第9話
誰かと喧嘩をした事無いから、目の前でそれをされたら、恐くて硬直してしまう。
それは、既に始まっていた。
叔母さんの家のドアを開けようとすると、中から奏(かなで)ちゃんと連(れん)君の激しい言い争いが聞こえて来た。
「何で、私のスマホを勝手に見るのよ。馬鹿―!」
「だって、俺のケータイが見当たらなくなったから、姉ちゃんのケータイから着信を鳴らそうと思っただけじゃないか」
「それならそうと、ちゃんと言えばいいじゃない! 黙って使って良いと思ったの?」
「別に鳴らすだけならいいじゃないか。大体、姉ちゃんが変なメールをしてるから悪いんじゃないかっ」
「そういう問題じゃないでしょっ。このクソガキ!」
二階の方から、激しい足音と誰かを叩く音が響いて来る。
「こらー! そんな言葉を使っちゃいけないでしょっ。奏(かなで)、下りて来なさいっ」
玄関で立ち尽くす私の前に叔母さんが現れて、二階に向かって叫んだ。
「私、変な事してないわよっ」
「そういう問題じゃないでしょ。取り敢えず下りてらっしゃいっ」
叔母さんも凄い剣幕で怒っている。
「あら、雫(しずく)ちゃん来てたのね。早く上がりなさい」
叔母さんは、私に気付くと、リビングを指し示した。
部外者である私はいない方が賢明だろうと思って、慌てて靴を脱ぐとリビングに飛び込んだ。ふたりの弟達は、真剣にテレビアニメに釘付け中。
聞くつもりは無かったけど、奏(かなで)ちゃん達の声がいつもより大きかったから、話の内容は丸聞こえだった。
「携帯見せなさい」
「ほんとに変な事してないんだってば」
「どこ? どのメールなの?」
「ほら、ここだよ」
「連(れん)っ。あんたは黙ってなさいって言ってるでしょ」
小気味良い音が響く。
「痛ったー!」
「連(れん)は関係無いでしょっ」
「そうだっ。自分が悪いんだろっ」
「悪い事なんかしてない!」
また、奏(かなで)ちゃんが連(れん)君を叩こうとしたのか、慌てて逃げる足音が二階に響く。
「誰よこれ」
叔母さんのひと言に場の緊張が高まった。
「あなた、食事に誘われてるけど、これ誰よ」
一瞬にして全身に緊張が走った。私は、すぐそこで繰り広げられている修羅場に聞き入った。
「知らないおじさん……」
奏(かなで)ちゃんが小さい声で答えた。
「どこで知り合ったの?」
「メールが来て、何度か話しただけ……」
「会った事は無いのね」
「うん……」
叔母さんの長い溜め息だけが聞こえる。
「ほんと。ほんとに会ってないよ。メールだけ」
「向こうからメールが来たのね」
「そうよ。私は、ちょっと話をしただけ」
「『お茶かご飯するだけでお小遣いを渡すよ』って……」
心臓が高鳴り、頭の中が真っ白になる。
「しないしない。そんな事しないわよ」
「とにかく、こういう事は止めなさい。いい? 今後、絶対知らない人と喋っちゃ駄目よ」
「分かった」
「あなたの事を思って言ってるのよ。もし、この人が悪い人で、食事だけのつもりじゃなかったらどうするの? 嫌な思いしたくないでしょ?」
「うん」
私は、聞いていて震え上がってしまった。話の内容が正にあの事を指し示している。
叔母さんの追及が自分にも向けられているようで、知らずに体が汗ばんでいた。
「あなたはまだ分からないかもしれないけど、こういう誘いをする相手を信用しちゃ駄目よ。後で後悔するなら、まだいいけど、体を傷付けられたりしたら、元に戻らないんだからね」
はい。ごめんなさい。
思わず、心で叔母さんに謝る。
「それじゃ、ご飯にするから、手伝って」
奏(かなで)ちゃんがリビングに入って来ると、私は素知らぬ感じでテレビから視線を向けた。
奏(かなで)ちゃんは、少し動揺した表情を見せたが、私はいつもの感じで「こんばんは」と言った。
不自然だったかもしれない。どう考えても、さっきの会話が聞こえてない筈無い。でも、この時の私にとって、他の方法は思い浮かばなかった。
多少ぎこちないながらも、晩ご飯は進んで行った。
そんな見せかけの平和は、途中で打ち破られてしまう事も知らずに。
優しさの仮面を装った緊張感のど真ん中にメガトン級の爆弾が頬り込まれたのは、テレビの中のお笑い芸人が若手女優のお宅訪問をしている番組が流れていた時の事だった。
「姉ちゃんも上手くおっさんを騙せば、このくらいの贅沢出来るのかな?」
「連(れん)!」
叔母さんと奏(かなで)ちゃんの怒声に驚いて泣き出した弟達を宥めたのは私だった。連(れん)君は、叔母さんに散々怒られて、奏(かなで)ちゃんは、その後ろから、激しく連(れん)君に罵声を放っていた。
どうして、みんな仲良く出来ないのだろう。私は、家族というものに魅力を覚えなかった。私自身、誰かと一緒にいても心安らかにならず、絶えず緊張に悩まされた。子供想いの親って本当かな。友情って本当にあるのかな。兄弟愛って実在するのかな。
そういうのって、結局一緒にいて楽しい時は楽しいけど、楽しくない時は顔も見たくないってなるんじゃないかな。親が子供の面倒を見るのは、生まれてしまったから仕方無く育ててるだけであって、それが思い通りに育たなかったらペットみたいにどこかに手放す存在になるだけじゃないのかな。だって、誰もが自分が大切だから、自分にとって得にならないものは多少興味無くなるものじゃないかな。
私は、いつもひとり。誰からも見られず、誰も見えず、野に咲く雑草として生きている。生きる活力も無い。誰かに水を与えられる事も、大切に鉢に植えられる事も無い。土に栄養が無ければ枯れるだけ、水が無ければ枯れるだけ、邪魔になれば抜き取られるだけ。
津々木(つづき)さんだって、私は只の遊び相手。私に興味が無くなれば水を与えてくれなくなる。
その事に文句を言う資格は無い。
生まれた時から、そんな資格は与えられてないのだから。誰かに愛され、守られる運命を持たずに生まれた私に、普通の人生を手にする機会が贈られる奇跡を期待するのは厳しいでしょ。
「あ、そう言えば、この前俺の家の近くにいなかった?」
二個目の爆弾は、私に向けて放り込まれた。
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