第3話  資料の山





「イゴル君、来たな、待っていたよ。」


大学の一室で教授が私を出迎えた。

彼は私の恩師だ。

私は彼が好きで時々会いに行って話をしている。


だが今回は彼から呼び出された。


彼は好きだ。

だが呼び出されるのは正直微妙だ。


「早速だが探し物があってな、また手伝って欲しいんじゃ。」


やっぱりなと思った。


「そうですか、そうだと思った。」

「そんな顔をしなさんな。頼りにしてるんじゃよ。」


彼は笑う。


「まあそんな所だと思いました。一応一週間程度の準備をしてきました。

それ以上は私も都合があるので。」

「ああ、全然構わんよ。君でないと駄目だからお願いじゃ。」


恩師の頼みなら仕方あるまい、と私は腹を括った。


「探しているのは超古代文明のfh@oq0hof¥tの資料なんだが。」


彼は資料室のドアを開ける。

すうと風が吹く。

わくわくするような古い書物の匂いだ。


「多分このあたりの書庫にあると思うんじゃが……。」


と彼は見上げた。


壁一面に引き出しがある。

そして横にも上にも無数の引き出し。

右も左も上もその果ては霧で霞んでいる。


「多分中腹辺りだと思う。確認しつつ進んで欲しい。」


凄まじい量の資料だ。


「先生、いい加減に機械化した方が良いのでは。」

「そうしたいのは山々なんじゃが、ここに巨大な機械が入れられんのじゃ。

それに電子化出来ないものもあってな。」


私は登山用具を身に付けて、慎重に引き出しの取っ手を手掛かりに登り始めた。


適当な所で引き出しの目次を確かめる。

いつ書かれたのか薄ぼんやりとしたものは改めて綺麗に書き込んでいく。

この書庫は恐ろしい程前からあるものなのだ。


中には伺い知れぬ生き物が書き込んだものもあり、私にも読めないものもある。

その時は恩師に調べてもらう。


これはとても手間がかかり大変で根気のいる作業だ。

だが私はこのような探したり調べたりするのが好きなのだ。

そして恩師の信じられないほどの深い教養に触れる事はとてもためになる。


だからわざわざ私は来るのだ。


そしてその日は目的の資料は無かった。


薄ぼんやりとした空間で遠い彼方はすべて霧のようなものに包まれている。

音もない静かな世界だ。


私は食事の準備をする。


「そう言えば君、最近どこかに行ったかな?」

「そうですね、タルキ星系の遺跡に調査に行きました。」

「タルキか、原始の宇宙に近い場所じゃな。」

「まだ調査中ですが空間が歪み始めて時間の流れも変わっていました。

崩壊が近いかもしれません。」

「そうか、あそこも昔は華やかな場所じゃったが……。」

「どんな場所でしたか?」

「あそこはなあ……。」


恩師は実に興味深い話をしてくれた。

これもこの苦行の一つの醍醐味だ。


そして次の日も捜索は続く。

そしてその次も。


さすがの私も疲れが出て来た。

その時だ、私では全く読めない引き出しがあった。


「先生、これは何ですか。」


恩師はすぐに近寄りそれを見た。

取っ手の目録には何か書いてあるようだが、私には何も見えない。


「これはこの前君が話してくれたタルキの近くの星系の資料じゃ。

開けてみたまえ。」


私は引き出しを開けた。

中には何もなかったが、突然思念が押し寄せて来た。

タルキを含む近くの銀河の興亡の全てだ。


しばらく私は身動きせず思考を纏めた。


「先生、タルキの人々は高次元に移動したと?」

「じゃろうな、この次元の肉体を捨て高次元の生命体となったようじゃ。」

「銀河の崩壊の見越してですか?」

「それはよく分からん。

だが、たまたまと言うか君がその資料を見つけたのはある意味僥倖じゃ。

持って行きなさい。」

「持って行くと言っても……。」


恩師はにっこり笑った。


「大丈夫じゃ、イゴル君はそれをもう絶対に忘れない。

またこう言うものが電子化できない理由も分かったじゃろ。

今の君の研究に役立つと良いが。」

「当然です、とんでもない資料です。ありがとうございます。」


かなり疲れていたがその疲れも吹っ飛んだ。

だが、その日も目的のものは見つからなかった。


そして私にとって最終日が来てしまった。


「うーむ、この辺りだと思うんじゃが……。」


恩師は困惑した顔で周りを見渡した。


「とりあえずぎりぎりまで探しましょう。」

「そうだな。」


私達が探し始めた時だ。

下の方から声がする。


「教授、探しましたよ。」


数人の学生が上がって来た。


「ずっとゼミがお休みで心配していたんですよ。

話を聞いたら資料室に行ったと言われて。

また遭難したのかと心配しましたよ。」


どうやら恩師が担当しているゼミの学生の様だ。


「丁度良かった、君たちも探したまえ。」


彼らと挨拶を交わし、再び捜索を始めた。


「先生、遭難したんですか?」


私はそっと恩師に聞いた。


「一月ほど前にな、でも大丈夫だったよ。」

「体には気をつけてくださいよ。」


そしてその夕方、


「先生、これじゃないですか?」


ゼミの学生の一人が一つの引き出しを指さした。


「おおこれじゃ、fh@oq0hof¥tだ、良く見つけたな、ありがとう。」


みんなの顔が緩む。

私もさすがにほっとした。


「ならばそろそろ帰るか。

イゴル君は一週間ぐらいいたから私が送ろう。君らは自力で帰れるな。」

「私も自分で下りますよ。」


私は遠慮したが、学生の皆が勧めてくれたので甘えることにした。

確かに伝って帰るには時間がかかるだろう。


恩師は触手をいっぱいに開き、パラシュートのように体を膨らませた。

一本の腕が私を掴む。

そして資料棚から離れるとふわふわと下り始めた。


「イゴル君、助かったよ、長い時間すまなかったな。」

「いいえ構いませんよ。大変でしたけど楽しかったです。

それにタルキ星系の資料もいただきましたし。」


恩師の横広の瞳孔が私を見る。


「私はひと月ぐらいは食べなくても平気じゃが、

ヒトの君はそう言う訳にはいかないからな。」

「そうですね、それに風呂にも入りたい。」


恩師はははと笑った。


「私も楽しかったよ、

それに探求に精進する者には道がひらけていると言う事も分かった。

タルキの資料は君のものだ。」


地上にはあっという間に着いた。


見上げるとやはり霧が立ち込めている。

だがこの奥にはとてつもない知識が眠っている。

資料の山だ。


それをすべて見る事は無理かもしれないが、

知りたいのが私の貪欲なさがなのだろう。


そしてそれに導いてくれるのはあの恩師なのだ。

だがそれにはかなりの苦労が伴う。


これが私が恩師からの誘いを断れない理由だ。

そして少し躊躇してしまう理由もこれなのだ。






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