SF:賭博飛行

のいげる

さあ、そのボタンを押したまえ。人類のために


 最後のチップを置いた番号は無情にも外れた。一年前から始まった不運のこれが最後の一つだ。

 俺はルーレットのテーブルから立ち上がった。


 絶好調だったとき、一つの口座を作った。それは俺がギャンブルから引退した後のための資金を貯め込むもので、結構大きな額が貯まっていた。いつの日にか来るだろう俺のツキが枯渇したときに、それだけは持ったままこの世界を去ろうと思っていた。

 最高級の車が売られ、そこそこに豪華だった邸宅が競売にかけられ、惚れぬいていた女に逃げられ、すべてのギャンブル用の口座が空になったとき、その決意はあっさりと崩れた。

 これを使ってもう一度返り咲く。その決断を当時の俺は密かに誇りに思ったものさ。もちろん最後の口座もあっという間に空になり、俺はひどく後悔することになった。つまり俺は引き際を間違えたのだ。

 後はもうご想像の通りだ。あらゆる家財道具を売り、残っていた最後の腕時計を売り、女がたった一つだけ俺に残していった指輪を売った。

 ポーカーは文無しの俺の相手をしてくれる奴らがいなくなったので、もっぱらルーレットに張り付いた。

 着ていたオーダーメイドのスーツは売って、古着に着替えた。

 そこまでして作った最後の資金がたった今融けた。

 後は、そう、まだ内臓がある。腎臓と角膜は一つづつ売れる。肺は買ってくれるヤツがいない。心臓はもうすでにギャンブルという質に入っている。

 俺は自嘲の笑みを浮かべた。よくもまあここまで堕ちたものだ。


 カジノから出たところで声を掛けられた。

 そうして今、俺はここにいる。エリア51。いったいこれは何の冗談だ。


 スカウトなのだと俺を拉致した連中は説明した。スカウトの割には借金取りと勘違いした俺に逃げる暇を与えてはくれなかったがな。何しろ問答無用にテーザー銃を撃ちこんできたぐらいだ。

 連れて行かれた先の軍事基地のブリーフィングルームは大勢の人間で賑わっていた。その中に俺は顔見知りを何人も見つけた。いずれも賭け事で食っている連中だ。

 ポーカーのチャンピオンであるアリ・ハルマン。

 賭博なら何でもござれ、最年長と言われるジャック老。

 世界中のカジノに出没する大金持ちのザハン・トールマン。

 賭けビリヤード専門のマッカート。

 いずれも一癖も二癖もある連中で、最近では遠くから俺の顔を見ると避けるようになった連中だ。理由はもちろん近づくと不運が遷るから。

 軍服を来た男が部屋に入って来るとプレゼン台を叩いて注目を集めた。

「みな聞け。私はアンドレア宇宙軍大将だ」

 宇宙軍といえば比較的最近独立した新しい軍事部門だ。

「私はいま世界中の人々、政府、国際機関を代表して話している。これから聞かされる話は機密に属し、この話を聞いたものは一定期間の拘束を余儀なくされることを了承して頂きたい」

「俺は聞きたくないぞ。ここから出してくれ」聴衆の一人が怒鳴った。

「却下する。ここにいる諸君はこれから私がする話を聞く義務があるし、他の選択肢を与えることはない」

 聴衆からブーイングが上がったが、アンドレア将軍が拳銃を抜いて一発撃つと静かになった。天井から砕けた天井板の欠片が落ちる。鍛え抜かれた軍人のみが成せる、実に正確で揺るぎない射撃だ。

「ご清聴に感謝する。さて、三十年前のことだ。スニア博士という人があるプログラムを開発した。そのプログラムは世界中の情報を統合し、これから世界がどうなるのかを予測するための、自己進化型の未来予測システムであった」


 博士が作り上げたこのシステムは折からのコンピュータ技術の進歩に合わせて精度を増し、やがて世界中の未来を恐ろしく正確に予言するようになった。もちろん大地震の発生などの突発的自然現象の予測は無理だが、人間世界の経済、政治体制の移行などは完全に予測と一致していた。

 だが機械の能力が上がるにつれ、予測される未来は遥かに先までもが提示されるようになった。最終的に提示されたのは『人類の破滅』であった。

 予測を分析した結果、一番大きな問題は資源の枯渇、次に致命的な疫病の流行、さらには政治の混乱と予想される二度の世界大戦。最終的にこれらはすべて人類文明が限界点に達した証拠なのだと結論が出た。実際のところどんな文明種族でも同じ壁にぶつかるのではないかと結論づけられていた。

 その限界点は百年後。百年後にあらゆる災厄と混乱が噴出して人類文明は消滅する。人口は激減し、地球全体で十万人も生き残ればよい方だと演算された。そして資源を使い尽くした以上、もう二度と文明が発展することはないとも。これは事実上の人類の死刑宣告であった。


 会場が静まり返った。

「質問いいかね?」

 ジャグリング・ポールと呼ばれるギャンブラーが手を挙げた。ジャグリングが趣味という変わった男で、天才的数学者だと聞いたことがある。その数学能力を使って正確な確率計算でギャンブルを進めるのが彼のスタイルだ。

「未来がそこまで正確に予測できるなら未来の修正はできないのかね?」

「多少の修正はできる。そのために開発されたシステムだからな。実際にそれである国の政治体制を崩壊させることもできた」

 べろりとアンドレア将軍は暴露した。それはここでの会話が絶対に外に漏れることがないことを確信している証拠でもあった。

「だがそれでもほんのわずか未来予測を変えられるのが関の山だ。未来に対する様々な対策案が講じられたが、どれもこの破滅の予言を覆すことはできなかった」

 アンドレア将軍は続きを話し始めた。


 ここでもう一つの発見が我々のものになった。新規に打ち上げた天体観測衛星がバースト通信を受信したのだ。発信元は宇宙の彼方。

 調査の結果、ペルセウス腕にある種の星間文明があるのではないかと推論がついた。更なる調査の結果、それは恒星二百個の領域にも渡る巨大文明であることが判明した。


「我々はメッセージの内容を解読した結果、それがある種の超空間航法について述べているのではないかと考えた」

「それが私たちに何の関係が?」とジャグリング・ポール。

「彼らは募集しているのだ。新たに自分たちの庇護下に入る文明を。そのために超空間航法の秘密を洩らし、ある座標を提示している。むろんこれがある種の罠で、未熟な星間文明を見つけ出し攻撃することが目的ということもある。だが我々人類にはもう後がないのだ。ここで何らかの膨大な技術的支援が無ければ百年後には人類文明は崩壊する」

 アンドレア将軍が何かを操作すると壁に映像が映し出された。

「我々はあらゆる資源を投入して宇宙艇を二十隻作った。どれも超光速航行システムを搭載している。一隻につき乗員は三人が乗れる」

 俺たちは画像に魅入った。宇宙艇はどこかのSFに出てくるような流線形ではなく、楕円形をしている。半分が半透明な素材で、半分が銀色の素材で覆われている。

「多くの資金と人命を消費した。これがその結晶だ。その結果、人類文明の終焉は十年ほど縮まったが、どのみち後がないのだから構わないと我々は考えた」

「どうして二十隻も?」

 ジャグリング・ポールは引かない。さすがに数学者だけはある。

「あらゆる実験と研究の結果にもよらず、超光速航行は不安定だ。一度の超空間ジャンプで半数は脱落する」

「脱落?」

「つまり消えるのだ。超空間から出てこない。あるいは出てきたとしても計算外の見つからないような場所に出ているものと思える。ジャンプの成功率五十%。これが我々の技術の限界だ」

 部屋が静まり返った。それにはまったく注意を払わないでジャグリング・ポールは質問を続けた。

「その星間文明にコンタクトできる位置にたどり着くまで何度のジャンプが必要なのだね?」

「十回だ」アンドレア将軍は言い淀みもしなかった。

 今度こそ本当に静まり返った。しばらく経って絶句していたジャグリング・ポールが示唆した。

「二十隻飛んだ中で一隻でも到着できる確率は二%程度ということになるな」

 アンドレア将軍はその言葉に頷いてみせた。

「超空間航法は完全なギャンブルだ。何を改良してもこれ以上成功率は上がらない。

 だが実験中に奇妙な性質が観測された。ジャンプ成功率はジャンプ装置のトリガを引く人間の運不運に大きく左右されるのだ。

 それがどういうメカニズムで発動するのかは分からないが、その事実だけで我々には十分だった。

 その現象を元として、現存するギャンブラーの中で一番運が良い連中を搭乗させ、超空間ジャンプのトリガーを引かせるという案が浮上したのだ」

 会場が騒めいた。

「静かにしろ!」アンドレア将軍が怒鳴った。「諸君には必ず協力してもらう。断れば機密保持のために一生涯の期間を軍刑務所の独房で過ごしてもらう。参加してなおかつ任務を成功させた暁には莫大な賞金が与えられる」

 将軍はその金額を口にした。俺が耳を疑ったぐらい確かに莫大な金額だ。

 十回だけ、勝率五割のギャンブルをやればいい。その内一回でも負ければ命を失うという条件つきで。

「どうして今なんだ。もっと技術レベルが上がってから」そこまで言ってからジャグリング・ポールは自分の額を叩いた。「ああ、そうか。資源を使い尽くした後で技術流入があっても無駄ということか。未来を変える分岐点は今しかないのか」

「そういうことだ」とアンドレア将軍。

「あのう」誰かが手を挙げた。驚いたことにそれは俺だった。「どうして俺が。俺はいま物凄く不幸のどん底でどんなギャンブルでも負けるのだが」

 それに答えたのは富豪ギャンブラーのザハン・トールマンだ。恰幅のよい紳士で彼のギャンブルの種銭は底が知れないと言われている。

「すまん。私が推薦したんだ。ほら、ギャンブルってのはちょっとしたことで運が天井からドン底までくるくると変化するだろう。だから運の良い人間たちだけではなく、ひどく運が悪い人間も選ぶべきだって私が提唱したんだ。たまたまそれが君だっただけで。すまん。他意は無いんだ。もちろん君には断る権利がある」

「それで俺がもし断ったら?」

「むろん独房行きだ。例外はない」アンドレア将軍が断言した。

 俺は席に座りなおした。確かによくよく考えてみれば俺にはもう何も失うものはない。俺と一緒に飛ぶ乗組員には気の毒だが。

「以上が私が話してよいすべてだ。技術や扱いについての詳細は後程紹介されるコンパニオンたちに聞いてくれ。

 さて、全員志願してくれたとみてよいのかな?

 自分は軍刑務所の独房の中の方がよいと思うものは今言ってくれ。言っておくがそこでの生活は退屈なだけでそれほど悪いものではないぞ」

 ひどい冗談だ。だが誰も手を挙げなかった。ギャンブラーだって命は惜しい。だが勝っているときのギャンブラーというものは、自分だけは何があっても最後には勝ち切って終わると信じている間抜けな生物なのだ。

 こうして俺たちの命賭けのギャンブルは始まった。


*)


 その日から俺たちは長く厳しい訓練を受けた。

 ・・とは言わない。出発の日まではわずかに三日しかなかったからだ。宇宙船の準備と乗組員たちの訓練はとうの昔に終わっていて、後は俺たちギャンブラーの訓練だけという話だった。

 ギャンブラーがやることはジャンプボタンを押すだけなので、特に訓練は要らない。その代わりにやってはいけないことを片っ端から頭に叩き込まれた。

 空調システムのボタンに触ること。これはやってはいけない。

 操縦機器に触れること。これはやってはいけない。

 エアロックの周りで遊ぶこと。これもやってはいけない。

 無重力下でコーヒーを噴き出すこと。知らない配線配管を踏んづけること。まるで押してくれと言わんばかりに明滅する正体不明のボタンを押すこと。あんなこと。こんなこと。これらは全部やってはいけない。

 もう頭にきて、それなら何をやっていいのかと訊いてみたら、初めて教官は押し黙った。結局、俺たちがやっていいことは何もないってことだ。ジャンプボタンを押すこと以外は。

 夜は皆でレクリエーションルームに集まり雑談をした。

 軍の強制的なやり方にもっと反発するかと思ったが、皆驚くほど協力的だった。おそらくは楽観視しているのだ。ここに居るのは俺を除いていずれも絶好調のギャンブラーたちだ。生き残る確率はわずかでも、それをうまく掴むのは自分だと心の底では信じている。この地獄から帰って来たときに貰える莫大な協力金の使い道で頭がいっぱいなのだ。

 そんな中、富豪ギャンブラーのトールマンが俺に近づいて来た。他のギャンブラーは運が落ちるからと俺の傍に近寄ろうともしないのに。

「君に一言だけ言っておきたくてね」トールマンは鼻を掻きながら言った。「ここにいる皆は徴募兵だが、私だけは志願兵でね。軍から最初に相談をされたのは私なのだよ。他のギャンブラーを名簿に載せるのも手伝った」

「そいつは驚きだ。で、どうして俺の名前がその名簿に?」

「君には悪いと思っているんだよ。ほら、こういった運の強い者たちが競っている中にな、運の悪い者を放り込むとどうなるのか。その場の悪運のすべてがその運の悪い者に集中する。つまりは悪運に対して拭き取り用のスポンジのような働きをするわけだ」

 しばらく考えた。この場でこいつを殴って良いものかどうかを。

「そういうわけでよろしく頼むよ」

 俺の殺気を感じ取ったのか、それだけ言うとトールマンはそそくさと消えた。

 何がよろしく頼むだ。宇宙船が飛び立つ前にこいつだけは殺そうと心に決めた。どこかで拳銃を手に入れねば。


 なに、そう考えただけで本気じゃないさ。


 次の昼からは自分が乗る宇宙船のクルーに引き合わされた。一機の宇宙船に正規の乗組員は二人。俺の場合はパターソン船長とブエン副長だ。パターソン船長は短いあご髭を生やした精悍そうな筋肉質の三十台の男で、それに比べてブエン副長は小柄なベトナム人の男だ。

「よろしく頼むぞ」とパターソン船長。彼は快活で陽気な性格だ。

「隠し事なしで言う。うちは貧乏くじを引いたと考えている」

 パターソン船長はにこやかな顔で冷たい氷のようなセリフを吐いた。

「まず機体番号が不吉な十三番だ。当局もこれは気にしたらしく欠番にしようとの声も上がったがな。結局そのままになった。それとキミだ。キミは今一番ついていないギャンブラーという話だが」

「その通りだ」

 隠しても仕方がない。それに俺の運にかかっているのは彼らの命だ。

「ちょっと試してみてもいいかな?」

「何を?」

 単純なゲームをパターソン船長としてみた。トランプのカードをそれぞれ一枚引き、その数字で勝負するというものだ。完全に運任せのゲームで、賭け金は一回一ドル。

 十回勝負し、俺は十回とも負けた。自分でもここまで運が落ち込んでいることに唖然とした。

「これではジャンプボタンは私が押した方がよさそうだな」

「そうしてくれ。俺は宇宙船の隅っこで大人しく座っているよ」

 話はそう決まった。十ドルはきっちりと支払ったよ。俺は借金でギャンブルはしない主義でね。


 夜は用意されたラウンジでのんびりと過ごした。もっとも俺は仲間には入れて貰えなかったが。とかくギャンブラーというものはツキにはうるさい。不運に見舞われている者には触られるどころか言葉を交わすのもタブーだ。

 グループの中心にいるのは富豪ギャンブラーのザハン・トールマンとポーカーチャンピオンのアリ・ハルマンだ。この二人は知名度が抜群なので不思議はなかった。

 異彩を放っているのが通称ジーザス。こいつは風貌がどこかの救世主にそっくりだ。ギャンブルのスタイルもそれに合わせて勘に任せたもので、しかもそれが実際に良く当たる。一部のファンから熱狂的な支持を受けている謎の男だ。

 ジェーン・タイロンはこのメンバーの中で唯一の女性だ。髪は短めのブロンド、年齢は三十五ぐらいに見えるが詳しいことは判らない。いつも素気ない化粧でカジノテーブルに座っているという印象だ。

 他にも癖のある奴らがずらりと揃っている。これを全部どこかのカジノから拉致してきたとすれば今頃はどこのカジノも噂話で持ち切りだろう。


 三日間は特に何ということもなく過ぎたが、その間にいくつかの事件が起きた。

 ジーザスは自分が乗る船体の番号に「1」という文字を描き加えた。

 元の機体番号と合わせて、これで「111」になる。つまりは聖なる番号トライユーン「三位一体」だ。なんと芝居がかっていること。いや、それともジーザスは本気で自分を神と考えているのか。まあ確かに十戒の中には、汝賭け事をするなかれ、は入っていないからな。

 9番艇に乗るはずだったギャンブラーはこの三日の間に心臓麻痺で死んだ。これには軍当局も慌てたようだったが、今さらどうにもならないので9番艇はギャンブラー無しで飛ぶことになった。俺を9番艇に移籍するという話も持ち上がったが9番艇の乗組員たちに断られた。顔には出さなかったが俺は深く傷ついた。

 止せばいいのに乗組員たちは6番艇担当のニコ・S・ハイネにカードで挑戦し、有り金すべてを持っていかれた。当然と言えば当然だ。ニコはトランプの魔術師と呼ばれるほどの凄腕だ。監視カメラ以外ではニコのすり替えを見破ることはできない。


 そうこうしている内に出発の期日が来た。


*)


 超空間航行艇、略してHSSは楕円球体の形をしている。前半分は居住空間、後ろ半分は跳躍用のメカニズムで埋まっている。こいつは超空間ジャンプを行うためのものなので普通の宇宙船に見られるロケットエンジンの類はついていない。せいぜいが姿勢制御用のミニロケットぐらいのものだ。居住空間は結構広いが、これは乗員のためというよりは単に駆動部が大きいためそれに引きずられて大きくなっただけだ。

 俺はパターソン船長とブエン副長の後をついて宇宙艇に乗り込んだ。二人は俺をこのまま置いてけぼりにしたがっていたし、俺もそうして欲しかったが、軍上層部はそうは考えなかった。

 パターソン船長がジャンプボタンの前に座り、ブエン副長が操縦席に、そして俺が副長席に座った。ブエン副長はシートベルトで俺をきつく固定した。

「いいか、何があっても何にも触るな。お前が触っていいのは自分のナニだけだ」

「そんな言い方していると石鹸で口を洗われちまうぞ」

「ブエン。くだらん冗談を言うな。俺たちはこれから長い間一緒なんだぞ」パターソン船長が割って入った。

「はいはい」ブエン副長はそれだけ返すと計器類のチェックに入った。

「オールグリーン。異常なし」

 操縦席のスイッチを押す。スクリーン上に表示された二十の絵の一つが明るく光った。操縦席から見える外の光景に残りの乗組員たちが次々と宇宙艇に搭乗する姿が見えた。

 ジーザスが11番艇の外に描かれたトライユーンの数字にキスをすると、彼の乗組員たちの上に何かの祝福の儀式をしてから乗り組む。

 おやおや、教祖さまはもうファンを獲得したらしい。

 二十の輝点がすべて明るく輝く。準備はすべて整った。

 スピーカーから号令が轟いた。

「ジャンプ・イン!」

 パターソン船長が復唱し、それから勢いよくジャンプボタンを叩き込んだ。

 外の光景が瞬時に黒に切り替わった。次の瞬間には宇宙艇は星空の中に浮かんでいた。もっとも俺は外を見る余裕はなく、まるでジェットコースターで滑り落ちているかのような強烈な下腹の感覚に耐えていた。いきなりの無重力状態だ。訓練されていない体は落下しているものと勘違いする。

 パターソン船長が怒鳴った。

「しばらく我慢しろ。チェックが終わったら艇に回転をかける。いいか、吐くなよ。吐くと大変なことになる」

「判ったから早くしてくれ」俺はそこまで言うのが精一杯。

「1番確認、2番確認、3から8番まで確認、10から13番まで確認、15、17,19番確認」

 ブエン副長が読み上げる。そこでしばらく間が空いた。

「20番来ました」

 それで最後だった。

「ジャンプ成功したのは十六隻か」とパターソン船長。「残りは死んだかそれとも」

 そこで彼の言葉は尽きた。

「きっと到着したのは天国ですよ」ブエン副長が相槌を入れた。

「そう願いたいものだ」

 俺は何か気の利いたことを言おうとして、それから止めた。四隻の船が消え去っている。ギャンブラー同士は単なる顔見知りのケースが多いが、彼ら乗組員たちはお互いに友人だったのだ。その喪失感は計り知れないものだろう。

 その夜、ディスカッションが行われた。

 一回目のジャンプの成功率は八十%だ。本来の成功率は五十%が限界という話なのでギャンブラーの起用は成功だったという結論に落ち着いた。

 消滅した艇についても議論は行われた。

 9番艇は搭乗前にギャンブラーが心臓麻痺で死んだ艇だ。何かを暗示していたのだろうか。

 14番艇はコンピュータ技術者のディビット・イーロック。副業でギャンブラーをやっている男で凄腕のメカニック、つまりイカサマ師だ。運に関係ないギャンブルをする人間がどうしてこの作戦に選ばれたのかは謎だ。もしかしたら俺と同じ理由でトールマンに選ばれたのかもしれない。

 16番艇はハンサムなウィーリー。ギャンブルの腕というよりはカジノを訪れる欲求不満の女性客を落とすことを専門としていた男だ。

 そして18番艇はニコル・ティールセン。本業はレーサーでギャンブルはただただスリルを求めてやっている破滅型の思考をしていたヤツだった。

 彼らすべてが虚空の闇の中に消えた。超空間から出てこなかった艇がどうなるのかは追跡する手段がないのでまったくの不明だ。どこかの太陽の中に飛び出たのかもしれないし、あるいは超空間を未だに漂っているのかもしれない。そこで食料と酸素が尽きるまで耐え続けるのだ。

 あまりにもぞっとしない死にざま。医薬品の棚にドクロマークのついたビンが混ざっている理由を俺は理解した。


*)


 俺たちはそこで一週間の待機に入った。その期間を利用して宇宙艇の後部では小型原子炉が全力でエネルギーを作り蓄電器に蓄えている。一回の超空間ジャンプで蓄電器はほぼ空になってしまうので、ジャンプのたびに一週間の待機期間が必要になる。その間、宇宙艇は孔雀の羽のように放熱フィンを広げて、原子炉が生み出した熱を宇宙空間に捨てている。

 宇宙艇にはゆっくりとした回転がかけられ、地球の重力の二割程度の重さを作りだしている。正確には重力ではなく遠心力だそうだが、細かいことはどうでもいい。お陰で俺はようやく吐き気から解放された。窓の外でぐるぐる回っている星のことはできるだけ考えないようにする。もっとも船外モニタは補正されているので、回って見えるのは直接観測窓だけだが。

 宇宙艇は周囲を観測し、パルサーを見つけ出すと銀河系の中での自分の位置を算出した。パルサーってのは規則正しく電波を発射し続ける天体だ。その周波数は正確で揺るぎない上にパルサー毎に異なっている。だから宇宙空間では灯台として使うことができる。

 宇宙艇の観測装置はすべて自動で動き、パルサーを見つけるとその位置関係から自分の位置を算出するようになっている。超空間ジャンプのたびに星空の形はすこしずつ変わるので、こうしないと宇宙の中で迷子になってしまう。

 まあ、これらはすべてブエン副長の説明の受け売りだがな。

「一回のジャンプで計算通りに二百光年を飛んでいる」暇ができたブエン副長が説明してくれた。「これを後九回繰り返せば目的地だ」

 俺は船外を見た。煌めく星々、その間を支配する漆黒の闇。他の宇宙艇は肉眼では見えない。一応小さなパイロットランプの灯りはついているし、操縦席からも光は漏れているはずだが、相当に注意しないとその存在には気が付かない。

 俺たちは何てちっぽけな存在なんだ。しみじみとそう思った。


 時間があったので皆と色々と話しあった。他の宇宙艇の連中も含めての映像通信機を使った大セッションだ。

「向こうに行くのはいいが彼らは本当に助けてくれるのかな」

 そう言ったのは3番艇のギャンブラーのファドだ。彼には特にあだ名はついていない。最近急にのし上がってきた人物で、他のギャンブラーからは強運だけの男とみなされている。つまりはやがて運を使い果たして消えていく類の人物だ。ギャンブラーに運は必須の属性だが、不運の時期をやり過ごすだけのテクニックも必要になる。彼にはそれが欠けている。

「助けてくれると思う。私の推論では」と数学者のジャグリング・ポール。

「わざわざ超空間ジャンプの情報を明かすのがその証拠だ。自力で超空間ジャンプ機構を作り上げ、危険を顧みずにやってくる。そんな種族を求めているんだ。単に新しく隆興した技術文明を見つけて処分しようという意図ならもっと効率のよいやり方がある」

「わからないぞ。単にそうやって遊んでいるだけかもしれぬ」この中で最年長のジャック老が混ぜ返した。

 現役のギャンブラーに高齢者は稀だ。ギャンブルに必要な高度の集中力が老人には支払えないからだ。ジャック老は相当な高齢にも関わらず未だ引退していないことでも周囲から一種の敬意を持って扱われている。

「しかしいずれにしても俺たち人類には後はない」アルト・ドアル・Jrが続けた。

 彼は闘犬ブリーダであり、また自分でも闘犬ギャンブルにどっぷりと嵌っている。やれやれ、軍の連中ときたら手あたり次第に候補者を集めたようだ。


 ジャンプから三日後、死んだ連中の慰霊祭が行われた。

 ジャンプ船での死は派手な爆発も何もなく、ただ超空間から現れないだけだから死の実感が乏しい。もしかしたら到着しなかったのは、死んだのではなく何らかの故障によりジャンプしなかっただけなのかもしれない。だから来なかった連中と死が結びつきにくい。それでも時間が経つと死の実感がわくものだ。その結果がこの慰霊祭だ。

 乗組員の一人が紙を使って作った花束を宇宙空間に投げ、俺たちは各宇宙艇の操縦席で黙祷をした。ギャンブラーのジーザスが祈りの言葉を唱え、彼らの魂を祝福した。

 超空間にまでこの祈りが届けばいいのだが。


 残りの期間はトールマン主催での大ギャンブル大会だ。といっても宇宙艇の間を行き来するのは大変に面倒なので映像通信でのギャンブルだ。トールマンがディーラーをやり、他の艇の連中が賭ける。俺は参加しなかったがパターソン船長たちも参加した。その結果、パターソン船長は冷徹で合理的な判断をすることが判ったし、ブエン副長はとうてい勝ち目のない勝負にも果敢に挑戦することが判った。

 賭け金はミッション成功時の報酬から払うことになっていた。だから彼らが賭けた金額ときたら、まるで現実感の無い額になっていた。生涯賃金を遥かに越える金額がポンポンと飛び交うのだ。傍で見ていても現実感の無さに思わず笑ってしまった。

 本当にギャンブラーってのは愛するべきクズどもだ。


*)


 いよいよ二回目のジャンプの日がやってきた。

 今度もパターソン船長がジャンプボタンの席に座った。心無しか顔色が悪い。緊張のせいか額に汗が浮いている。

 タイムアップ。機械音声が叫んだ。

「ジャンプ!」

 俺は副長席でモニタを睨んでいた。まず最初に消えた光点は11番艇ジーザスの船だ。続いて二番目三番目が飛ぶ。

 パターソン船長は強く奥歯を噛みしめると、ボタンを叩き込んだ。

 キャノピーの外の光景が瞬いた。星空が映っているのは変わらないが、一瞬で星の配置が切り替わったせいだ。

 ブエン副長がモニタの報告を読み上げる。

「1番確認、4、5、7番確認。あ、いま6番来ました。11、12番確認」しばらく間が空いた。「17、19番確認」

 沈黙があった。

「終わりか?」とパターソン船長。その肩ががっくりと落ちる。

「20番来ました」ブエン副長が最後の報告をした。「総勢十一隻来ています」

「ここまでで半分脱落か」椅子に深く腰掛けてパターソン船長がつぶやく。「予想よりは遥かに良い、しかし希望よりは遥かに厳しい。後八回ある」

 そこから先は俺たちは無言だった。


 ポーカーのチャンピオンのアリ・ハルマンは二回目のジャンプを生き延びることができなかった。彼は富豪ギャンブラーのトールマンと袂を分かつグループのリーダーだったからギャンブラーたちもひどく静かになってしまった。

 最年長のジャック老も無敵のディーラーのハン・ホフマンも消えた。


 今回も三日目に慰霊祭が行われ、その後ジーザスの下に大勢の人間が詰めかけた。その中には慣れない宇宙服を無理して着込んだギャンブラーたちも混ざっていた。ここまで来て初めて、このギャンブル航行の恐ろしさが実感できたわけだ。

 苦しいときの神頼みとは言うが、それを笑えないだけの切実さがそこにはあった。驚くべきことにパターソン船長の姿もその中にあった。


 船内時間の深夜に行われるギャンブル大会で、初めてこのまま地球に帰ろうと主張する者が現れた。それならジャンプは後二回で済む。生き残る確率は前に進むよりは存外に高い。だが実際にはそれは無理であることが指摘された。軍当局はそういうことができないように、最初から引き返せないようにシステムを構築していたからだ。

 遠い宇宙空間にいる「彼ら」に出会って地球に送り届けて貰う以外に地球への帰還の方法はないのだ。


*)☆後編


 ジャンプ三回目。

 パターソン船長はジャンプボタンの前で長い間逡巡した。

「船長」

 ブエン副長に促されて、ようやくボタンの前に座り、ぶつぶつと何かを唱えながら、ボタンを押し込んだ。

 明滅。もたもやジャンプ成功だ。ジャンプに失敗したときにはどんな光景が見られるのか俺は知らない。もしかしたら俺たちはジャンプに成功したと信じ込んでいるだけで、すでに死者なのかもしれない。

 ブエン副長がモニタを読み上げる。今回は俺たちが一番最後にジャンプしたらしい。

「総勢五隻」冷えた声だった。「1番艇、7番艇、11番艇、19番艇です」

「全滅する」パターソン船長がつぶやいた。「たった三回飛んだだけで十五隻沈んだ」

「それでも最初の計算よりずっと良い結果です」とブエン副長。

「そうだな。たしかに。幸運な結果だ」

 幸運だなんてちっとも思っていない声でパターソン船長は答えた。


 今度の一週間は長い長い一週間だった。どの艇もひどく沈んだ雰囲気が支配していた。

 機械は順調に動作し、蓄電池に大量のエネルギーを蓄え続けている。放熱フィンは赤外領域で観測すると三百度程度らしい。もっとも気軽に触れるような場所にはないのだから何の問題もないのだが。

 俺はこの暇な時間をビューアーで映画を見ることに費やした。恒例のギャンブル大会は行われなかったが、ギャンブラー同士の集まりは行われた。むろん通信を介してだが。

 いきなり怒声を発したのは富豪ギャンブラーのトールマンだ。

「ミスター・ナカムラ。どうして君は生き残っているのだ? 運が尽きていたはずなのに」

「うちの宇宙艇のジャンプボタンならパターソン船長が押しているよ」

 俺が秘密を暴露するとトールマンは一瞬絶句した。

「インチキだ。君がボタンを押すべきなのに」

「それで俺の悪運にうちのクルーも巻き込めってか? ご免だね」

「君は自分の役割を理解していないのか」

「あんたたちのためにカモになれってことか?」

「その通りだ。そのために推薦したのだから」

「まったく。迷惑な人だな。あんたは」

「なんだと!?」

 このおっさん。人を何だと思っているのだろう。

「もうやめろ。トールマン。キミの態度はあまりにも失礼だ」

 止めに入ったのはラッキーの7番艇のギャンブラー、マッカート。賭けビリヤードをメインとしている男だ。もっとも宇宙ではその腕の振るいようがないわけだが。

 モニターの中で渋い顔をしているのはビリー・ザ・スモーク。極度の愛煙家で、宇宙艇の中では喫煙が認められていないために大変に辛い思いをしている。宇宙艇の中は厳密に禁煙だ。タバコの煙は空気調整フィルターには大敵だし、おまけに電子基板を浸食する。あくまでも賭け事の直前には喫わないとツキが落ちるということで、ジャンプの時だけ彼には喫煙が認められていると聞いた。

 救世主ジーザスは一切口論には加わらずに涼しい顔をしている。最近ではますます神がかって来ている。じきに頭の後ろから後光が射し始めるんじゃないか?

「後七回もあるんだぞ」トールマンがぶちぶち言った。

「最初の予想では十回飛んで一隻でも残るのは二パーセント。もともとがこういうギャンブルなんだから」

 マッカートはそこまで言ってから喉を詰まらせた。やはり死が身近なところに来ていると、どこまでもポーカーフェースではいられない。

「どうせなら向こうさんが俺たちの接近に気が付いてここまで迎えに来てくれればいいのに」

 ビリー・ザ・スモークが不平を洩らした。

「神様に頼んでみてはどうだい? なあ、ジーザス」と俺。

 この軽口になぜか皆が俺を睨んだ。

「祈ってみよう」とジーザスは答え、それで今日の会合はお開き。

 船の中のビューアーには山ほどのドラマや映画が記録されている。俺はそれに感謝してまた昼寝に戻った。


*)


 四回目のジャンプはひどかった。

 パターソン船長はジャンプボタンの前で唸り声を上げ、脂汗を垂らし、逡巡していた。ジャンプという掛け声も無視してさんざん待たせた挙句に、椅子から立ち上がった。

「俺たちは死ぬ」

 そう宣言した。

「同じ死ぬなら俺は宇宙で死ぬ。超空間なんてクソ食らえだ」

 そう叫ぶとエアロックに突進した。慌ててブエン副長も自分のシートのロックを解くと、隣の俺のロックも手早く外した。

「手伝え。ナカムラ。船長を抑えるんだ」

 えらいことになった。緩い重力の中での素早い動きは存外に難しい。俺とブエン副長はエアロックを開けようと格闘しているパターソン船長に飛びついた。エアロックの内側扉が開き、パターソン船長の体がねじ込まれた。パターソン船長は船外へ通じる扉を開こうとした。安全装置が働きその命令がキャンセルされると、緊急時解放レバーに手を伸ばした。冗談じゃない。俺でもその意味は知っている。エアロックの扉を両方開いたら中のものは何でも外の宇宙に放り出される。絶対にやってはいけないこと、その1だ。

 だがパターソン船長は狂人のみが震える物凄い力を発揮した。とてもじゃないが体格的に劣る俺たち二人では抑えきれない。

「ナカムラ。何とか抑えていろ。ジャンプする」

 ブエン副長が叫ぶと、ジャンプボタンに飛びついた。

「やめろ!」パターソン船長がエアロックから戻って来るとブエン副長に向かった。俺はその腰に飛びつき、振りほどかれて壁面に衝突した。

「ジャンプ!」ブエン副長が叫ぶとボタンを押し込んだ。

 周囲の星空が瞬いた。ジャンプ成功。

 緊張が抜けたパターソン船長が崩れ落ちると、床の上でしくしくと泣き始めた。

 ブエン副長が素早く薬品棚から注射器を持ってきて何かを注射する。パターソン船長が静かになった。

「ナカムラ。報告を見てくれ」

 俺はモニタを覗き込んだ。光点はわずかに二つ。この宇宙艇と、11番艇ジーザス艇のみだ。


 今回は慰霊祭はやらなかった。向こうの艇の連中とこちらの艇の連中が、密かに持ち込んでおいた酒のグラスを掲げて一杯だけ飲んでそれで終わりだ。

 パターソン船長は目を覚ますと暴れるので、結局はシートに縛りつける羽目になった。

「飛ぶのを止めよう」パターソン船長は目を血走らせて叫んだ。「そうすればもう少しだけ長生きができる。ジャンプは駄目だ。次のジャンプで必ず死ぬ」

 それが一週間続いた。

「パターソン船長は壊れてしまったのか」俺はブエン副長と話をしてみた。

「いや、ただ単に船長の勇気が尽きただけだ」

「勇気が尽きる?」

「精神学者が発見した事実でね。勇気というのは人により個体差があるが、生まれながらにして持っている量が決まっているという話だ。そしてそれは使うたびに減り、決して補充はされない。一度尽きてしまうともう勇気はどこからも出て来ない。そういう類のものらしい。パターソン船長は豪胆で有名な男だったが、ここ数回のジャンプで勇気を使い果たしてしまったということだ。もう船長の頭の中には一滴の勇気も残っていない」

 ということは俺たちのミッションの性質からしてパターソン船長は完全に役立たずになってしまったということになる。

 この艇は今や二人だけで運用されているということになる。


*)


 ジャンプ五回目。

 ブエン副長が注射を打ち、パターソン船長は深い眠りについている。

 ジャンプボタンの前でブエン副長は何かをつぶやいていた。祈っているのだろうか。ジーザス艇がジャンプし、モニタから消える。


 ジーザスはジャンプに成功しただろうか?


 それはこちらがジャンプしてみるまでは判らない。

 ブエン副長は十字を切ると、ボタンを押し込んだ。

 明滅。星空の配置が変わる。ジャンプ成功。

 モニタには二隻が映っている。ジーザスも当然のようにジャンプに成功している。

 慰霊祭の必要のないジャンプは初めてだった。


 目を覚ますとパターソン船長は泣き始めた。ジャンプを中止して姿勢制御エンジンで手近の惑星に行こうと喚きたてた。ここはオリオン腕とサジタリウス腕の中間点で周囲数百光年にはまともな恒星すらないと冷静なブエン副長が指摘すると、さらなる大声で泣き始めた。

 どのみち、もしこの宇宙艇にでっかいエンジンがついていたとしても、どこかの惑星にたどり着くまで数十万年はかかる。それに比べて、食料も水も酸素も後十週間分しかない。熱だけは原子炉のお陰で有り余るほどあったが。

 じきにパターソン船長の戦略は変化した。ジーザス艇に乗ると言い出したのだ。彼はそれを三日間に渡って喚き続けた。最後は彼の喉から血が噴き出たがそれでも喚くのを止めなかった。

 向こうの乗組員たちと長い長い会話をした後で、パターソン船長を向こうの船に乗せることになった。ただし、宇宙服の中で拘束したままという条件付きでだ。これはやられる者にとっては相当にきつい状態なのだが、パターソン船長はその条件を飲んだ。勇気が品切れになっている以外はごく普通の理性が残っているのだ。

 ブエン副長と二人で固めた状態のパターソン船長を宇宙服ごと船外に持ち出し、11番艇に引き渡す。

 向こうの艇のエアロックを抜けて艇の中が見えると俺たちは絶句した。通信カメラに映らない範囲で艇の中が様変わりしている。紙で作ったわけのわからない像のようなもの。祭壇風の飾りつけ。ところ構わずに貼られたキリストの合成写真。その写真の顔の部分は完全にジーザスのものだ。まるでどこかのカルト教団だ。

 これは狂気か。それとも救いを求める人の心が行うごく自然な行いなのか。

 ジーザスは宇宙艇の中心に厳かに立ち、その両側に乗組員が二人で跪き祈りの文句をつぶやいていた。

「来なさい。わが子よ」

 ジーザスが両手を広げると、パターソン船長を受け取った。低重力なので宇宙服の重量を含めても何とか倒れずに受け止めることができた。

「この身も心も捧げます。主よ」宇宙服の中で硬直したままパターソン船長が答えた。

 俺とブエン副長は挨拶もせずに、11番艇から逃げ出した。

「あんたもあっちに行っていいんだぜ」

 自分たちの艇に戻ってから俺はブエン副長に水を向けてみた。

「ごめんだね。俺は敬虔な信徒だが、あれは神なんかじゃない。神の振りをした何かだ。それに俺がいなかったら誰がこの艇の面倒を見るんだ」とブエン副長。「それからあらかじめ言っておく。次のジャンプは君がボタンを押せ。俺はもう嫌だ」

「俺が!?」

「実際にボタンを押してみてパターソン船長がどうしてああなったのか、俺には分かった。自分で自分の命を絶つかもしれないことって、ものすごく大変なんだと理解した。他人がボタンを押してその瞬間を待つのなら耐えられる。でも自分で押すのはダメだ。耐えられない。たぶん俺の勇気も尽きかけている」

 俺は考えてみた。

 俺はギャンブラーだからそういう瞬間はよく知っている。ギャンブラーでも命そのものを賭けることは少ないが、賭けているのは命より貴重な金なのだ。賭ける瞬間には様々な思いが去就する。もし負けたらというのがその大部分だ。悪い思いを捨て、ただひたすら勝った瞬間の喜びのみを心に留めることのできる愚か者だけがギャンブラーを続けられる。

 要はパターソン船長もブエン副長も俺よりは随分と賢かったというわけだ。そう考えて、俺は少しばかり落ち込んだ。


*)


 ジャンプ六回目。

 ジーザス艇の光点が消えた。ジーザスという男はジャンプをするのにまったく躊躇いがない。

 俺は初めてボタンに触った。

「失敗しても恨むなよ。ブエン」

「任せたと言っただろう。やってくれ」

「よし、1、2の3!」

 押し込んだ。ジャンプボタンの思ったより硬い感触。周囲が明滅し、新しい星座の中に俺たちはいた。

「ジャンプ成功」ブエン副長が言うとモニタを覗き込み、しばらく固まっていた。

「おい?」

「ジーザス艇が無い」

「馬鹿な」

 俺もモニタを覗き込んだ。確かに光点はこの艇だけだ。ジーザス艇は消滅。いや、天国に帰ったと言うべきか。

「ついに最後の一隻か」そう言ったのは俺なのかブエン副長なのか。

 後は二人無言で過ごした。

 ジャンプは後四回。今になって胸がドキドキしてきた。鼓動が痛い。強がっては見せたがやはり俺もただの人間なのだと改めて認識した。


 慰霊祭で残りの酒ビンはすべて空にした。どのみちこれが最後の慰霊祭だ。次に俺たちが死んでも、俺たちのために酒を捧げてくれるヤツはいない。

 話し相手がいなくなると時間の流れは遅くなる。だから俺とブエンはお互いの過去を教えあうことでこの時間をつぶすことにした。ブエンはベトナム出身の移民で、アメリカに移住した後にかなり良い大学を出て創設されたばかりの宇宙軍に入った人物だ。俺は日本人とドイツ人のハーフで、見た目は完全な日本人。ろくでもない生き方をしてきたし、これから先もろくでもない人生を送るだろう人物だ。

 もし、このミッションが成功したら貰える莫大な報酬を何に使うかという話になって、結局俺はまたギャンブルに手を出してすっからかんになるのだろうなと思ったのはさすがに秘密だ。ブエンは故郷に帰って農場を買い結婚相手を探すつもりだと説明したところで何かに気づいて話を止めた。


 馬鹿野郎。このタイミングでフラグを立てるヤツがあるか。


*)


 ジャンプ七回目。

 指が震える。それでも躊躇なくボタンを押せる自分を誇りに思った。横目で見るとフエン副長は目を瞑っている。

 ボタンを押し込む。明滅。

「ジャンプ成功」俺の言葉を聞き、ブエン副長が目を開けた。計器の表示を確かめ、現在位置の算出を待つ。

 ここまでで計算通りの千四百光年をこなしている。

「おい」ブエン副長が驚いた声で言った。

「何だ?」

「自分が泣いているのを気づいているのか?」

 俺は自分の顔に触れた。本当だ。いつの間にか涙が流れている。


 ブエン副長と話をしていて、目的地に着いた後のプランを聞き、ちょっと驚いた。

 向こうが指定したポイントに到着した後は救難電波を流してただ漂うだけというのだ。この艇には噴射エンジンの類がついていないし、もしついていたとしても光年で測られる距離には人類が作るエンジンではとうてい届かない。だから電波を出して後は待つだけしかない。

 向こうにいるのがどんな連中かは知らないが、何等かの警戒探知網を持っているのではないかと推測しており、侵入者には敏感に反応するはずという曖昧な予測がすべてだ。

 実際それ以外の何かをしようとしても、人類にはそれを行うだけの技術力がないのが実情らしい。探索も、移動も、報告も、すべて不可能。故郷への帰還など夢のまた夢。

 彼らが来る前に俺たちの酸素が尽きて死んだ場合には艇に納めてある記録が開示されるようになっている。そこには人類のこと、現在陥っている窮地、手助けが必要なこと、そういった情報が余すことなく記録されている。

 やれやれ。何という無茶苦茶な計画だ。


 手持ちの資金が少ないギャンブラーほど無茶な賭けをする。そう、その通り。人類がそのギャンブラーだ。


*)


 ジャンプ八回目。

 ブエン副長と長い間話し合った。ジャンプボタンは自動で起動するようにもできるらしい。ただし人間がボタンを押した方が優位に成功確率が上がるというのも本当だ。

「君の勇気が尽きていればそれもありだ。俺は自分ができないことを他人に強制するつもりはない。どうするね?」とブエン副長。

「やっぱり自分で押すよ。それが正しい行いのような気がする」

 俺はジャンプボタンの前に座った。もはや胸はドキドキしない。こなすべきルーチンワークという感じだ。いや、俺の心は敢えて目の前の現実を感じないようにしているのだろう。まともに捉えたら、パターソン船長のように狂ってしまう。それとも自分を神だと思い込みたがったジーザスのようにか。

 俺は静かにボタンを押した。明滅。ジャンプ成功。

 その後に考えてみた。

 俺たちは当の昔に超空間で塵になっていて、これは超空間で死者が見る夢なのだろうか。だとしたら間違いなくこれは悪夢だ。

 これに関してはブエン副長と話しあってみたが、もちろん結論なんか出るわけもなかった。

 一応二人でお互いの頬をつねりあってはみたが。

 この一週間はブエン副長と二人でチェスをやって過ごした。もちろん二人とも初心者だ。一週間が終わるころには俺はチェスの勝負を避けるようになった。どうやってもブエン副長に勝てなくなったからだ。


*)


 ジャンプ九回目。

 俺はブエン副長と例のトランプ合戦をしてみた。十回引いて十回とも俺が勝った。

「運が戻っている」俺は感想を漏らした。

「トールマンが主張した通りだ。どん底のギャンブラーが復活したな」

 お陰で今回のジャンプボタンを押すのは心が随分と軽かった。窓の外で星空が明滅する。星座は地球のものと比べると大分歪み、別のものになっている。

 ブエン副長がデータベースから地球の星座を取り出し比べてみせてくれた。それ以外では二人とも無口だ。ジョークも使い尽くしたし、過去も語りつくした。言葉にしないが考えることは同じ。後一回のジャンプを生き延びることができるかどうか。そのことに俺たちのみならず、人類全体の命運も賭けられている。


「なあ、俺はこう思うんだが」俺は心の中に浮かんだ考えを口に出した。

「もしかしたら彼らは運の良い種族が欲しいんじゃないか。俺たちギャンブラーは不運な人間に触れるのを嫌う。その不運に巻き込まれるからな。彼らも同じで、運の良い種族とだけ付き合いたいんじゃないだろうか。そのためにはこの超空間航法システムは最適の選別装置だとは思わないか」

「だとすれば超空間ジャンプに存在するこの不安定性は最初から仕組まれていたものということになるな。うん、むごい話だ」

 ブエン副長はしばらく考え込んでから続けた。

「おそらく彼らは運というものに関する科学的な方程式を完成させているんだろうな。そしてその理由から運が良い種族との協調を求めている」

「種族レベルでの運か」

「うん、だとすれば人類に取っては好都合だ。今までは単に彼らに援助を請うしかなかった。彼らが我々を助けるのかどうかは彼らがどれだけ他種族に優しいのかにかかっていた。だが彼らが我々に求めるものがあるとすれば、十分に取引の材料になる。失われた命は賭けるに値するものだったと考えて間違いないな」

 ブエン副長はそれ以上は喋らなかった。この試練に挑戦し先に逝った仲間たちのことを思っていたのだろう。


 その後、ブエン副長に頼んで宇宙遊泳をさせてもらった。宇宙服のビーコンをつけたままにして星以外は何もない宇宙空間にただ一人で漂ってみた。

 俺の心は鍛えられて変わったのか、それとも元の俺のままなのか。結局、答えは出なかった。


*)


 そしていよいよ最後のジャンプの日がやってきた。

「用意はいいか」と俺。

「いいぞ。確率は半々」

 ブエン副長がモニタを睨む。そこに映るのはもはや僚機の情報ではなく、周囲の走査情報のみになっている。飛んだ先に何があるのか、それとも何もないのか。

「俺の国にはな、丁半博打というのがあってな。サイコロを振って偶数か奇数かを当てる賭博なんだ」

「へえ」

「そのときの掛け声がこうだ」俺は息を大きく吸い込んで叫んだ。「では入ります。丁か半か!」

 ジャンプボタンを押し込んだ。

 星空は明滅しなかった。その代わりに周囲を暗闇が覆った。


 いつもと違う。ここまで来てジャンプ失敗だと!?


 俺の周りには何もなく、俺一人だけが椅子に座った姿勢のまま浮かんでいた。宇宙遊泳に似ているようでもあるが、まるっきり違う何かとも言えた。

 やがてその闇の中に老人が一人現れた。白いヒゲを長く伸ばし、薄暗い色の長衣に包まれている。頭の上に布の冠を被っている。

「初めてお目にかかりまする。偉大なる御方。わしは冠福禄星」

 その後ろにまた老人が現れた。こちらも白ヒゲだが、頭には綺麗に髪がない。黄色の服には黄金の糸で縁取りが入っている。小さな金属の飾りが一つ、頭の上に載っている。

「わしは東天比高星」

 さらには他の者たちも現れ俺の前に並ぶと頭を垂れた。

「いったい」

「わしらは人の運を司る星座」冠福禄星と名乗った老人が答えた。「あなた様のしもべにございまする」

「星座?」

「星々の巡りは人の運命を操りまする。あなた様はここより二千光年先にては最悪の不運の星の巡りを持っておりました。されどこれほどの距離を渡り、あなた様の星座は別のものに変わりました。それも今現在この銀河の中では最強の運をお持ちになられております。それゆえに我ら星座一同この奇跡に寿ぎましてこうしてご挨拶に訪れた次第」

 俺は目をぐるぐる回した。いったい何だこれは。

「我ら一同普段は人間に相まみえることはかないませぬ。されどここは超空間。普段通りの道理は通じぬ場所。ここでなら我らはあなた様にお目通りできます。ささ、この冠福禄星の祝福を受けなされ」

 他の星々も口々に俺に何かをした。不思議な輝きが俺の周りを取り囲んだ。

「時間が迫っておりまする。超空間にはあまり長居はできませぬ。お行きなされ」

 その言葉と共に周囲が明滅した。見慣れぬ星座、新しい宇宙空間。

「ジャンプ成功。そして到着」ブエン副長が報告した。そこで一呼吸おいた。「前方より何かが接近。大きいぞ」

 それはもう船外観測窓でも見えていた。恒星の光に輝く真っ白の船体。モニタ上にちらりと見えた表示は数百キロメートル単位。こんな大きなものが動くなんて。サジタリウス文明圏の巨大船だ。

「これよりファーストコンタクトを試みる」ブエン副長が宣言した。

 俺は彼の手からマイクを取り上げた。

「俺に任せてくれ」

 ブエン副長は何かを言いたそうにしたが、俺の顔を見てやめた。そこにあったのは以前の俺にはなかったもの。強烈な自信。

 俺の運は今や銀河の中でも最高の位置にある。窓の外の星座たちがそれを約束している。彼ら超文明との交渉はきっとうまく行くだろう。

 俺はマイクに向けて喋った。

「こちら地球を代表してナカムラが喋っています。そちらの応答を待っています」

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SF:賭博飛行 のいげる @noigel

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