SF:無限のスポンジ

のいげる

そのスポンジは無限に増える

 我が国の国境近くにUFOが落ちたとの報告が入った。

 そこで我が輩は自慢の口髭をしごきながら墜落現場に急行した。


 墜落現場に着くとすぐにある男に出会った。我が国で公認呪術師をやっておる男だ。

 公認呪術師と言ってもその中身は観光客相手のインチキな心霊手術や占いをやっている男である。僅かとは言え、財政上の問題を抱えている我が国の観光収入増大に役立っているので、この男のやっているインチキ薬の販売などには敢えて目をつぶっている次第である。その男の顔を見て、我が輩は重要なことを思い出した。

 我が国は亜熱帯に所属する幾つかの群島で構成されている国である。

 実に不思議なことなのだが、我が国はUFOがよく目撃されることでも有名である。

 国民の多くが失業状態にあった以前の時期ならばぼんやりと大空を見ている人間が多かったせいもあるのだろうが、我が輩が労働省に提案した政策が施行されている今でも目撃報告が後を絶たない所を見ると、どうやら我が国の美しい海と島の景観にはUFOでさえも引き寄せられるものと思われる。

 数日前に我が国上空に現れた新顔のUFOに至っては何故かひどく大きな音を立てながら我が国の上空を飛び回ってくれた。そのために我が尊敬すべき偉大なる国王陛下はたちまちにして睡眠不足となってしまわれた。

 さて、こんな時に頼りになるのは勿論のこと我が輩である。国王陛下は空軍の長官でもある我が輩を呼び出すと事態の解決をお命じになられ、我が輩はこれを二つ返事で引き受けた。

 さあ、引き受けたは良いが、困ったのは我が輩だ。

 我が国は長い間、ある国の植民地をやっていて、ついこの間、ようやくにして念願の独立を果たしたばかりなのである。さしたる産物も無く、唯一の資源とも言える観光に関しても設備の整った周りの国に押されぎみの我が国の独立は、支配国としてはむしろ歓迎すべきことだったようで、何の障害も無しに独立はすんなりと進んだ。

 まさに無欠の無血革命である。


 そういうわけで我が空軍には航空機はおろか対空ミサイルの類さえも一切備えられていない。第2次世界大戦で捕獲されたままの博物館入りが相応しいプロペラ式戦闘機の2機が我が空軍の総てである。

 勘違いして貰っては困るのだが、我が輩は非常に科学的な男であり、また合理主義のなんたるかを心得ている男でもある。だが、国家経済省の長官もやっておる手前、国王陛下の睡眠不足を解消するために我が国の年間予算に匹敵するほどの高価な対空ミサイルを購入することができないことも良く判っている。ましてやUFOが対空ミサイルで迎撃できるものなのかどうかもはっきりしない以上、そのような国庫の無駄使いが許される道理が無い。

 そこで我が輩は、我が王国の公認呪術師をやっているこの男の下を尋ねて、UFOの撃墜を依頼しておいたのだ。


 公認呪術師は全身に奇妙な刺青を入れて、我が国の民族衣装を着込んでいる。我が国の民族衣装とはつまり草で編んだ腰みのと肩の辺りを飾る草のマントのことである。この申し訳程度に体を隠す役にしか立たない衣装に関しては、国民のモラルの高さを誇る我が国の唯一の汚点では無いかと、そう我が輩は心中密かに思っている。

 困り顔の警官達に取り囲まれた公認呪術師は我が輩の顔を見て、喚きたて始めた。

「俺に依頼した奴が来たぞ。あいつに聞いてくれ。この空飛ぶ船の半分は俺のものだ」

 ああ、確かにそんな約束をした覚えがある。まさかこの男が本当にUFOを撃墜してしまうなんて我が輩は想像もしなかった。いや、今でもこの男が呪術でUFOを落としたなどとは思ってはいない。我が輩は実に科学的で合理的な人物である。UFOが落ちたのはあくまでも偶然の事故か何かである。

 警官の一人が我が輩の顔を見て、背後の同僚達に肯いた。国家警察長官をしている我が輩の顔を知らない者は我が国には一人もいない。我が輩の髭を見れば泣く子も黙ると陰で噂されていることも知っている。その我が輩の顔を見ても、自分を釈放しようとしない警官達をじろりと睨んで、また公認呪術師が騒ぎ立て始めた。

「やい、こら、約束を破る気か。さっさと俺を解放するようにこいつらに言って、それから俺の取り分を寄越すんだ」

 公認呪術師を掴んでいた警官の顔から、さあっと血の気が引いた。どうやら我が輩の悪い噂をたっぷりと聞き込んでいるものと思える。それを敢えて無視すると、我が輩は指を一つ鳴らして公認呪術師の連行を命じた。罪状は公然猥褻罪。我が国では国王陛下の制定なされたカーニバルの日を除いて、民族衣装を人前で着ることは禁じられている。但し、観光客相手の秘密バーの中で肉付きの良いウェイトレス達が着ることに関しては、我が輩は一応黙認している。

 だが、中年を過ぎた見栄えの良くない、しかも我が輩の非を声高に非難する男が着用しているとなると、話は別である。


 金切り声を上げて抗議する公認呪術師に向けて我が輩は丁寧に説明した。

 いわく、飛んでいるUFOを撃墜した時点で約束通りにその機体の半分は公認呪術師のものであること。

 しかし国王陛下の私有領土である我が国の地面に、公式な飛行届けも出していないUFOが違法に墜落した時点で、その全ては没収対象となること。そしてこれ以上、男が喚き続けるようならば我が誇るべき警察署の素晴らしき牢屋の中でも、最高級の場所に泊まって貰うつもりであることを。

 だが公認呪術師は我が輩の忠告を聞かなかった。語気荒くも我が輩に呪いの言葉を浴びせかけた。

「こんなやり方が通るとでも思っているのか。こうなれば俺にも考えがある。いいか、お前に呪いをかけてやる。そうだとも。俺の総ての力をかけてお前を呪ってやる。俺の取り分であるはずの空飛ぶ船の半分をお前が手に入れれば、それは恐るべき呪いと化すんだ。そしてお前は大変な災難に出会うんだ。お前が俺の分け前を寄越すまではこの呪いは終わらない」

 我が輩が極めて健全な常識の持ち主であることはすでに述べたものと思う。

 独立後から間も無い我が国は、喉から手が出るほど王国の運営資金が必要なのである。このような怪しげな男に貴重なUFOの半分を持っていかれることは、とうてい耐えられることではない。我が輩は警官達に公認呪術師の連行を命じると、国家警察と救急隊でごった返す墜落現場へと足を踏み入れた。


 国家経済省の長官でもあり、国家防衛省及び国家警察省の長官をも兼任する我が輩を止めるような馬鹿者は現場にはいなかった。たとえそのような馬鹿者が居たとしても国王陛下から貰った勲章が我が輩の胸に光っている間は、何者も我が輩を止めることはできなかったであろう。

 円盤型のUFOはその半分が殆ど完全に潰れた形で、我が輩の目の前に横たわっていた。UFO墜落の衝撃でえぐれ返った周囲の地面が衝突の激しさを物語っている。これが住宅街の中心にでも落下していたらと思うと、我が輩は冷や汗が流れた。もし次に誰かにUFOの撃墜を依頼するとしたら、是非とも人気の無い所に落とすようにと注文をつけることにしよう。

 さて、改めてスクラップと化したUFOを眺めて、我が輩は心を痛めた。これでは果たして売り物になるような物が見つかるかどうか。我が輩が理路整然と説明しなくても公認呪術師の取り分であるUFOの半分は当の昔に潰れていたことになる。我が輩はそう考えて微かに痛む良心を慰めた。

 もちろん我が輩だって人間なのである。

 未だ煙を吹き上げているUFOの中に先に突入していた救急隊が生存者、つまり宇宙人を一名、担架に載せると運んで行った。宇宙人の身体のメカニズムがどうなっているのかは我が輩は知らないが、どうやらまだ生きているらしい。となれば後は国家科学省の役目だ。何か金になる情報が宇宙人から取れれば良いが。

「あ、将軍。お待ち下さい。まだ、どんな危険があるかも・・」

 何を勘違いしたのか若造が我が輩の邪魔をしようとしたので、恐れ多くも国王陛下に賜った軍用ブーツの底を、若者のしまりの無い顔に思いっきりたたき込む。自慢じゃ無いが、我が輩は足の長いのがトレードマークだ。今は我が国の経済の行方が賭けられた緊急事態であり、緊急事態のときに我が輩の行動を邪魔するものは、我が尊敬する国王陛下は除いて誰でもこうなるに決まっておる。言ってみれば我が国は独立以来ずっと緊急事態が続いて来たのであり、それは我が国にきちんとした経済原理が確立されて、必要なだけの食料が外国から買い込めるようになるまで続くのだ。

 こんなことなら独立しないほうが生活はマシだったのではないかと非難する向きもあるが、それは違う。自分達の住む国を自分達で支えるのは当然のことである。いつまでも他の国のお荷物になっているわけにはいかない。プライドこそが人間の依って立つべきものである。そして我が愛すべき国王陛下のプライドは黄金の輝きと鋼鉄の堅牢さを持っているのだから。


 近くで見るUFOは思ったより大きい。空を飛んでいるのを見た時には戦闘機並みの大きさかと思っていたのだが、実際の大きさは三階立ての家ぐらいある。考えて見れば当然である。他の星からはるばると飛んで来るのだから、誰が乗っているにしろ十分な生活空間が必要なわけである。宇宙船の内部から吹き出す煙と炎の勢いがそれほどでも無いのを確認して、宇宙船の横に無残にも開いた亀裂から、我が輩はUFOの中へと足を踏み入れた。

 UFO。

 恒星間の気の遠くなるほどの距離を渡って宇宙を飛んで来た以上、きっとこの中は未知の科学技術に満ち溢れているに違い無い。UFOの部品を他の国に売るだけでも、少なくとも今後数年間は食料の買い付けに頭を悩ます必要は無くなる。もしUFOに使われている技術を解析して我が国で使うことができれば、我が国の将来は永遠に安泰だ。

 この最初で、恐らくは最期になるだろう大きな宝探しの機会を逃さぬようにと、我が輩は売れそうな物を探して目を光らせた。煙に慣れて見るとUFOの中は信じられないぐらい雑然としていて、SF映画で見るような整理整頓されたUFOとは大違いだ。無数のパイプの類や訳の判らぬ機械が所狭しと並んでいて、奇妙な輝きを放つ不可思議な装置が低いつぶやきを漏らしている。その総てが汚らしい油や埃に塗れていて、何かの食い散らかしとも思える得体の知れないゴミがその間に詰め込まれている。壁に触れた我が輩の手にぬるっとした水カビらしきものの感触が伝わって来たときには、本当に辟易とした。

 こりゃあ、墜落の原因は整備不良だな。まったく、近頃の若い者は自分の船の整備もろくにできん。我が輩が若い頃には自分の乗る戦艦の分解・整備まで遣らされたものだ。整備訓練と称して破棄された他国の戦艦を一隻組み立て直した時は実に二年もの歳月が流れていたものだ。その整備訓練が終って、造船ドックから出て報告したときの、あの訓練教官の顔と来たら。お前は脱走したと思っていたぞ、と真顔で言うのだから、本当に皮肉の好きな教官だったな。あの戦艦が我が国の物だったら、スクラップに売って国庫の足しにできただろうに。

 昔の事を思いだしながらぶつぶつと小声で心中の思いをつぶやいていたら、UFOの操縦席とおぼしき所に銀色のケースが置いてあるのを見つけた。我が輩の直感がこれだと叫び、我が輩の理性もそうだと頷いた。操縦席の近くに置くからには恐らくは宇宙人に取っても大切な物だ。自分の下着の入ったケースを肌身離さず置いておく奴はいない道理であり、これは宇宙でも変わらぬはずである。

 願わくばこのケースの中身が我が国の経済を建て直せるものだったら良いのだが。だがケースの中が彼らの通貨だったらこれも困る。我が国には宇宙の通貨を換金できるような銀行は無いからである。いや、それを言えば我が国にはまともな普通の銀行さえも無いのだが。

 見かけによらず非常に軽い金属ケースを持って我が輩はUFOから出た。周囲では厭な匂いの煙が、まだくすぶっている。

 まったく、世界に誇る我が国の国家消防隊はどうしたのだ?

 そう思って手近の通信兵を呼び止めていると、サイレンをけたたましく鳴らして消防車が道に入って来た。

 やっと、来たか。馬鹿者。我が輩の若い頃には・・。

「はい。はい。どいて下さい。道を開けて」

 耐火服に身を固めた消防隊員が、どかどかと走って来て我が輩を突き飛ばした。

 なんたる侮辱!

 この服の勲章が見えぬか。我が輩がその若造をぶちのめそうと振り返った時に、消防隊員のホースから勢い良く水が吹き出してUFOに掛かった。


 その後に起こった大爆発は決して我が輩のせいでは無い。


 恐らくUFOから漏れ出た異星のガソリンに消防隊のホースから出た水が引火したのだろう。わけが判らんがそうに違い無い。

 UFOの爆発はひどく徹底したもので破片の一片さえも残らなかった。幸いにも異星の物質の燃焼は地球のそれとは異なるようで、消防隊員には火傷の痕一つつかなかった。その代わりに消防隊員に我が輩の鉄拳を一つずつ顎に叩きこんでおいたのは言うまでも無い。我が輩は国防省と経済省を兼ねている建物の自室に戻ると、皺の寄った制服を新しいものに着替え、棚の奥から消防隊規約を引き出すと、UFOに水をかけることを厳禁する項目を書き入れた。その項目の下に小さく「鉄則」と書き込んでおく。これで善し。二度とあんなことが起きてなるものか。

 さて、UFOが跡片も無く爆発したとなると、残るは生きているのか死んでいるのか皆目判らない宇宙人が一人と、この先見の明に満ちた我が輩が決死の思いで回収した銀色のケースだけが頼りとなる。至急、銀色のケースの中身を分析しなくてはならない。我が輩が国家科学省と札の掛かったドアを蹴り破ると、中では科学省長官が秘書と抱き合っていた。科学省長官は我が輩の乱入に気付くと膝の上の秘書を放り出して飛び上がった。

「わあ、なんだなんだ」

「なんだでは無い。事務処理が手間取って研究が進まないからと言うから、とぼしい警察省の予算を削って君に秘書をつけてやったのに、これはいったいどういうことである」

「いや、勘違いするな。これはちょっとした遺伝学上の実験なんだ。いや、間違った。生物学上の実験だ」

 こんな弁解を本気で聞く必要は無いのだが、これでも彼は我が国随一の天才であり、我が国の中で博士号を取得している唯一の人物である。もっとも彼の経歴にはやや曖昧な所があり、ここ十年の間、暇が出来たら是非とも彼の過去を調査してみようと我が輩は考え続けている。我が輩は科学省長官の手に銀色のケースを握らせて、何が起きたかを説明した。それを聞いて科学省長官は目を丸くして驚きの声を発した。

「わ、わ、なんですと。UFOが墜落ですと。そんな大変なことをどうして私に真っ先に知らせないのか。今世紀、いや人類史上始って以来の大発見ですぞ。場所はどこだ。

 何! すでに大爆発。う~ん」

 このまま気絶されてはたまらないので我が輩は科学省長官の顔を二、三回ひっぱたいて正気づかせてから、ケースを分析するように念を押しておいた。遠くで事態の推移を見守っていた秘書が、興奮で今にも倒れそうな長官の元に駆け寄る。

 まったく長官の奴め、我が輩と同じ歳のくせに良くやりおるわい。

 とにもかくにも後は国家科学省の報告を待つだけである。我が輩はその時間を使って宇宙人の方を見舞うことにした。


 国家健康省の秘密病院のベッドの上には人間そっくりの宇宙人が横たわっておった。敢えて人間と違う所を言えば、額に紫の角が一本生えていることだ。UFOの墜落現場で宇宙人が担架で運ばれていた時は、頭からすっぽりと布が被せられていたので気付かなかったのだ。

 宇宙人の様態に関する我が輩の当然の質問に対して、ベッドの側で何かの記録を取っておった若造が肩をすくめて馬鹿にした顔をしおった。その小憎たらしい若造の顔に、恐れ多くも国王陛下からじきじきに賜った手袋による鉄拳をたたき込もうかとも思ったが止めにした。医者には敬意を表すべしと我が家の家訓にはある。もっともその下に小さい字で、医者には一生かかるな、と落書してあるのは、我が輩の尊敬する祖父のせめてもの忠告である。

「本当に何も判らないんですよ」と、その若造は言った。

「快方に向っているのか、それとももう死んでいるのかも。見た目はともかく、中身は人間の体とは随分違っていましてね。脈拍は1時間に1回程度、しかし脈を打つ瞬間には恐ろしい速度で血液らしきものが動きます。体温も人間ならば死体と断言して良いぐらいなのですが、赤外線検知機によると体の奥深くには鉄でも熔けるほどの温度の部分も存在しているのです」

 ふむ、なるほど、態度は生意気だがそれなりの知識はありそうだ。医者を目指して奨学金を受けとっておきながら国家試験に合格できなかったような馬鹿者は鉛鉱山での重労働に送る、という我が輩と労働省の決断は功を奏しているようである。我が輩は密かな満足の溜め息をついた。

 しかし困った。これでは宇宙人から情報を聞き出すと言う計画が進められない。我が輩は苦労して取った国家警察省の地下拷問部屋の予約をキャンセルする羽目となった。


 それから何日かが経ち、待ちくたびれた我が輩が科学省に電話を掛けようとした矢先に、向こうの方から呼び出しの電話が入った。丁度、税務省の調査報告の査察が終わった所だったので、その足で直ちに国家科学省の部屋に向った。そこで見せられたものはスポンジにそっくりの黄色い塊と、派手な色で描かれた何かの絵本であった。困惑顔の我が輩の問いに、数人の配下の科学者達と共に忙しそうに立ち働いていた科学省長官が相手をしてくれた。情けないことに我が国の科学陣はこれで総てだ。

 科学省長官は黄色いスポンジを指さして言いおった。

「あの銀色のケースには苦労したぞ。どうしても開かないんだ。鍵は当然ながら我々には未知の原理に基づくものだったし、ケースの表面ときたらダイヤモンドカッターでさえ傷一つつかない頑丈さだ。陸軍に頼んで爆薬による破砕も試みたんだがこれも駄目。で、名案を思い付いた。宇宙船が水に触れて爆発したとの報告があったのでね。水につけて見たら」

 そこまで言ってから長官は手の平を上に向けて両手を振って見せた。

「パア、だ。一瞬にして金属が分解した。残ったのは中身だけだ。惜しいことをした。あのケースの金属構造が解析できていれば、世界を揺るがす大発見になっていたのに」

 ここまで聞いて、我が輩は腰のホルスターからピストルを抜いて科学省長官を撃ち殺すことを考えて見た。

 大発見どころでは無い。それほど丈夫な金属ならば、どこの軍でも目の色を変えたに違い無いのに。戦車の表面をその金属で薄く覆っただけでも無敵の軍隊が出来上がる。

 少なくとも次に雨が降るまでの間は、だが。

 それも今となっては夢と消えた。いや、文字通りに水の泡と消えたわけだ。我が輩はもう少しで己の怒りに負けるとこではあったが、ここで科学省長官を撃ち殺しては続きが聞けなくなると気付いて、辛うじて踏みとどまった。撃ち殺すのはいつでもできる。

「幸いなことに中身は防水パックに包まれていた。そう、そこに置いてある黄色いスポンジと印刷物がそれだ。当省の見解を言うと、こっちの黄色いスポンジの方は商品サンプルだな。で、そっちの絵本は商品を売るためのカタログと断定した。ついでに言うと墜落した宇宙人というのは宇宙を股にかけて活躍するセールスマンという事になる」

 しばらくの間、我が輩は口も聞けなかった。

 よりによって墜落したUFOがセールスマン?

 我が輩は科学省長官の顔に、恐れ多くも陛下から賜ったこの軍服の肘を打ち込もうかとも思ったが、科学省長官の配下が大勢いるこの部屋では止めておくことにした。かって軍隊に入り立ての頃、先輩連中に喧嘩を売って袋叩きにされて以来、我が輩も多少は戦略というものを学んでおる。我が輩の愛用の軍服には至る所に防弾チョッキ代わりの鋼鉄板が仕込んであるが、それだけでは多勢に無勢の喧嘩に勝てるものでもない。

 とにもかくにも、異星の商品サンプルが手に入ったという事は、分析さえ成功すれば、我が偉大なる国の貧弱な経済が立て直せるかも知れないと言う事である。

 我が輩はそこの所を聞いて見た。

「勿論、これが何の商品かは一目見れば判るとは思うが、一体何に見えるかね?」

 この科学省長官のもったいぶった所が我が輩は嫌いだ。本当の意味で科学を理解しているのは自分だけだと考えていることが見え見えなのだから。だが今は膝を屈して相手をするしかない。

 我が輩はその黄色いスポンジを眺めてみた。黄色いスポンジの塊に見える。塊には縦横に切れ目が入っていて、小さく分離できるようになっている。

 我が輩は少し恥ずかしい答えだなと思いながら、黄色いスポンジに見える、と答えた。

 当然じゃ無いか。これが亜空間飛行用のエンジンだなんて誰が考える?

「正解だ。つい先程、商品カタログの説明の一部の解読に成功した。これはスポンジらしい」

 一言、返事を返して頷くと、唖然としている我が輩に向って科学省長官は説明した。

「勿論、ただのスポンジをわざわざ宇宙船でセールスしてまわるわけが無い。

 この商品名は『無限のスポンジ』と言うらしい。どうやらその名の通りに無限に増えるスポンジらしい。まだ一部解読できていない所があるが商品カタログの文句はこうだ。

『どんな・・汚れもさっと一拭き、無限のスポンジ・・』」

 我が輩の僅かとは言え殺意の篭った疑惑の視線に答えて、科学省長官はもう一つの部屋へと我が輩を誘った。

「実はもう試して見たんだ」

 ドアを開けてみて我が輩は驚いた。ドアの向こうには巨大な水槽が設置されていたのだが、その水槽の中一杯を何やらうごめいている黄色いものが占めていたのだ。

「あのスポンジの一片を水に浸してみた所、たちまちにしてここまで成長した。正確に言うと一ミリグラムの乾燥切片を水に浸して約二時間で四十五立方メートルにまで成長した。恐ろしく強靭な生物組織だよ。しかも繁殖力は凄まじいの一言に尽きる。

 驚くべき事にこの生物は殆どどんな物質でも栄養に変えて成長できるらしい。

 研究所から出るゴミの全てで試して見た。水に溶けるものならば重金属でもシアン化合物でも見境無しに吸収する。毒物も全く効果が無い、というよりは毒物も栄養と見なすと言えるな。

 最初にアンモニア溶液に浸した場合にはアンモニアを基礎とした代謝構造に、硫酸に浸した場合には硫酸を基礎とした代謝構造に己を改変していることも確かめた。言って見ればどのような惑星でも無条件で繁殖が可能ということだ。これを作ったのがどのような世界かは知らんが、恐ろしく進歩した生命工学の成果であることは間違い無いな。

 ああ、そうそう。ついでに増殖速度も計測してみた。増殖開始時も増殖終了時もまったく速度には変化無し。遺伝子構造にも変化は無い。つまりは無限に増殖し続けるものと考えて間違い無いってことだ。歌い文句に嘘が無いとすれば、宇宙人って奴はセールスマンとしては良心的と言えるな」

 これを聞いて我が輩は絶句した。これでは商品にするわけにはいかない。お風呂の掃除にスポンジを使ったら、たちまちにして浴槽一杯に黄色の化け物のお出ましだ。我が輩の頭は目まぐるしく回転した。余りに回転し過ぎて耳の穴から煙が吹き出しかけたぐらいだ。

 どこかの遺伝子研究所にこの代物を売り出したらどうだろう?

 我が輩は黄色い化け物で一杯の水槽をもう一度睨みつけた。駄目だ。万一、その研究所がこの化け物を逃がしでもしたら、いや、そこまでいかなくても、この遺伝子を組み込んだ植物だか動物だかが世の中に出たら、それだけで世界は恐るべき災厄に見舞われるのでは無いか。そんな予感がした。我が国は確かに喉から手が出るほどに金を欲しがっている。しかし別に国単位での自殺がしたいわけでは無い。

 では、この事実を他の国に公表して、大国から助成金を脅し取るというのはどうだろう?

 この化け物を海に放つことを考えて見れば、核兵器など子供の玩具に見える。このアイデアをしばらく我が輩は考えて見た末に放棄した。我が敬愛する国王陛下がそのようなことを許すわけが無い。他の国を脅して生きるぐらいならば、国民全てが餓死する方を、我が誇り高き国王陛下は選ぶであろう。

 なんということだ。経済の袋小路から脱出するために我が国が掴んだ唯一のチャンスが全くの役立たずであったとは。


「そうでも無いさ」

 科学省長官は我が輩の嘆きの声を聞いて答えた。

「殺すことができないのではそもそも商品の原料としての意味が無い。電気処理をして見たら、1万ボルト近辺で生命活動が停止した。この状態で整形すれば立派なスポンジになる。

 これはスポンジとしても一級品だが、機械に組み込む衝撃吸収材としても一級品だな。恐ろしく強靭で、磨耗し難い。切断するには二百四十度付近まで熱した刃物が必要だったよ。

 確かに宇宙船でセールスするだけはある。このスポンジを一つ輸入すればその惑星のスポンジ需要は完全に満たされる。この宇宙人の故郷には他にも無限に増殖して机を作り出すような生物や、宇宙船を産み出すような生物がいるのは間違い無いな」

 是非ともこの時の我が輩のジレンマを考えて見て欲しい。

 今年の我が国の畑の出来は悪く、おまけにここの所、天候がひどく荒れてしまったために定期船の欠便が相次いで観光客の数はガタ減りである。このままスポンジの化け物を培養し続けることには何かそら恐ろしいものがあったが、国家経済省の長官である我が輩とすれば背に腹は代えられない。まだ安全性には僅かな懸念は残るものの、国が破産して偉大なる国王陛下の嘆く姿を見るよりはと、我が輩はスポンジを培養して売り出すことを決断した。


 元々このスポンジの原価は只に近い、というより、国家保健省からの報告では清掃局の予算が大幅に削減できたと大喜びであった。なにしろ、どんなゴミでも一度水の中に溶かし込んでしまえばこの異星のスポンジはたちまちにして吸収してしまう。公害を引き起こすような産業廃棄物の一切がこのスポンジの栄養と変わる。我が国は各国に連絡して先進諸国の産業廃棄物の処理を一手に引き受けると、その代わりに格安のスポンジを世界中に供給し始めた。

 国王陛下は我が輩の報告を聞いて、その尊顔を僅かに綻ばせた。国王陛下ほど我が国のことを考えている人物は数少ないだろう。この所のUFO騒ぎで、以前は宮殿の中で時折見られた第三王妃と国王陛下の微笑ましい追いかけっこも最近では見られなくなっていたし、宮殿の料理人頭から国王陛下の食の進みが思わしく無いとの報告を受け取っていたので、実を言えば我が輩はほっとした。だいたい、国王陛下は国庫に負担をかけまいと法律では八人まで許されている王妃も第三王妃までで終わりになられているほどである。我が輩は今回の事業がうまく行けば、せめてもう一人ぐらいは王妃を新たに娶られるように勧めて見るつもりだった。


 それがまさかあのような騒ぎになるなんて誰が予見できただろう。


☆(後編)


 UFO墜落より数ヶ月が経過して、科学省長官の秘書との初めてのデートに向けて我が輩が口髭を切り揃えておった時だ。当の科学省長官が青い顔で飛び込んで来おったのは。

 最初に我が輩が考えたのは、科学省長官の秘書と秘密のデートをする計画が漏れた、ということだったが、すぐにこれは違うと判った。

「私と一緒に来てくれ、今すぐにだ。大変なことになった」

 我が輩の胸ぐらを掴むと科学省長官は前後に激しくゆさ振りおった。これでは国王陛下から賜った自慢のネクタイが台無しである。我が輩は科学省長官の背後をそっと視線で探って、一人であることを確かめると、恐れ多くもこれも陛下から賜った大理石の灰皿で科学省長官の頭をぶん殴った。

 気絶から醒めた科学省長官が口から泡を飛ばしながら慌てて喋ったことを聞いて、我が輩もたちまちにして顔色を青くした。慌てて室内に備え付けのTVのスイッチを入れると、国外の放送に切り替える。TV画面全体が最初に黄色に染まり、TVで実況中継を行っているヘリの上のカメラが視点を後退させると共に、その黄色いものが海であることが判った。

 いや、正確に言うと海であったもの、だ。

 一目で判った。かって海があった場所を覆っているのは間違い無く我が国で生産しているあのスポンジである。黄色いスポンジが海一杯に増え、海水の全てを飲み込んで空中高く盛り上がっているのだ。半狂乱になって喚くニュースキャスターの言葉を信じるならば、すでに世界中の海がスポンジに吸収されてしまった後で、僅かに北極と南極の周りだけが海水温度の低さ故に被害を逃れているらしい。

 我が輩はゆっくりとTVの画面から科学省長官の方に向き直ると、炎でさえ凍るような冷たい声で言った。

「正直に答えてくれたまえ。研究所から例のスポンジの原版が盗まれたのか?」

「いや、それは盗まれてはいない。忘れたのか。スポンジが納めてある金庫自体は特注の頑丈なものだし、建物の基部に直接溶接してある。鍵は私と君の持っているものの両方が必要だ。念のために調べて見たが盗まれた形跡は無い。スポンジの培養工場も事故が起きた形跡は無い。しかし」

「しかし?」

「製品にしたやつは問題は無い。電気処理の後にカビ止め用のある薬剤を吹き付けてある。この状態ではスポンジの持つ薬剤分解能力は働かないので、結果としてスポンジは完全に生命活動を停止する。問題は最初の実験に使ったやつだ。調べて見たら電気処理だけでは不完全だったことが判った。一時的に仮死状態になっているだけなんだ。水だけでは駄目だが、栄養豊富な海水に漬かれば復活する。あれは実験の後に破棄されたスポンジ片がゴミ処理施設から海に流れ出したやつに違い無い」

 ここまで喋ると科学省長官は頭を掻きながらけたたましく笑った。

「いや、さしものこの私にもここまでは見抜けなかった。いや、失敗、失敗」

 それ以上は喋らせずに我が輩は科学省長官の頭をもう一度灰皿でぶん殴った。

 それから我が輩はただちに車を呼びつけると、ぐったりとした科学省長官を車の中に押し込んで、海岸へと全速力で車を走らせた。この騒ぎをうまく納められなかったら我が輩も科学省長官もともども死刑となるであろうが、それよりも国王陛下が今回の事態を各国首脳に責められて悲しい思いをなさることの方が我が輩には辛い。あれはどこから見ても我が国の売っているスポンジそのものであり、いかに弁解しようともごまかせるとは思えない。

 程なく車は海岸に着いたが、いやはや、あの時ほど我が輩が驚いた事は、我が輩の波乱万丈の生涯を通じても無かっただろう。

 海岸に当然あるべき紺碧の海の姿は無く、今やそこには見渡す限りの巨大な黄色いスポンジの壁が空高くのび上がっていた。正確に言えば伸び上がっているのは空にだけでは無い。川もそうだ。スポンジがわさわさと手を伸ばして川を元気に遡っているのだ。この有り様では水源地もやられているだろう。水道がスポンジの化け物に侵略されるのも時間の問題か。いや、水道の水には栄養となる不純物が入っていないから成長はできないはずである。

 最初の驚きが体の中を駆け足で去って行くと、我が輩にも多少は事態を静観する余裕が出てきた。

 独立前の我が国の空軍で新兵訓練を受けていた頃に、我が輩はパラシュートをつけずに飛行機から飛び降りてしまったことがある。その時、我が輩は少しも慌てずに先に降下を開始した戦友の背中に飛び降り、仲良くパラシュートを共有することで問題を解決したのである。その時以来、その戦友とは絶交状態が続いているが、この事件から我が輩は貴重な教訓を得たのである。

 すなわち、窮地に陥った時に無闇に慌てふためいても何も良いことは無い、落ち着くことが常に最良の行動である、ということである。

 我が輩は大きく深呼吸を行うと、改めて今や黄色いスポンジの山脈と化した海を観察することにした。

 海の中から宙に伸び上がった黄色いスポンジの内部は、大量の海水で満たされているのは間違い無い。海の中のどのぐらいの深さにまでスポンジが潜り込んだのかは判らないが、スポンジ自体の膨張の具合から見て、深海深くにまで入り込んでいるに違い無い。成長したスポンジが満たした空間の分だけ海水面から膨張している計算になるからだ。

 無言で見守る内に海水がスポンジの上部から空中へと滝となって吹き出すと、再びその下のスポンジへと吸い込まれた。海水とスポンジの集合体の中を奇跡的に生き延びたのか、銀色にきらめく魚が一匹、黄色いスポンジの壁から飛び出すと、我が輩の目の前へと落ちて来た。海水と共に、海の中の生物も取り込んでいるらしい。とすれば、あの右手の壁の奥でうごめいている巨大な影は鯨か、それともどこかの国の潜水艦なのか。

 ここまで来て、我が輩は心中深く決断した。もはや躊躇している段階は過ぎ去った。この恐るべきスポンジ生物を殺す方法を何とかして見つけなければ。


 総ての責任は我が輩にある。

 あの時、スポンジを焼き払っておけば。UFOの中から銀色のケースを持ち出しさえしなければ、このような事態にはならなかったはずなのである。いや、そもそもあんな公認呪術師なんかにUFOの撃墜を依頼しなければ良かったのだ。

 我が輩はいつの間にか息を吹き替えして我が輩の背後に立っていた科学省長官の首を締めながら、スポンジを殺す方法を尋ねた。わあ、やめろ、苦しい、人殺し、と、しばらく喚いた末に科学省長官は答えた。

「1万ボルトの電流を流し、その後に化学処理をすれば確実に殺せる。しかし、この巨大スポンジ全体に1万ボルトの電流を流すのは無理だ。なにせ今や地球の海全体がスポンジとなっている。地球をまるごと電気椅子に変える方法は無い。

 毒物はどうか。これも駄目だ。このスポンジ生物を殺せるような毒物は地球上には存在しない。放射性物質も効き目が無いことは確認済みだ。酸やアルカリの類も無意味。

 現代の我々の科学では無理だと断言しよう」

 そこまで言ってから科学省長官は懐から一冊の本を取り出した。

 あの異星の商品カタログだ。黄色いスポンジの載っているページを開くと科学省長官は歌うように読み始めた。以前よりも解読が進んでいるらしい。聞いたことの無いフレーズが加わっている。

「『どんな惑星・・の汚れた・・生命も・・さっと一拭き、無限のスポンジ・・』

 なるほど、宇宙船でセールスするだけはある。これは恐るべき惑星壊滅兵器だよ。

 これ一つで海を持った惑星なら、どんな生命でもさっと一拭き。その惑星の食物連鎖が崩壊した後には植民に向いたまっさらの惑星が出来上がるという仕組みだな。

 あの宇宙船が墜落したのはきっと宇宙警察かなんかに武器密輸の罪状で撃墜されたからなんだ。

 海が壊滅すればそれと密接に絡み合っている地上の生き物も長くは生存できない。まったく君は大変なことをしてしまったな。私があれほど止めたのに。まあ総ての責任を取って君は自殺するのだから、後の事は心配するな」

 そう言いながら、科学省長官はポケットからピストルを取り出すと我が輩の頭に向けた。

 我が輩が格闘技の教官をやっていることはもう話しただろうか?

 我が輩はピストルを科学省長官の手から叩き落とすと、その体を担ぎあげ、目の前に立ちふさがる黄色いスポンジの壁へと投げ込んだ。彼の悲鳴がスポンジの中に消え去るのを確認してから、我が輩は足元に落ちていた異星の商品カタログを掴んだ。ふと思い付いて我が輩は黄色いスポンジの塊を少し拾うと、車でその場を走り去った。


 我が輩は確信していた。

 宇宙船が墜落したのは宇宙警察に撃墜されたからでは無い。

 きっとあの公認呪術師の仕業だ。

 とすれば、この騒ぎもあの男の呪いのせいに違い無い。我が輩と我が輩の尊敬する国王陛下が破滅するのが避けられないことならば、あの男も同じ目にあうべきである。

 我が輩は車を国家警察省へと乗り付けると、ニュースを聞いて大騒ぎしている警官達の中を足早に駆け抜けて建物の地下に設置されている地下牢へと降りた。公認呪術師が閉じこめられているのは、地下牢の中でも一番奥のじめじめした穴ぐらだ。

 公認呪術師は我が輩の顔を見ると大声で喚きだした。

「どうだ。俺の言った通りになっただろう。さあ、これ以上酷いことになりたくなかったら、今すぐ俺に分け前を寄越してここから出せ」

 どうやら誰かが事件のことを告げたらしい。我が輩は怒りに体を震わせながら、公認呪術師の閉じこめられている地下牢の前に立った。

「さあ、俺の分を寄越せ」公認呪術師が手を差し出した。

「お前の取り分を渡せば呪いを解くのだな」我が輩は声を絞り出すように言った。

「取り分を渡せば自動的に呪いは解ける。そういう仕組みだ」

 公認呪術師は眉根を寄せて、舌をぺろりと出すと言い放った。

「呪いが解ければ事態はこれ以上は悪くはならん。だが、事件そのものが解決するかどうかまでは知らん。呪いとそれが引き起こした結果はまた別のものだからな」

 ここまで聞いて我が輩の怒りは爆発した。このような無責任な男の為に国王陛下の大事な国は破滅するのだ。

「では、これを受け取るが良い。お前の取り分だ」

 そう言うなり、我が輩は大きくモーションをつけると、公認呪術師の顔に海岸から拾って来た黄色いスポンジを叩き付けた。これが公認呪術師の取り分。UFOから取り出したものの約束の半分だ。

 おっと忘れていた。異星の商品カタログは全部で二冊あった。その内の一冊も彼のものだ。我が輩はカタログを彼の地下牢へと押し込むと、背後で待機していた警官に合図した。合図と共に公認呪術師の頭の上にどっと海水が流れ込む。ここの地下牢はそもそもが水牢として設計されていて、必要があれば囚人の胸の付近まで海水を引き込めるようになっているのだ。

 驚いたことに勢い良く流れ込み始めた海水は途中から黄色くうごめくスポンジの触手と化すと、絶叫している公認呪術師をその中へと飲み込み始めた。どうやら海水を引き込むパイプを辿ってスポンジがここまで侵入してきたらしい。

 我が輩は後も振り返らずに国家警察省から飛び出ると、今や事態を収拾できるかも知れないたった一つの存在の下へと車を走らせた。



 秘密病院の若造の医者は、怒り狂った我が輩を止めると言う愚を冒した。その報いは恐れ多くも国王陛下から賜ったブーツの底を顔面で味わうという素晴らしい栄誉だ。

 我が輩は床に倒れた若造を無視すると、ベッドに横たわる宇宙人の傍らに駆け寄った。

 もはや事態は一刻の猶予も無い。我が輩は一瞬も躊躇せずに宇宙人の体を引き起こすと、恐怖の表情で見ている医者達の前で、宇宙人の頬を左右に大きく張り飛ばした。気絶した兵士は頬を張り飛ばせ、との軍隊の教えはいつでもどこでも、そしてどんな状態でも役に立つはずだ。

 三発ほど立て続けに頬を張り飛ばした所で、宇宙人の目がかっと大きく見開いた。その手が伸びると、我が輩が止めることを思い付くよりも先に自分の額に生えた角を掴む。

 武器だ!

 我が輩の背後でどうなることかと見物していた人々が素早く床に伏せるのが感じとれた。だが、角から出て来たのは生き物を殺す怪光線なぞでは無かった。流暢な我が国の言葉が、その角の付近の空中から流れ出て来た。

「おお、おお。私はもう大丈夫です。顔臓マッサージは十分です。有り難う。助かりました。実に適切な処置です。もう、大丈夫です。有り難う。後は自分で治せます。ああ、体内時計によると着陸以来、随分と長い間お世話になったようですね。先にお詫び致します。ここへの着陸は原因不明の飛行装置の故障のためです。決して違法な密輸目的ではありません。反応が出ない所を見ると私の船は消滅したようですね。防護フィールド無しで、ここの雨を浴びたのですね。確かに船に取っては致命傷です。残念です。残念です。ご心配無く。今、迎えの船を呼びましたので、あなた方にこれ以上のご迷惑はおかけしません」

 角と見えたのは宇宙人の旅行用の翻訳機械か?

 この宇宙人は何か勘違いをしているらしい。だが、我が輩の知りたいのはそんなことでは無い。我が輩は宇宙人を殴るのを止めて、替りに宇宙人の着ている服の胸倉を掴むと、あの商品カタログを目の前に押し付けた。開いているのは黄色いスポンジの載っているページだ。それから部屋の片隅に置いてあったTVのスイッチを入れると、いま現在いったい何が進行しているのかを見せた。

 宇宙人の目が丸くなり、それから事態を理解したのか大きく笑った。宇宙人も笑うとは我が輩もこの時初めて知った。いや、これがそもそも笑っている表現なのか我が輩には自信が無い。もしかしたら大事な商品を失って激怒しているのかも知れない。

 再び宇宙人の角から声が流れ始める。

「もしや、私の商品がケースから出て活動してしまったのでは?

 それでは随分と驚かせてしまったでしょうね。ご心配無く。我が社のセールスマンは全て保険に入っていますので、商品の損失は保険で賄えます。そちらに損害を請求するようなことはありません。ご迷惑をお掛けしたお礼にその商品はそちらに差し上げます。そのままお使い下さい。我が社の商品はどれも優秀、どのお客様にも喜ばれております」

 我が輩が宇宙人はピストルで殺せるのかどうか、背後の医者達に聞こうとした。そのとき我が輩の手から商品カタログをもぎ取ると宇宙人は歌いおった。

「どんな生物による惑星の汚れもさっと一拭き、無限のスポンジ。

 汚れが取れたら自然に消えます、我が社の誇る無限のスポンジ。

 絶対安全当社が保証。

 これ一つであなたの惑星の環境も、安心、安心、また安心。

 ただいま格安でお分けしております」



 これが世界を騒がした黄色いスポンジ事件の顛末である。


 海にそびえた黄色いスポンジはやがて自然に枯れ果て、後には有史以来の長きに渡って文明社会が生産した汚染物質の一切を取り除かれた奇麗な海が残った。

 海の生物達も、スポンジの成長途中で取り込んだ無数の船舶の乗組員達もスポンジ内部に慎重に保存されていたらしくて、程なく全ては元の通りに戻った。スポンジは非常に高度な生命工学の産物であり、その遺伝子内部に記憶されている情報と照らし合わせて、散布された惑星の環境と生物に最適な形へと惑星の海と大気を浄化してしまう能力を持っているのだと、あの異星のセールスマンは説明した。

 各国はしばらくの間は騒ぎを引き起こしたことで我が国を責めたが、結果として奇麗になった空と海を見るに及んで、非難の声はやがて賞賛の言葉に替った。自分の汚れた部屋を勝手に掃除したと怒るのは、思春期の愚かな若者だけである。

 それになにより、驚きに満ちた事件の記憶は日々薄れて行くものだが、澄んだ空気と旨い水はいつでも新たな感動を与えるものであるから。一時はどうなるかと思われた我が輩の首も危うい所で繋がり、ここにようやく静かな日々を迎えるに至った。


 宇宙人はと言えば、どうやらあの紫の角の中に通信機も備わっていたらしくて、ある夜、光輝くUFOが迎えに来ると連れて行ってしまった。


 科学省長官はと言えばまだ見つからない。事件を知った直後に自分の罪を恐れて失踪したに違い無いと国家警察は記録に残したが、我が輩は今でもこう思っている。

 スポンジはあの男を汚れ物と見なして吸収したのでは無いかと。

 彼の自室から横領の証拠が見つかった。さらには空軍からの報告で年代物の飛行機が一機消えているのが発見された。どうやらスポンジが流出したのは実験のミスでは無く、彼がどこか他の国にスポンジの一部を売り飛ばそうとした結果だと思える。スポンジを密輸出するはずだった飛行機は我が国の上空を渦巻く乱気流を乗り切れずに海へと墜落し、あの騒動を引き起こしたのだろう。彼は相当心の汚れた男であった。スポンジは彼を汚染物質、すなわち貴重な栄養源と見なしたわけだ。

 この我が輩の推測が正しいかどうかを、我が輩は知らない。


 公認呪術師は地下牢の中で息も絶え絶えの所を助け出された。

 スポンジは人間を海の生物と勘違いしやすい傾向がある。確かに人間と言うものは海を遥かな故郷に持っているが、海水というものはあまり長い間呼吸したいと思うような代物では無い。これに懲りて公認呪術師も自分の欲というものを少しは抑える気になってくれるとうれしいのだが、今でもインチキ薬を観光客に売りつけ続けているのを見ると、それも無理な話のようである。彼は自分の分け前、すなわちスポンジのお陰で奇麗になった水と空気を今でも享受しているのだが、このこと自体にはきっと満足しているであろう。


 とにもかくにも事件は落着した。スポンジの幼生体の塊は我が国のみが保管しているし、一端海水に浸かって増殖を開始したスポンジはある点を越えると途中で成長を停止させることは出来ない構造らしい。無制限な成長を続けたスポンジ生物は汚染物質の枯渇と共にやがて自己崩壊を起こして消滅する。このことの意味は、すなわち無限のスポンジを今でも使えるのはスポンジの原版を保持している我が国だけだということ。工場の吐き出す産業廃棄物のために各国の海と空気が再び汚れ始めると、我が国の出番である。小さく切ったスポンジを一播き、たちまちにして汚れは一拭き。


 今の我が国は無限のスポンジの使用料で潤っている。もはや無垢な国民が飢えることは無い。そして我が偉大なる国王陛下の顔には常に微笑みが絶えることはないのである。

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SF:無限のスポンジ のいげる @noigel

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