第6話
今までに変な声掛けをされた事が無い事も無い。
例えば、『コロンビア』に常連のおじさん。コーヒー一杯しか頼まないのに長時間粘って、その癖、いつもちょっかいを出して来る。
「バイト終わったらご飯でも行かない?おごるよ」
どうせ、近くの定食屋だろう。店長からもこの人には注意しな、と言われている。お小遣い渡すと言われて、結局難癖付けられた女の子が他の店にいたらしい。そこで、目を付けられてからうちに来ているようだ。
「ほら、今度も競馬固いんだ。当たったら五万にはなるから、その時は一万あげようか」
おじさんの体からは、少し酸い臭いが漂っていた。髪の毛もちりぢりで汚れが目立っていた。
私は、頑張って作り笑いをして、その場を離れた。
「楽しみにしてます」
男の人にも色々いる。私に興味が無く、どのような生活をしているのか心配もしない父親、私の母親の剣幕に怯え、まともに相手をしない教師、闇夜でひとり寂しく佇む私とご飯を食べたいと思う中年男性、そして、若い女性と見れば、見境も無く声を掛けまくる貧しいおじさん。
「大丈夫ですか?」
ここにもいた。人付き合いの苦手な陰キャがひとり。
「ええ。大丈夫よ」
あれから、一ヶ月。ようやくバイトに慣れて来た大辻(おおつじ)君は、私にはよく声を掛けて来る。
両親は共働きで、小さな頃からひとりで親が帰って来るのを待っていたという。ひとり家で待つ日々。そんな子供がまともに育つ訳無い。私と同じ。対人関係に疎く、自分の世界に引きこもりがちで、新しい刺激を避けて回っている。その反面、自分を受け入れてくれる安心な相手を見付けると、心から信頼し頼ってしまう。
今の大辻(おおつじ)君は、そんな感じだった。彼に親身になって対応する人は、私が初めてだったのだろう。只、バイトの仕事内容を教えただけなのに、すっかり懐かれてしまった。
「今度、あの人が呼んだら、僕が行きますよ」
「ありがとう」
私もここまで気を許されたら悪い気はしない。大辻(おおつじ)君とは、趣味やテレビの話をした。家族や学校の話は、お互いに避けている。
最初は、引っ込み思案でお客の前で満足に口も開けない状態だったけど、今では、視線を伏せながらも騙し騙し接客が出来ている。私も似たようなものだから言えないけど。
とにかく、私達はお互いを傷付けないように当たり障りの無い話を低速で進めるのが日常になっていた。だから、大辻(おおつじ)君が私の事をどう思っているかなんて全く気にしてなかった。
いつもは、大辻(おおつじ)君は『コロンビア』が閉店する時間まで残っていた。私は、店長が心配するから先に帰っている。ほんとは、夜中まで公園にいるんだけど。
学校を終えると『コロンビア』に向かい、お店で私服に着替える。
以前は、着替えるのが面倒臭くて、制服のままでバイトをさせて貰っていたが、今は、バイト後に津々木(つづき)さんに会う日は、私服を持ち運んでいる。
バイト後に人目の付かない場所まで自転車で行き、そこで津々木(つづき)さんの車に乗せて貰う。十分程、津々木(つづき)さんの話を聞きながら道路の白線を眺める。車のライトに照らされた中央分離帯が高速で後ろに飛んで行く。
津々木(つづき)さんは、私の事について突っ込んで聞いて来ない。趣味とか話題の動画とか歌とか釣りとかエトセトラ……。要するに、何の趣味も無く、只息をして毎日を過ごしている私には何の共感も持てない話ばかり。津々木(つづき)さんが頑張って話を絞り出し、楽しい雰囲気を作ってくれる。これが、普通の女子高生だと、気を許して多少は食らい付いて仲良く会話が出来るのだろうけど、笑顔もどこかに行ってしまった私には、何の感情も湧いて来ない。
一緒にいたいという気持ちは有難い。私なんか何の価値も無い人間に会いたいと思ってくれるだけで救われる。
でも、いつかは飽きられるんだろうな、という出口は変わりない。
パパさんとしては、欠点は見付からない。あるとすれば、私の方。精神的に不安定で、人との接触に障害があり、常にテンションがどん底の私には、この関係を長続きさせる気力も無い。
空に飛ぶたんぽぽの綿毛は、百%他力によってどこかに落ちて行く。その先に何が待ち受けているとしても、その運命は受け入れなければいけない。
私は、どこに落ちても花を咲かせる自信は無いけれど。
津々木(つづき)さんと会う度にひとつずつ壁を乗り越えている感覚がする。
知らないおじさんとの会話。私と会いたいと思ってくれるおじさんとの食事。私の気分を盛り上げようとしてくれるおじさん。私の態度に不満を持たないおじさん。私のつまらない話を真剣に聞いてくれるおじさん。いつも言葉遣いが丁寧で私をひとりの女性として扱ってくれる。乱暴な言い方はしない。いやらしい目で見て来ない。何をして欲しいとも言わない。私の居心地を優先してくれる。
私は、別に人間嫌いでは無い。今まで人間扱いされて来なくて、対人関係が極度に苦手なだけだ。だから、私の立ち位置まで目線を下げてくれる人には警戒が緩くなる。
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