第7話 マザーシップ
私は辺境の船着場で船を待っていた。
岸壁から見下ろすと、近場の恒星から流れてくる細かな光の粒子が
壁に打ち寄せて来るのが見えた。
透き通ったそこには魚が泳ぎ、その向うに星々の輝きが見える。
この辺りの海はまだ汚れてもおらず、綺麗なのだろう。
今日は凪なのだろうか、
打ち寄せる微かな音はあまりにも穏やかで
聞いていると眠ってしまいそうだった。
「もし。」
ぼんやりしていると足もとから声が聞こえた。
「もし、お聞きしたいのですが。」
するとそこには手の平に乗る程の小さな赤い珊瑚がいた。
「おや、珍しい、珊瑚だ。」
「はい、珊瑚です。」
「乱獲ですっかり減ってしまったが。」
珊瑚は少し身を震わす。
「でも貴方は私を捕ったりしない。」
「ええ、分かりますか。」
「街の人のようですから。」
私はふふと笑った。
「街の人も怖いですよ。お気をつけて。
でも私は貴女を捕りません。
さて、一体何をお聞きですか。」
「ここは岩場ではないのですか。」
珊瑚は少し困惑したように言った。
「昔ここには巨大な岩があったはずなのですが、見当たりません。
ここはどこなのでしょう。」
私はなんと答えて良いのか分らなかった。
私が初めてここを訪れた時は既にこの景色だったからだ。
「なんとも、私はこの様子しか知らないのですが。
覚え違いではないのですか。」
「いえ、間違いはありません。あの岩場の香りがします。
私が生まれた場所ですから。」
「ここでですか?ならばそれ程昔ではないな。」
「ほんの一万年前ですよ。」
私は彼女を見下ろした。
深い色を帯びた体がつやつやと光っている。
この美しさのためにかつては乱獲されて絶滅寸前だった。
そしてほとんどその生態は知られてはいない。
「一万年前ですか?」
私は驚いた。
「ええ。」
なんでもないように彼女は答えた。
私は岸壁から下を見た。
もしここが彼女の言う通り岩場であったなら、
多分この港を作るために削られてしまったのだろう。
宇宙の中の岩場は貴重だ。
船着場にするために大抵作りかえられている。
「お気の毒ですかマダム、多分岩場は既に無くなってしまっている。」
「えっ、でもこの匂いは。」
「この船着場の下の方にはまだ岩はあるかも知れませんが。」
「匂いを辿りにここまで来たのに何てこと、それでは子供が産めない。」
ひどく落胆した様子で珊瑚は呟いた。
「子供ですか。」
私は驚いて聞いた。
「ええ。長い時間海を彷徨い、
やっとその時が私にも来たのです。
それで糸のように細く伸びているこの香りを見つけて戻って来たのに。
もう時間が無い。」
その時、水平線の向うに黒いものが見えた。
どうやら私が待っていた船のようだった。
「申し訳ありません。どうも私が乗る船が来たようです。」
だが、珊瑚は返事をせず、何かを探っている様子でじっとしていた。
「匂いが近づいてくるわ。」
私は船を見た。
輝く海の向うにぽつりとした影が見える。
空にも何も無く、近づいてくるものはそれだけだ。
やがて船は近づいて来た。
見上げるほど大きなその船は奇妙なまだら模様をしていた。
「この香りよ、これだわ。」
岸壁にしがみついている珊瑚はひどく興奮して言った。
「だが、マダム、これは船ですよ。」
「この船だわ。私が辿って来た香りは。」
船には沢山の人が乗っていて、手すりにつかまり景色を見ていた。
誰かが私に手を振る。私も振り返した。
船は音も無く実に優雅に岸壁に近づき停泊した。
そしてどこからか人が現れて船にタラップを付けた。
「いかがされました?」
船上から声が聞こえる。私が見上げるとそこには白い帽子を被った白熊がいた。
「乗船されるのですか?ならばあと三十分ほどで出航ですよ。」
私は彼の肩に輝く肩章を見た。
どうやらこの船の船長のようだった。
「失礼ですが、船長ですか。」
「いかにも。」
彼は威厳をこめて返事をした。
「実はお聞きしたい事が。」
私が彼に言うと、船長はちらりと私の下にいる珊瑚を見た。
「私もお聞きしたい。そこにいるのは珊瑚ですな。
お知り合いですか。」
「いえ、通りすがりなのですが、不思議な話でして。」
「分かりました。今そちらに行きましょう。」
白熊船長の頭が消えると、すぐタラップに現れた。
彼はにこにこと笑いながら近づいてくる。
「ここで珊瑚に出会えるとは。」
「ご存知なのですか。」
「当然。これほど美しく貴重な生き物はいない。」
彼はうっとりとした目で珊瑚を見た。
少しばかり珊瑚が身を震わせる。
「実は……、」
私は彼女から聞いた話をした。
この船から彼女が生まれた岩場の香りがすると。
すると船長は大きく頷いた。
「それはそうでしょう。
この船はこの岩場から作られたものですから。」
「岩場から?」
「ええ、この船着場を作る時に岩場は削られましたが、
それを加工し船にしたのです。」
「そんな事が出来るのですか。」
「難しい技術です。
ですが長い間海水に洗われた岩場は海と馴染みがあります。
絶対に沈まないのです。
そして岩場から作られたせいか、良く御覧なさい、この船体を。」
船長は船を指差した。私は近づいてそれを見た。
「あっ。」
そこにはびっしりとフジツボが付いていた。
そして別のところには違う生き物がついていて、
海に浸かっている所にはいろいろな色の海草がたなびいていた。
「まるで岩場だ。」
「そうです。
いつの間にか色々な生き物がこの船で生活をしている。
しかしこれこそこの船が優秀であるとの証拠です。」
船長は嬉しそうに言った。
すると私の足元の方からか細い声が聞こえた。
「ならば私もこの船で生活出来るのでしょうか。」
珊瑚だ。
彼女が恐る恐る船長に聞いた。
「当然です。
この船は運航しながら海の生命を守っている。
ある意味ではマザーシップですよ。
あなたの気に入る場所を探して御覧なさい。
一時間ぐらいあれば見つかるかな。」
珊瑚は無言で頷いた。
彼女も差し迫っているのだろう。
船長は胸元から通信機を取り出した。
「副船長、ここでの出航を一時間あまり伸ばすよう手配してくれるか。
理由は珊瑚だ。
彼女がこの船で住処を探すからだ。」
少し誇らしげに船長は言った。
するとすぐに艦内放送が聞こえて来た。
大勢の乗客は口を閉じ、そしてしばらくすると拍手と歓声が聞こえて来た。
私は他人事ながらほっとした。
既に珊瑚の姿は無い。自分に住める場所を探しに行ったのだろう。
「船長、大英断でしたね。」
私はすぐそばで一緒に海を見ている彼に話し掛けた。
「そうですな。」
彼は豊かな白髭を太い指で捏ね上げた。
「珊瑚をつけている船の船長はこの世に私ぐらいだろう。
なかなか気持ちの良いものだ。」
彼は嬉しそうに含み笑いをした。
私は一瞬彼の見栄が垣間見えた気がして少し気持ちが冷えたが、
それゆえに珊瑚を大事にするはずだ。
第一いざとなれば船が彼をくびにするだろう。
宇宙を航海する船は全て命を持っている。
強い意志を持ち、それゆえに大宇宙を迷う事無く規則正しく航海する。
だからこそ、船の周りに命が宿るのだ。
船は海を渡り歩き、海の命を守り広げて行く。
それは知的生命体が宇宙を巡るようになり、
大宇宙を乱開発した時代に消える事を避けて船となる生き方を選んだ、
見動きが出来ない岩場の選択だった。
私は船に乗り込んだ。珊瑚はあれから浮かんでこなかった。
どこか良い場所を見つけたのだろう。
船長は機会があれば船体を調べて珊瑚が取り付いた場所を見つけると言う。
私は出来るならあまり騒がれず、
彼女が無事に出産できる事を願った。
汽笛が鳴る。
白い恒星光が揺れる。
穏やかな振動が伝わると船はゆっくりと動き出した。
それは穏やかな母の腕のような感触だった。
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