じた。
自分も収蔵物になり、宇宙が果てるまでここに残る。
ヴァンパイアが見たいと言う宇宙が尽きる瞬間。
あの早老症の幼女が見た繰り返す宇宙。
自分が知りたい感じたいと思うものの中にそれがある。
それを知りうる可能性のある彼らには激しい羨望があった。
だがそれが全てではない。
知りたい事は他にもある。
だが彼が今一番考えているのは、
宇宙が終わる時には全ては無くなってしまうのだろうかという事だ。
復活するかもしれない。
宇宙は収縮と爆発を繰り返すと言われている。
ならば前の宇宙と新しい宇宙は別物になるのか。
今我々が生きている世界はリセットされるように、
何もかも全て消えてしまうのか。
ならば何も残らない世界に足跡を残しても、
全ては無駄ではないのだろうか。
この宇宙は永遠ではないのだ。
イゴルは座り込み、ぼんやりと考えていた。
その時、目の前に気配が現れた。
何もない所に白い帽子と片手の手袋が現れた。
宙に浮いている見慣れたものに驚くはずだが、
疲れ切ったイゴルは何も感じなかった。
手袋が手のひらを上にして彼の前に差し出された。
『しっかりして下さい。』
頭に声が響く。
それで彼は正気に戻った。
「あっ!」
目の前の出来事に今更ながら彼は驚いた。
だが体に力が入らない。
しばらく手袋を見ていたが、
彼はふと思い出して背嚢から忘却レンズを取り出し、
それの上に乗せた。
その時、ぽろりと名刺ケースが落ちた。
「こんなところにあった。」
イゴルが呟く。
だが、床に落ちた名刺ケースはすぐにそこに吸収されてしまった。
白い手袋はレンズを受け取るとそれも手のひらですぐに消えた。
イゴルは帽子と手袋を見つめる。
人としてのふくらみがあるような感じだ。
だが生き物ではない。
一体何者かとイゴルは思った。
『ポチさんに伝えてください。
忘れるのではなく思い出せば良かったと。
私が悪かったのです。』
ポチさん、と言われて誰だったかと思った時だ。
いきなり目の前が明るくなった。
目が眩み、体に力が入らない。
「先生、しっかりして。」
がっちりと彼は受け止められた。
そう言えば探し屋の彼がポチと言う名だったなとイゴルは思い出した。
「……ああ、すまん、しばらく中で色々見ていた。
実に興味深いものばかりだった。
そうだ、水が欲しい。」
ポチは鞄の中から半分水の入ったボトルを出した。
「私の飲みかけですが構いませんか?」
ポチがイゴルにボトルを渡すと、
彼は一気にそれを飲んだ。
生ぬるい水だったが、
「ああ、美味い、水とは美味いものだ。」
イゴルはにっこりと笑う。
死にかけているような様子だったが呑気に笑う彼を、
ポチは学者と言う人種とは初めて話すが、
こんなに風変りなのかと思った。
「先生、こんな時になんですけどレンズは返していただけましたか。」
「ああ、返したよ。管理人みたいな人に渡した。」
「……どんな人でした?」
「白い帽子をかぶっていたよ、それと手袋を一つだけつけていた。」
ポチの表情が変わる。
「……あのう、先生、ところでその人って、その、」
イゴルはその様子を見ておやと思ったがその時だ。
「あっ!」
彼の目に巨大な扉がゆっくりと
砂に変わるように音もなく消えていくのが見えた。
そして赤い岩の博物館自体が幻のように薄く消えていった。
残ったのは岩山だけだ。
二人は呆然とそれを見送った。
そして、
「ああ、先生、思ったより早かったあね。」
後ろから声がかかる。
振り向くとガイドがいた。
「おや、一人増えてる。この人はずっと前にも来たよなあ。」
ガイドはポチを見た。
「前にお世話になったね、急だけど私も帰りを頼めるかい。」
「ありがたいなあ、お足が増えたよう。」
ガイドがにかりと笑う。
そして彼はイゴルを見た。
「先生、すっかりくびれてるなあ、なんか食うかい。」
「ああ、頼むよ、君の言う通り色々と持って行って良かったよ。」
「そりゃなによりだあ。」
ガイドはゴメランを引っ張ってくると、
持って来た食料をイゴルに差し出した。
イゴルが腹を満たし落ち着いた頃に、一団はゴメランで移動を始めた。
前をポチとゴメランを引くガイドが歩く。
そしてその後ろをイゴルが乗るゴメランが行く。
ゴメランの体温は心地良く、眩しい太陽も日よけで遮られている。
ふわりとした乗り心地でイゴルはうとうとしながら
前を歩く二人を見ていた。
彼らは何かを話しているがほとんど聞こえない。
イゴルは博物館の中で見た事を思い返していた。
膨大な収蔵品はあの資料の山に匹敵するかもしれない。
いや、それ以上かもだ。
あれはどこかの生き物が全てを残すように作った、
シェルターのようなものなのだろうか。
何にしても今回の経験を纏めるには、
相当大変だろうなと彼は思った。
あの資料の山の教授にこの経験を言ったらどう思うだろうと。
そして、イゴルは大事な事を思い出した。
「ポチ君、」
彼は前にいるポチに呼びかけた。
彼が振り向く。
「そう言えば君に伝言があるよ。」
ポチの顔つきが変わる。
「悪い話じゃないと思う。
君に謝っていたよ。
戻ったら詳しく話すよ。」
するとポチの顔つきが一瞬で緩んだ。
いったい彼とあの管理人に何があったのだろうとイゴルは思った。
かなりの曰くがありそうだと彼は思った。
話を早く聞きたいと思ったが、
黄昏までにはゴメランは街につくだろう。
着いたらガイドに宿を探してもらって
しばらくゆっくりしてからだと彼は思った。
そして彼に名刺を渡すつもりだったのも思い出した。
だが、
「名刺、置いて来たな。」
落としてしまった名刺ケースは床に吸収されてしまった。
きっとあの名刺も収蔵品となるのだ。
名刺が私の代わりに宇宙の果てまで行ってくれるのだ、
と彼は思った。
彼は目を閉じた。
宇宙とは程遠い明るい暗闇だが、
彼を眠らせるには十分な暗さだった。
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