第7話 君を知らない
「時間はあるか?」
シュリは突然、エルリッヒ本人に声をかけられた。皆が大貴族であるシュリに道を開ける学園の廊下で、である。
貴族は大半のことを従者にやらせ、その間しらっとした顔で待っているものだ。シュリのように自分で着替えたり話しかけたりはしない。
そんな彼が声をかけてきたことを、シュリは好ましく思った。彼の周囲の従者達はおろおろとしているけれども。
「ごきげんようエルリッヒ」
こちらもロビンに返事させず、そのまま応答する。誠意、というやつだ。
正しくエルリッヒに伝わったのか、眉間の皺はそのままに多少雰囲気が和らいだ気がした。
(会話の中でさりげなくセレマを印象付け、なおかつセレマとデートさせられるような仕込みをしないとね。パーティーばかりじゃ芸が無いし、疑われるかも。かといってセレマ達に懐かれすぎても困る。こちとら悪役令嬢なんだから)
「時間はあるけれど、内容にもよるわ」
エルリッヒは、意味が分からないというように眉をしかめた。
「乙女の自衛に理由が必要?」
(いい人じゃないから簡単に誘いには乗らないわよ、ってこと伝わったかな?)
「あ、あぁ、そうか。いきなりの呼びかけにおいそれと答えることは淑女にとって危険だな、うん。配慮が足りていなかった。学ばせてもらった」
(素直か??そうきたかー)
エルリッヒは本当に感嘆を受けたようにしみじみと頷いている。
ロビンは小声で「あの」とシュリに話しかけた。
「セレマが見ています」
その言葉を聞くと同時に全ての神経を集中して周囲を見渡す。確かに窓の外、休憩所に桃色の髪を発見した。
セレマはシュリの目線には気がつかずに、何とも言えない表情で去ってしまった。
「セレマがまた勘違いしないように彼女を導いて!あたしの関与は隠してね」
「無茶ぶりしますな。傍にいなくていいんすか?」
「エルリッヒ様はあたしを傷つけるようなことしないって」
「そうじゃなくて……まぁいいや」
言いたいことを途中で切り上げて、ロビンは命令に従いその場を離れた。
従者と話し込んでいたエルリッヒはそれに気づかず、手元にはいつの間にか一枚の紙を持っている。それに目を通してからシュリに差し出した。
「これだ」
従者を介さない二人だけの手渡しに、何故か貴族の少女達が控えめに「きゃあ!」という黄色い声を上げた。
(これは控えた方がよさそうね)
計画書というか立案書というべきか。そういう類の草案に一通り目を走らせる。
「コースの中途移動について、ね。あたしの意見が聞きたいということかしら」
エルリッヒはどうやら本当に学園の改革に前向きのようだ。
(待って、この改革の中核になんとかセレマをねじ込めないかしら。一般人代表も必要よ!とか言えば行ける気がする。こいつ素直だし)
「様々な立場の生徒から意見を募っているんだ。お前も参加してくれ」
(知恵袋とか相談相手的な意味でロビンにいてほしかったわね。あいつこういうことを予期してたのかも。でもあいつによりかかりたいわけじゃないから、これくらい自分一人でやらないと)
シュリはいけ好かない女ムーブを頭の中に思い浮かべ、その通り演じてみせた。
「いいわ、あたしも色々思うところがあるもの。暇だし手伝ってあげる」
「助かる」
上手く行ってないようだった。エルリッヒはどこか嬉しそうだ。
(嫌味度足りなかった?もしかしてツンデレだと思われてる!?)
「お前は案外真面目で付き合いがいいな。私はどうも相対する者の口を閉ざしてしまうから、お前くらいはっきり言ってもらえると本当に助かる」
「……学園を裏から乗っ取るための仕込みだけど?」
馬鹿みたいな何かがシュリの口から勝手に出てきた。
(ロビン、どうして今ここにいないの?いやあたしの命令だけど……ツッコミがいないとバカがバカのままってわけ)
「はは」とエルリッヒが笑った。
すぐに口元を手で覆い、咳ばらいをして誤魔化す。だが耳が少し赤らんでいる。
(笑われた……何故あたしがこんな辱めを……?)
※アホなことを言った自分のせい
一方ロビンはセレマを追おうと休憩所まで来たところで、周囲の貴族の少女達の会話が耳に入ってきた。
「エルリッヒ様があんなふうに笑うの初めて見ましたわ」
「わたくしもです。流石はシュリ様ですわ」
(不穏だな!?あの人またなんかしたんか?そんな面白い所見たかった……指さして笑ってやりたかった……。いかん、今はお仕事だ。たんまりお給金貰えるんだから、無茶苦茶な命令でも従わないとな)
「いたいた。あ、やべ」
ほどなく見つけたセレマは、なんと校舎裏で生徒数人に囲まれていた。
「あんたエルリッヒ様やシュリ様とどういう関係?」
「生意気よ孤児のくせに!お二人と会話するなんて何様!?」
「あんたの身分じゃお言葉を交わすことすらおこがましいってわからない!?」
(うわ~コッテコテのいじめじゃん。お嬢様なら突撃してたかも、いなくてよかった)
「シュリちゃんはお友達だよ!」
(アホか?火に油注ぐのは楽しいか?……楽しいな)
「はぁ!?」
一人がセレマの胸倉に掴みかかった。ロビンは面倒だが仕事だし、とボウガンを取り出していじめっ子達の真上の木に向けて矢を放つ。
そこには腐りかけの果実があった。それが掴みかかった少女の頭の上に落ちて、ぐしゃっと潰れる。痛みは無いだろうけれども。
「なにこれくっさ!」
腐敗した果実が髪や制服に付着して、目を吊り上げて騒いでいた少女達は一気に涙目になり、ハンカチなどで拭うがそうそう染みも臭いもとれない。
「制服どうしよう……」
「これしか買えなかったのに……」
一人が半泣きになると、全員が伝染したように泣き出す。
「この実なら大丈夫!制服はお湯につけおくと色と臭いが落ちるよ。髪の毛とか肌は逆に、冷たいお水でこすらないように拭うといいよ!家庭科室なら私より詳しい先生がいるから、お湯も頼んでみて」
セレマは動揺することなく少女達に話しかける。
「家庭科室!わかった?」
不安そうな彼女達にもう一度短く、強めに声をかける。すると少女達は正気に戻ったように頷いた。
「う、うん……行ってみる」
そうしていじめっ子のはずだった少女達が駆け足で去って行った。
セレマは彼女らしからぬ怒気を含んだ目線を真っすぐロビンに向けた。
(あれ、矢がバレた?おかしいな)
そのままセレマは、確実に彼女から死角の場所のロビンの元へ歩いてきた。
「……助けてくれてありがとう。でももう二度と、あんなことはしないで」
ロビンは大人なので、なんだよそれ、とはぐっとこらえて口にしなかった。
「私は意地悪は止めてほしいけれど、意地悪を言う人に酷いことが起こってほしいわけじゃない。あぁいった方法でしか私を助けられないのなら、もう放っておいて。私は自分でなんとかする」
「はぁ?」とだけ勝手に口からは出た。
(なんだそりゃ。助けてやったのに何で俺が叱られてるんだ?)
「でも助けようとしてくれたのは本当に嬉しいの、ありがとうロビンさん」
そこでセレマは照れたように笑った。さっきまでの迫力はどこかへといってしまったようだった。
「俺の名前覚えてんすか」
「シュリちゃんのお友達だもん」
自信気に答えたセレマは、宇宙猫になったロビンを放って軽やかに駆けだした。
「お礼は今度改めてするね!私も一応家庭科室行くからこれで」
「って感じっす」
合流したシュリに報告を終え、ロビンはため息をついた。
「フラグ立ってない?」
シュリは修羅の顔で問い詰める。
「何言ってんだあんた。むしろ……無理だわ、あの女……あ」
やべ、という顔の従者をシュリは責めはしなかった。わからないか……お前らにこのレベルの話は……というやれやれ顔を披露している。
「ま、セレマってある種の人間には猛烈に嫌われるタイプの子だからね」
「推しを嫌われても余裕な感じなんすか」
「あたしは推しの全肯定マシーンじゃない。それに、悪いところも嫌われているところ全部ひっくるめてセレマなの。美化も否定も彼女を歪めるだけ。あたしは書かれていることを信じている。あたしの頭の中の声には耳を貸さないようにしているのよ」
シュリはそれはそれは楽しそうに語り始めてしまった。
「魚眼レンズもエフェクターも、加工する時にはいいでしょうね。でもそれを標準にしてしまったら、セレマ本来の良さを見逃してしまうわ」
「はぁ」
「オタクの長文語り引くわ~って顔してんじゃないわよ」
「まさしくそう思ってました」
何よ、と言いながらふとシュリは指を見る。今日は全く透けていない。
「オタクの長文語りを立場を利用して強制的に聞かせたのがパワハラ判定下った?」
「俺的には確かにパワハラです」
「なるほどねごめんなさいね!」
「……本当に苦手です、あぁいうタイプ」
念を押すようにロビンは呟いた。その苦々しい顔は嫌悪ではない、侮蔑でもない。確かに正しく苦手なのだとシュリには感じられた。
(あたし、こいつのこと全然知らないかも)
知らないと気づいたことは、往々にして知りたいと感じたことである。
シュリはロビンのことを知りたい、と思い始めていた。
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