第10話

 幹線道路沿いの大型商業施設にある映画館。

 私の町からは少し遠い。自転車で大分掛かるけど、近くの映画館は、地元の人が集まるから避ける事にした。

 夏休みに入っているとは言え、夏期講習という名の授業が普通に行われているから、今の所、夏休みを満喫出来てないけど。久し振りの遠出だけど、ラフな服装にしておいた。気合を入れた格好にして、大辻(おおつじ)君に変な期待をされても困るからだ。

 あまり興味無かった恋愛映画。大辻(おおつじ)君に何を見たいか聞かれたけど、SFは難しいし、スペクタクル系は疲れそうだったから、無難な恋愛物にした。

 主人公の女子高生が前向きな性格を武器に、サッカー部で幼馴染みの先輩と野球部でレギュラー目指して頑張っている同級生との複雑な恋愛関係を描いた作品だった。その余りにも自分の境遇と性格の違いに終始白けっぱなしの二時間だった。

 只、それ以外にも、映画に集中出来無い事があったのが大きいが。

 連(れん)君に言われた事が頭に残っている。

 津々木(つづき)さんに貰ったお金は、ずっと叔母さんの家の床下に隠している。見付からないように夜に行っている。元から、津々木(つづき)さんとの食事が終わるのは夜遅くなんだけど。それを、どこかから見られていたという事。

 あの日、叔母さんの家を出た後、時間を置いて、念の為こっそり戻って床下のお金を確認したけど、無くなってはいなかった。でも、気付かない内に隠している所を見られる可能性だってある。どこか別の隠し場所を探さないといけない。

 頭の痛い問題がまたひとつ増えてしまった。

「いや~、面白かったですねー」

 大辻(おおつじ)君は、映画終わりの喫茶店でニコニコしながら感想を言った。私の紅茶代は、半ば強引に大辻(おおつじ)君が払ってくれた。

 気分的に笑顔を作る気になれない。

「あのラストはびっくりしたんですけど、女の子ってああいう考えをするんですか?」

 最近の映画にありがちな少しモヤモヤする展開で終わったラストに対するちょっとした不満。まあ、普通ならそう思うだろう。私は、天真爛漫だという設定の主人公が最後に選んだどんでん返しに現実味の無さを感じて、何の感慨も残らなかった。

「そうね。ああいう経験は私もした事無いけど、女の子って情で選んじゃう所があるから、有り得なくも無いかも……」

 大辻(おおつじ)君は、それを聞いて「そうなんだー」と呟きながらコーラをストローで吸い上げた。

 今日の大辻(おおつじ)君は、いつもバイトで見せる沈鬱さが吹き飛んでしまったかのようだ。

「女の子は、気が多いものよ」

 心配事も男よりも多い。力の弱い女性は、男性の有形無形の威圧に恐れながら生活している。男性は、自分をジロジロ見る不快な視線を経験しない。その視線の主が何か変な事をして来ないか心配になる事も無い。夜中に待ち伏せされたり、後を付けられたり、異常に近付かれたりもしない。男性のストレスのはけ口として、女性を見下し、暴言を吐きがちな事も知らない。突然、変態が近付いて来て不快な思いにさせられる事も無い。そんな女性だから、安全安心出来る存在があれば、見てくれよりも重視するのは当然ではないか。

「そうですね。でも、主人公はハッピーエンドで終わって欲しかったなー」

 大辻(おおつじ)君は、無邪気に言う。私を見て、満面の笑みを見せた。

「あら、それだとありきたりじゃない? それに最近の観客はハッピーエンドに飽きてるのよ」

「俺は、ハッピーエンドがいいな」

 私は、つい笑ってしまった。まるで、子供だ。よく聞くけど、男の子って、そういうものなんだな。

「瀬南(せなみ)さんがそんなに笑うなんて、初めて知りましたよ」

 驚いた。確かに本気で笑っていた。

 不思議な気持ち。一緒にいる相手が楽しんでくれると自分もこんなに楽しくなれるなんて。何だか、さっきまでの塞いでいた気分がどこかに飛んで行ったみたいだ。

 どうしてだろう。これは、大辻(おおつじ)君だからなのか、それとも誰か他の人でも同じなのか。でも、津々木(つづき)さんといても、こういう気分になる事は無かった。津々木(つづき)さんは、とても優しく、信頼出来る人ではあるけど、心を寄せ合う相手と言えないのは事実。

 津々木(つづき)さんは、間違い無く安心出来る相手。でも、自分の将来を託せる相手では無い。

 こういう気持ちを持てる相手とずっと一緒にいれたら……。

 結局、そこなんだろう。

 自分がその人と何年も一緒にいれるという想像が出来る相手が必要なんだ。

 どんなに仲良くなっても、津々木(つづき)さんと人生を共にする訳にはいかない。津々木(つづき)さんには、自分よりも大切な家族がいる。でも、大辻(おおつじ)君と何年も過ごす事は出来る。後ろめたさを抱かず、一緒に街を歩き、映画を見て、喫茶店で屈託の無いお喋りをする。

「今度は、みさとランド行きませんか?あそこのジェットコースターが意外と面白いらしいですよ」

 電車で三十分の所にあるテーマパークの事だ。それ程、有名じゃ無いけど、この地域で家族連れが行く所はそこしかない。

「あの……。誘ってくれるのは嬉しいけど……。前にも言ったけど、私、自分で使えるお小遣いが無くて……」

「あ、そうですね……」

「ごめんね。でも、別にどこか特別な所に行かなくても、のんびり散歩するだけでも楽しいから気を使わないでね」

「そうですね。じゃあ、今度はあまりお金を使わずに散歩しましょうか」

「うん。その方が気楽でいいわ」

「分かりました」

 あ、今気付いたけど、これ、次も会う事前提になってる。


 勿論、授業なんか頭に入らない。

 クーラーが動いているのに、夏の暑さに負ける教室。じんわりと汗がシャツに滲み、体が重く感じる。

 この不快感、自分だけじゃないよね。みんなも同じ思いでいるよね。

 塞ぎがちな自分の精神に疑問を持つと、自分が普通じゃないって思って来る。今の状況を他のみんなはどう感じているのか、自分が考え過ぎなのか不安になる。私の今の感情が周囲に合っているのか間違っているのか不安だらけだ。

大辻(おおつじ)君との映画は楽しかった。素直にそう言える。大辻(おおつじ)君も悪い子では無い。人の嫌な面を見た事ないピュアな子だ。私を不快な気持ちにさせない。勿論私に危害を与えるなんて事は無い。そういう人と一緒にいると、いつもの不安が姿を消して行く。

 学校でそんな人と出会えるとは思っていなかった。登校し、授業を受け、帰るだけ。つまらない毎日のローテーションと一向に浮上しない私の精神状態。学校での私は、ほぼ無。流れるままに椅子に座り、一日を過ごす。万年空腹の身にゴマ粒程の力も入りようが無い。誰かと楽しむ事も話す事も歩く事さえ億劫な時間。一秒一秒が只過ぎるのを待つだけ。

 そんな人形みたいな私に興味を持つ人間なんていないと思っていた。私といて楽しんでくれる人なんて現れる筈無いと。でも、大辻(おおつじ)君は現れた。無口な私と頑張って会話をしてくれ、表情の無い私を前に楽し気に笑ってくれた。それに釣られて、私の心も動かされた。

 私と一緒にいて楽しんでくれて、お互いに相手の事を思いやる。

 将来、そんな人と一緒になれれば、いいな。

 大辻(おおつじ)君がそういう人になるのかな。別に彼氏を作るのに焦っている訳では無い。今まで、そんな人が出て来るなんて思ってもいなかったから、急な変化に戸惑わざるを得ない。

 夕べの五割引きのパンをひとつしっかり噛み締めながら、お昼を過ごす。

 津々木(つづき)さんにお小遣いを貰っているけど、財布に大きな金額を入れていては、いつ母親に取られるか分からない。それに、ちょくちょく頻繁に叔母さんの家に行って、少しずつお金を出すのも危険だ。結局、津々木(つづき)さんと会っていても、以前と変わらない食生活になっている。

 携帯がバイブした。

 津々木(つづき)さんからご飯の誘いだった。

 いつものように、OKの返事を送ろうとすると、再び携帯にメールが送られて来た。大辻(おおつじ)君からだった。

 メールを開けて見て、びっくりした。

『おはようございます。こういうのは、メールで言うべきでは無いと思いますが、でも、会って話そうとすると緊張して言えないので、メールしました。俺、瀬南(せなみ)さんが好きです。付き合って欲しいと思います。返事は、すぐでなくていいです。待ちます。でも、本気です。よろしくお願いします』

 確かに、メールよりも目の前で言って欲しかった。私は、津々木(つづき)さんへの返事も忘れてしばらく放心していた。こんな私を好きになってくれる人が本当にいるなんて……。

 でも、自分が大辻(おおつじ)君の事を好きかと言えば、分からないのが本音。

 良い子だし、優しいし、圧迫感が無いし、私にとっては言う事無い相手だと思う。でも、大人し過ぎる所は、物足りない。私が超絶人見知り人間だから、相手にはリードして欲しい。それに私が聞き役の方が良いし、反応薄い私を温かく見守って欲しい。

 そうなると、津々木(つづき)さんの包容力は、有難いと思わざるを得ない。この私がストレス無く時間を過ごせる人は滅多にいない。まだ、若い大辻(おおつじ)君には難しいのは当然。

 私は、津々木(つづき)さんへの返事を先にする事にした。もし、大辻(おおつじ)君との事を真面目に考えるなら、津々木(つづき)さんとの関係は考え直さないといけない。

 ふたり同時並行で進めれる程、器用な人間じゃ無い。

『ありがとうございます。ちょっと、今はテスト前なので、しばらく会うのは難しいです。また連絡します。ごめんなさい』

 躊躇するのは、津々木(つづき)さんと会えなくなったら、お金が貰えない事じゃなくて、津々木(つづき)さんに会えなくなってしまうという事。

 津々木(つづき)さんは、私にとって数少ない心落ち着ける場を与えてくれる貴重な人だ。

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