第6話 きっとうまくいけ
「君は、セレマか?」
赤毛の男が少女に話しかけた。
その時風が舞い、桜の花びらが辺りに散り、少女は振り向く。
そこには幼き日に出会った少年が立派な男性になって立っていた。
いいや、セレマはずっと彼を知っていた。彼を見ていた。
目を惹く赤い髪、多くを知り強い力を持つからこそ固く閉ざされた形の良い唇、勇敢に大剣を振るう逞しい身体。
少年がこのような青年になっていく過程を、セレマは遠くから見守り続けていた。
自分のような女が近づくことは許されない。
それでも彼がいつか疲れた時に傍にいて守ってあげられたのならば。
そういうささやかな少女の夢が、叶おうとしている。
「くぅぅぅぅぅ~~~!」
「どうどう」
聖堂前で再会した二人を肴に、シュリはノンアルコールシャンパンをぐいっと飲んだ。朱里は酒を飲める年齢だがシュリはダメなので、ロビンに取り上げられた。
「魔法の杖よ、二人の会話をこっそり聞かせて」
聖堂の屋根の上にいるシュリたちには声が聞こえない。
そういう時は魔法の杖である。杖に願うと、セレマたちの声が隣にいるように聞こえてきた。
『君は今年いくつだ?』
『十七になります』
『……学校生活に興味は無いか?』
『え?』
『今、この学園は選ばれし者にしか開かれていない。だが私は生まれ持った身分や親の財産が子供の未来を左右することを、国や特権階級の者が是とする世の中ではいけないと考えている。学校や教育は万民に必要だ。だからまずはこの学校に、より多くの若者が通えるようにしたい』
『素晴らしいお考えですエルリッヒ様』
『ふっ……五年前、君が言ってくれたことを私なりに考えていただけさ。君のおかげだ、感謝している。
だからセレマ。この学園の生徒となってみないか?』
「杖!勝訴って紙出して!」
興奮した患者、もといシュリの叫びに呼応して、一枚の紙が目の前に現れた。それを両手で持ってロビンに見せつける。
「鬱陶しい!屋根から落ちんでくださいよ!?」
ロビンは紙を奪いとり破こうとするが、分厚いグミのような不愉快な弾力があって破けない。
「また使うかもしれないから持っておいて」
シュリはこちら側のどこからでも切れます、という詐欺の常套句を思い出していた。ついでに本日の意地悪ポイントを稼ぐために不必要な荷物を押し付ける。
「やっぱりエルリッヒは最高の男よ!そのままセレマを抱きしめて!……優柔不断なのが可愛い所だけど、そうじゃなくても素敵ね」
盛り上がるシュリをよそに、エルリッヒは『では仕事に戻る』と従者達と共に聖堂の中へと入って行く。
セレマもまた再び周囲の清掃に戻るのだった。
「仕事人間か?それってセレマを片手で抱きしめながら出来ないんか?」
「文字通り片手間に愛することになりますが」
「は??????許せん!!!!!」
「俺に言われましても」
こうして再会イベントは上手く行った。
(ただ新月の晩に聖堂へ行くイベントが消えちゃったのよね。セレマは清掃員じゃなくなったし、深夜に一人で掃除しろって意地悪されなくなったもの)
シュリは一応新月の晩に聖堂に行ったが、当然何も起こらず、セレマに杖を与える太陽のような妖精の美女も、例の老人も現れることはなかった。
「魔法の杖に聞いてみようかな」
「利己的過ぎると昔みたいに妖精が取り返しに来ますよ」
「それはそれでセレマの元に行くだろうから別に。あ、逆に利己的に使いまくると吉……ってコト!?」
「無敵か?」
そういえば、とシュリは気がついたことがある。お茶を淹れに来たメイドが下がってから、こっそりとロビンは話しかけてきた。
彼は基本、他の使用人と喋らない。
「ねぇ、なんで他の家の人と話したりしないの?」
ロビンはわかっていないなぁ、と言いたげにため息をついた。
「あのねぇ、俺いきなり従者に抜擢されたでしょ。しかもこんな立派なお洋服まで着せられて、一人で」
「だって庭師の服、汚かったし」
(そういえばエルリッヒは従者を何人か連れていたわね)
「庭師の中では清潔でしたよ!ともかく、使用人にも格があるんですよ。長年仕えてるとか親も働いてたとか。なのに余所者で五年くらいしかいない俺がお嬢様付きになっちゃったもんだから、気まずいんすよ」
「あー、わかるんだけど、あたしも入社一週間目で室長にされて派遣のくせにって睨まれたのよね。だからなんというか、うるせぇ!!!!!!が先にきちゃうからあんたは優しいね……」
(文句言うなら代わって!って叫んでもぶつぶつ文句言うだけで、皆仕事も手伝わず責任も取らずだったしね。ブラック企業ってそんなもんよ。派遣のあたしが室長にされたのは昇給しなくていいからだしね……)
「ろくでもない話ってのはわかります」
遠い目でぼんやりと空を見るシュリの様子に気がつき、ロビンはとりあえず労わることに決めた。
「でも優しいんじゃなくて、波風立てたくないんです。俺は……世界の片隅でこっそり生きていたい」
寂し気な横顔だった。
笑っていてほしい、と願うくらいには。
「……でもお金には?」
「抗えない!今更俺を外さんでくださいよ!?」
一気に現金な生き物にクラスチェンジしたために、シュリの方こそがにやにや笑って彼を見た。
「ポイント稼げそうだから、辞めさせはしないけど時々揺さぶろうかしら」
「それはちょっとマジで底意地悪くないすか!?」
そうして次のくっつき作戦のためにラブレー家のパーティにセレマを呼んで、二人を再び中庭で出会わせたってわけ。
回想終わり!
今までの数日を振り返り、シュリは腹ばいになっているベランダでのそのそと蠢く。おおよそ貴族令嬢どころか一般人としても見れない姿である。
「あんまり床こすらないでもらえます?あ……遅かったか」
魔法の杖は床材と相性が悪く、床に引っかいたような傷が残ってしまった。杖の方は無事である。
「杖よ、修繕して」
ぺかっと光ることもなく、あっという間に床は綺麗に修繕された。
「馬鹿野郎がよ……」
「どんどん口悪くなってく」
「この紙だって破けないし文字も書けないし捨てても手元に戻ってきますし」
とりあえずの保管を託した勝訴の紙をロビンは嫌そうに懐から取り出した。四つ折りまでは出来るらしいが、それ以上の干渉は何であっても受け付けない。
まさしく魔法の勝訴の紙だ。
勝訴ぉー!と叫びながら掲げるしか使いどころがない以外文句は無い。
「悪かったわよ。まさか魔法を使う時は消え時とかも考えないといけないなんて思わなかったんだもの」
「花びらと落ち葉も消してから手動で集めなおしましたもんね……」
シュリはそこまで話すと、ふむ、と考え込んだ。
「……マクロを組もうか。基本的に魔法生成物は一定時間経過で消失するようにしておけば、いちいち手動操作や思考を割く必要が無いし」
ロビンは驚愕の表情で黙り込んだ。
「あらどうしたの?」
「賢い人みたいなこと言ってる……!?」
「効率化については一家言あるの!社畜だったから!!」
シュリは気を取り直して、床に気をつけながら杖を振る。
「ともかく場を盛り上げるわ。魔法の杖!野球の応援とかする時のアレ出して」
魔法の杖は正しくシュリの思考を読み、メガホンが出現する。
彼女はそれを高らかに吹き鳴らした。
ぶぁぁぁ~~~~、ぶぁぁぁ~~~~、バンバンバン!
「かっ飛ばせ~~エルリッヒ!!!」
「何やってんだバカ!!!!!!!!!!!!!」
「うわビックリマーク多い」
「ほら見ろ、困惑しちゃってんじゃないすか!」
お叱りを受けて中庭を見ると、確かに二人はきょろきょろと見回している。
「あれ、おかしいわね……母さんがこうやって応援したらホークスの下位打線がガンガンヒット打っていったのに」
「新手の祈祷師か何かか?残念ながらその血は受け継がなかったんすよ。つかもっとこう……あるだろ」
「例えば?」
「え、あんたが二人をくっつけたいって言うんだから、ロマンティックなあれこれの備えとかあるんじゃ」
シュリは黙った。黙るしかなかった。
いちゃいちゃの引き出しが、無い。
頭の中で二人はにこにこ笑っているのだが、その前後も中身もまっさらだ。
「……わかった、じゃああんたがしなきゃいけないのはロマンスの研究です」
ロビンは険しい顔で斬り捨てた。
「待ってよ、あたし少女小説で育ってきた乙女よ?今更勉強なんて」
「馴染みがあっても身についていないなら無意味だろ」
「はい……」
ここまでの正論、そうそうない。シュリは甘んじて受け入れた。
「この場は適当に花びらとか」
「なるほど!魔法の杖よ!お花をお願い!」
椿の花がぼとぼと!と十秒間、雨のように中庭に落ちてきた。百個は超える椿の花である。
「絵面が悪い……」
「術者のイメージって重要なんすよ。あんたの中に良い感じに花びらが舞うイメージが無かったからこんなことに」
セレマとエルリッヒは、絨毯のように積み重なる椿をかき分けて移動している。
「しまった、魔法の杖、二人の会話を聞かせて!」
『シュリの嫌がらせか?あの女……』
『シュリちゃんは意地悪なんかしないですよ。悪戯だと思います!』
『……いいから来なさい』
「手を繋いだわ!あ~すぐにほどいた……おバカ……」
避難させるために繋がれた手は、すぐさま離された。
「エルリッヒ様もまさかバカにバカ呼ばわりされてるとは思わないでしょうね」
「それはそう」
(でもほら、花なんかなくても機会さえあればどんどん仲良くなってる。
シュリとエルリッヒの婚約は約一年後。それまでに二人をくっつけることなんて余裕ね!)
「今都合のいい妄想繰り広げてませんか?」
「な、なんの話かなぁ!?」
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