第12話
空腹で自転車を漕ぐ足がふらつく。財布を見てみると、百円玉が二枚。
何度見ても同じ。
途中のスーパーで安いパンを買う。飲み物は、いつもの水筒に水道水。
昼食の時間になると、教室を出て行く。仲良しごっこはいらない。自分から避けないと、勘違いする親切同級生が声を掛けて来る。
学校の屋上が居心地良いと知ったのは最近の事だった。ここにいるのは、仲の良い友達しか受け付けないグループや私と同じように孤独を欲している一人ものばかり。
まるで、はみ出し者のゴミ捨て場。
でも、そんな所が気持ち良い。
あれ?
そんな中に、この前自転車置き場で話し掛けて来たあの女子生徒がいた。彼女もひとりでパンを食べている。
私は、視線を逸らし、パンに食らい付いた。口をもぐもぐしながら、ちらっと彼女を見る。ちょっと視線が合った気がした。慌てて、また逸らす。
少し多い雲が太陽を隠し、暑さが多少和らいでいる。でも、この暑さの中、よくみんな屋上に来ようとするものだ。汗掻きながらご飯を食べる場所じゃないと思うけど。
「この前は、ごめんなさい」
自転車置き場で声を掛けて来た子がいつの間にか目の前に立っている。
「横座っていい?」
「うん……」
断る理由は無い。
私達は、しばらく黙ったままパンを食べた。
太陽が屋上に形作った雲の影が走り去り、強烈な熱が制服をじりじりと焼く。
「……どこかのおじさんとね、歩いている所を見たの」
パンが入っていたビニールを丸めながら言って来た。
「それ……。親戚のおじさんで……」
一応、予定していた言い訳を言い始めた。
「そうなの。じゃあ、私の勘違いかな」
「勘違い……」
「そうね。まず、私から話さないと瀬南(せなみ)さんも言えないわよね」
「……」
「私ね。パパ活してるの」
心臓を鷲掴みにされたような感じ。一気に汗が引き、心臓から熱気が噴き出て来る。
そんな私の表情を見た彼女は、慌てて片手を振った。
「瀬南(せなみ)さんも同じ事してるとは言わないわよ。私がそういう事をしてるってだけだから」
「誰かに見付かった事は無いの?」
焦って聞く。
「うん。ホテルで待ち合わせだから、同級生とかいないからね」
更に驚いた。という事は。
どうして、この子は私にそこまで話してくれるのだろう。
「私は……、まだ食事しかしてないから……」
私も素直に白状する。
「あ、そうなんだ。じゃあ、私の早とちりかあ」
「早とちり?」
「そう。早とちり」
ひとり言のように呟く。この子の声は、どこか透明感があって耳障りが良い。すっと心に届いて来る。
「でも、パパ活はしてるんだね」
「あ、うん。そうね」
巧みな誘導尋問か、それとも本当に私も同じ事をしていると思ったのか。
「そうか。でも、同じパパ活仲間と思っていいのかな?」
大きな括りでは間違っていないとは思う。只、自分は、まだ体を許していないという自負もどこかに残る。
「ごめんね。同じにされたくないわね」
この子は大人だな、と思った。相手の気持ちを汲み取る優しさを持っていて、場の空気をコントロールする術(すべ)を身に付けている。
周りから見たら、私もそうなんだ。中年親父の欲望の為に自分の時間を切り売りしている事に変わり無い。
「ううん。私も同じ。パパ活をしてお金を貰っている。駄目よね。こんな事……」
「駄目?」
怪訝な顔をする。
「……私は、そう思わないわ」
意外な返事。
「勿論、こんな事はやりたくないわ。普通なら、やるようなものじゃないわ。でも、私にとっては、他に選びようが無かったの。生きて行く為の選択肢として普通に選べる状況にあったから、その方法を選んだだけ」
私は驚いた。自分がやっている事をそこまで前向きに捉えて無かったからだ。
「私ね。両親に早くに死なれて、今、親戚の家をたらい回しにされてるの。遠くの親戚だったら、学校まで一時間半は掛かるわ。だから、卒業したら自分で働いて生活しなくてはならないの。親戚の人達は、大体、そんな必要は無いって言ってくれるけど、心の中はどう考えてるか分からないわ。私が受け入れる立場だったら、ウェルカムだとは思えない。だから、今の内からどうしても稼がないといけないの。勿論、バイトもしているけど、それだけじゃ、安心出来無いわ。高卒でそれなりの給料を期待出来る所なんて少ないしね。下手したら就職出来無くて、バイトを続けないといけないかもしれないし。こんなの変かな?」
「いえ、変じゃ無いと思う。私だって、家の事情でしているけど、私は精神が病んでいるから、バイトもそんなに出来無くて、運良く声かけて貰った人に助けて貰っているって感じ」
「え? 相手の人、アプリで探さなかったの?」
「うん。向こうから声掛けられたの」
「それ、逆に怖く無かった?」
「うーん。少しはあったけど、誘われたのが駅前のお店だったから、大丈夫かなって思って……」
「そうなんだー。でも、あそこだったら人目あるしね」
「そうなの。この前見られたみたいだから、今は人気の少ない場所で待ち合わせしてるんだけど」
「でも、そうなると、今度は変な人に襲われないように気を付けないといけないんじゃない?」
「一応、気を付けてはいるけどね」
「そーなんだー」
「声掛けられてびっくりしたから」
「何が? あ、私が自転車置き場で声掛けた事? ごめんね。ちょっと嬉しくなって、つい瀬南(せなみ)さんを追いかけたの」
「嬉しかった?」
「そう。ひとりで活動してると、寂しかったの。自分はこんな事していいんだろうかって……。勿論、さっき言ったように後悔はしてないんだけど、さすがに話し相手くらいは欲しかったの」
「それは、分かる気がする」
「でしょ? だから、あの時嬉しくて話し掛けたのよ」
「そうなんだ」
「でも、瀬南(せなみ)さん、何も言わずに自転車に乗って行ったから、迷惑掛けたんじゃないかって思ってたの」
「でも、今日も声掛けたじゃない?」
「だって、瀬南(せなみ)さんが私の方をちらちら見ていたから、大丈夫かなって思ったのよ。違った?」
「いえ。あの時、悪い事したなと思ってたの。怒ってないかなって」
「それなら大丈夫よ。私の方が瀬南(せなみ)さんを困らせてしまったと思ってたのに……」
本気の謝罪。そんな事無いのに。
「あの。ごめんなさい。私、名前知らなくて……」
「あ、そうね。名乗った事無かったよね。ごめんなさい。私は、澤木(さわき)って言うの」
澤木(さわき)さんは、私に無い光彩を放っていた。
歳の離れた男性とのお付き合いを当然の事として受け止め、それを自分の糧に生かして行く。話を聞く毎に、私との違いに驚かされた。どうして、同じような苦しい家庭環境でこのような差が生まれたのだろうか。
「だって、悔しいじゃない」
意外な言葉が彼女の口から吐き出された。
「今のパパさんに会う前は、将来の事全く考えられなくて……。毎日が苦しくて、辛くて、いつか絶望に包まれて自殺するんだろうなって、毎日毎日思ってたの」
私と同じ。
「でもね、携帯でバイトを探していた時、パパ活っていうのがあるって知ったの。良いおじさんだったら、食事だけで結構な稼ぎになるって書いてたけど、そんな上手い事無いだろうって半信半疑だったの。最初はね、何人かのパパさんと会ってお茶とか食事で会ってたんだけど、やっぱり、大体のパパさんが求めるのって、そう言うんじゃ無いのよね。私にその気が無いって分かると、連絡が無くなる事が続いて、その度に新しい人を探すのも疲れて来ちゃって……。誰かひとり良い人がいれば、ホテルもいいかな~って思ったの。幾ら、お金を貰えるからと言って、何人も相手にするのは大変だし、それだけ病気とか不安が増すからね」
「それって、躊躇しなかったの?」
「ちょっと、考えたけどね。でも、結局、私の方だって我が儘言ってる場合じゃ無いって……」
「それって、我が儘なのかな」
「今ってね。パパ活する女子高生は、たくさんいるのよ。勿論、活動の内容は色々あるけど、余程の美人じゃないと、すぐ飽きられて捨てられるの。若いってだけじゃ、通用しない。現実を知らされるだけよ。メンタル潰されるだけなの」
「若くてもそうなの?」
「うん。最初は食事だけでいいって言ってても、男が自分の欲望を押さえる事が出来るのは、最初の三十分だけよね。結局、私の体を求めて来るの。特にふたりきりになったら、間違い無く行動に移そうとする。幾ら中年でも、男を相手にするんだからね。私はいつも全力で抵抗するの。言葉で止めてくれるのは、ほんの僅かしかいないの。それを、何人も相手にするのって、私はきつくて……。だから、もうひとりにしようって、信頼出来るひとりだけとなら、まだ自分も納得出来るかなって感じね」
びっくりだった。
澤木(さわき)さんは、女性の私から見ても、とても可愛くてスタイルも良い。そこまでする必要は無いと思ってたけど、そんな子なりの大変さもあるんだ。
でも、それでも気を付ければ食事だけで何とか続けられるんじゃないか。
「見る?」
私の考えを感じ取ったのか、澤木(さわき)さんは左手首をくるりと回して見せた。
「あ……」
薄く細い線が何本か肌の上を走っている。
「根性無しの躊躇(ためらい)い傷……」
澤木(さわき)さんは、ぽつりと呟いた。
「毎日苦しくて、でもどうしようも無くて、逃げ場所が無くて、それでもひと思いに死ぬ勇気は持てなくて……」
苦しんでいる人は、私だけじゃない。
「私、自分を大切に思えなくて……。でなければ、こんな事してないよ。生きてるだけで辛い。でも、死に切れない。何人もおじさん相手にして、嫌な思いをし続けるのなら、ひとりだけ良い人見付けて、長く続ける方が自分にとって良いんじゃないかって思うの。あ、勿論、瀬南(せなみ)さんも同じ事した方が良いとは言わないよ。これは、私の考えだから。瀬南(せなみ)さんは、今の人と食事するだけで良いんだったら、しないに越した事は無いからね。私は、お金を沢山貯める為にしているんだから」
「お金貯めて、どうするの?」
「東京に行くの」
「東京?」
「そう。東京に行って、ひとり暮らしするの。東京なら、仕事もあるし、普通の仕事が無くても、若い女の子ならそれなりに稼ぐ方法はあるからね」
東京でひとり暮らし。その言葉は、私の胸にすんなり入り込んで来た。とても、素敵な響き。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます