飲み友達
ここのところファーマル星人は大人しい。
お陰で新国連異星高等弁務官の俺はゆっくりできる。今日は週に一度と決めている酒の日だ。
退社時間が待ちきれずにオフィスの中で帰り支度を始める。こういうときはファーマル・アンドロイドのジョージが来ない内に帰るに限る。
新国連政府との約定によりジョージは俺を連れずに外出することはできない。
そしてジョージが来るときはかならず何かのトラブルを持って来る。だが俺が事務室におらず電話も繋がらなければそれに巻き込まれずに済む。
ちょっと考え方が甘いかな?
確かに甘かった。
事務室を出ると、扉の横にジョージが立っていたのだ。俺の耳でもジョージの足音は聞こえない。ジョージは重力中和システムで体重を消して移動するからだ。
俺は敢えて目を伏せてジョージの横を小走りに駆け抜けた。ジョージは無音で俺の後をついてくる。例のぴったり75センチメートルだ。
「待ってください。ミスター・カネル」
とうとうジョージが声をかけてきた。
俺は足を止めた。声をかけられたら無視するわけにはいかない。ファーマル星人主導の五惑星植民計画にはそれだけの力がある。もし俺の行動が原因でそれが潰れたら、世界中の人々が俺の墓の上で一晩中レゲエダンスを踊り狂うことだろう。
「今夜は週に一度のバール・イン・ヘブンでの飲酒ですね?」
そこは俺の行きつけのバーで、隠れ家的な高級バーで会員制だ。世界中のあらゆる酒が揃っているし、お値段も馬鹿高だ。
「私も連れて行ってください」
ジョージはとんでもないことを言いだした。
「でも君は酒を飲まないだろう?」
俺は指摘した。ジョージは肩を竦めてみせた。
「私はそうです。アンドロイドですから。しかし私の主人たちは飲酒というものに深い興味を持っています。人間の本質はセックスと暴力だという結論には変わりがありませんが、飲酒という行為にはそれらに・・何と表現するべきか・・フレーバーを添付するものだと四十二の思考派閥が考えています。我々はそれを検証しなくてはなりません」
途中からはジョージだけではなくファーマル星人の思考が混ざっている。
「ならばどこでも好きなバーに行けばいいじゃないか」
ジョージは首を横に振った。こいつはどんどん人間らしくなっていく。
「それでは駄目なのです。私の主人たちはあなたと・・その・・飲みたがっているのです」
これは驚きだ。
「いったいどうして!?」
「売春宿での事件と前のマフィアビルでの行為であなたは多くのファン・・ですか。それを得たのです。貴方の注目すべきキャリアと相まって今やすべてのファーマル星人があなたの行動に興味深々なのです」
俺はがっくりと項垂れた。これでは静かで平和な日々など望むべくもない。
「現時点で貴方のファンクラブに登録しているファーマル星人の数は約二兆八千億体に上ります。未登録の者も含めればもっと多くに上るでしょう」
そうジョージは話を締めくくった。
とんでもない数だ。俺は知らぬ内に宇宙一の人気者になってしまっていたらしい。
俺はポンと手を打った。
「分かった。一度だけ君と酒を飲もう。ただし一度切りだ。君は俺の雇用主だが、友だちではないからな」
「残念です。私は貴方を友だちだと思っているのに」
ジョージはとんでもないことをさらりと言うと、手を挙げて待機していた偽装タクシーを呼んだ。
*
バール・イン・ヘブンは地下に作られたバーだ。資金は豊富らしいのにわざわざ地下に作ったのは経営者の一種の美学らしい。内部は1920年代禁酒法時代の地下クラブをイメージして作られている。だから外には看板一つ出ていない。
監視カメラが設置された緩やかな傾斜の古びた階段を地下へと降りる。降りて行くメンバーの中にバーの会員がいない場合には階段はその先で行き止まりになるように仕掛けが施されている。
俺は会員なのでもちろん大丈夫だ。バーの重いドアを押し、ジョージを後ろに引きつれてカウンターのいつもの席につく。ジョージはすぐ横だ。
アンドロイドの体重で椅子がきしんだが、ジョージが重力調整すると静かになった。ファーマル人のスーパーハイテク機器の塊であるジョージは風情というものを理解しない。ここの椅子はたまに軋むから良いのに。
「いつものを。ダブルで」
俺は注文した。
「ジョージは何を飲む?」
ジョージが首を横に傾げる。この仕草を作り出すためにどこかの惑星を丸ごと改造した人間シミュレーターがフル稼働したに違いない。
ジョージは完璧なイントネーションで言った。
「ガソリンを2パイント」
いえ~。ジョージの無表情な顔の後ろでファーマル星人の思考分派の連中が叫び声をあげている気がした。きっと何週間も前から用意していたジョークなのだろう。
「彼にも俺と同じものを」俺はバーテンダーに言った。
意地でもニコリとはしない。俺はそこまで笑いに甘い男じゃない。
しばし俺の反応を探ってからジョージは諦めた。よし、俺の勝ちだ。ざまあみろファーマル星人ども。神のごとき知性と神をも越える力を持つお前たちでも出来ないことは存在すると俺は証明して見せたのだ。
しばらく黙って注文の品を飲む。ダルモアの30年モノだが緊張で味なんて感じる余裕はない。
俺の胃袋は流し込まれたアルコールを吸収し、ジョージの疑似胃袋は流し込まれたアルコールをその場で分解して二酸化炭素と水素ガスに変えて空中に放出する。
この緊張に先に根負けしたのは俺だ。
「ジョージ。何か俺に聞きたいことがあるんじゃないか?」
「はい。ミスター・カネル」
「それは俺の過去のことか?」
「はい。ミスター・カネル」前の返事と完全に同じイントネーションだ。
「で、俺のことはどこまで知っているんだ? いや、愚問だな。君たちはすべてを知っている」
「はい、私たちはここ地球で一万年の間に起きたすべてを知っています。ボブ・マーリイ。
貴方は高校を卒業するまでに・・」
「待った」俺はジョージの言葉を遮った。
「チーム。みんな聞いているか?」
声に出さずに呟いた。
『はい。聞いています』側頭部に埋め込まれた極小通信機から声が響いた。
ジョージを俺が監視し、その俺をチームが監視する。新国連政府は俺もジョージも野放しにする気はなかった。ファーマル星人との関係に賭けられているものは余りにも大きい。
「ここからはオフレコにしてくれ」俺は続けた。
「拒否します。規則に反します」即答された。
「ならばジョージとは話せない。俺はこのまま家に帰るぞ」
「それは困ります」冷たい声は崩れない。
いつも思うのだがチームリーダーの彼女は頭が固い。せっかくの美人が台無しだ。
「では聞いているのは君一人だけにしてくれ。これが最低限の条件だ。これ以上は好奇心が猫を殺すことになる。それも大量にだ」
「それはこの間新しく申請を出したキロトン爆弾を使ってということですか?」
「ああ、そういうことだと思って欲しい。俺はあれをまたどこかに置き忘れるかも知れない。そんなことになれば次の申請は却下されることになるだろうな」
しばらく間が空いた。ジョージはその間も大人しく二酸化炭素を吐きながら待っていた。もちろん彼は俺たちの会話はすべてモニターしている。覗き屋ファーマルの名は伊達ではない。
彼女はついに折れた。
「分かりました」
背後で、あなたたち、すべての装置をオフにして部屋を出なさいというのが聞こえた。
ようやく彼女一人になると俺は続けた。
「アンナ・フォービル」
いきなり本名を言われて彼女が息を飲む気配がした。
「どうして知っているんですか!?」
「そりゃ調べたからな。他のメンバーのことも知っているぞ。念をおしておくが、これから聞くことはすべて俺と君だけの秘密だ」
もちろんファーマル星人は除く。彼らはどうやっても排除できない。
「もし秘密が漏れたと判断したら俺は君のところに行くことになる。恐らくはアラバマに住んでいる君の家族の所にも」
彼女は絶句した。それから唾を飲みこむと答えた。
「わかりました。肝に銘じます」
通信が切れた。それでもどこか遠くで彼女は聞き耳を立てている。俺がファーマル星人に言ってはいけないことを言わないようにだ。
「いいぞ。ジョージ。向こうとの話はついた」
俺が合図するとジョージは中断した話を続けた。
「貴方は高校を卒業するまでに・・二千と十一人を殺害しています。
大学時代にはさらに四百九人を新たに殺害しています。
卒業後、諜報機関にスカウトされて特殊作戦部隊に配置されてからは推定三千人。推定というのは貴方が引き起こした災害に巻き込まれて作られた死者をどの程度まで貴方の責任とするかに様々な計算方式があるためです。
その後の傭兵時代には推定で一万五千人殺しています。
ボブ・マーリイ。貴方は希代の連続殺人鬼であり、また同時に素晴らしき色情狂でもあります。まさに暴力とセックスの権化と言っても過言ではありません。
中でも興味深いのは貴方は他人の痛みを完全に無視できるサイコパスでもなければソシオパスですら無いということです。ごく普通の罪悪感を持ったごく普通の精神構造の人間だと我々の心理分析班は結論しました。
これは奇跡と言っても良いことです。我々は貴方の中に真の人間の本質が凝縮されていると考えているのです」
俺はグラスを空にするとお替りを要求してから続けた。
「だが君たちは俺に関してのすべてを知っているのだろう?」
「その通りです。しかしそれは外から見た貴方です。人間シミュレータを通してみましたが余りにも特殊なケースなのでうまく働きませんでした。つまり私たちは貴方の真意を知りたいのです、それこそが人間研究に必要な後一押しなのだとそう考えたのです」
「そこまで言うのなら、すべてを話してやろう。ただしこれは職務の範囲ではないぞ。あくまでもジョージ、そしてその背後のファーマル星人たちに対する好意としてだ」
そして俺は話始めた。
*
殺した相手のことを全部覚えているなんて言わない。覚えるには数が多すぎるからな。だが最初の一人だけは絶対に忘れない。
そいつはヤクの売人で俺の親友を殺した男だったからだ。
ああ、あいつは親友だったがバカ野郎だったな。マトモな野郎なら史上最悪と言われる合成麻薬バックブラストには手を出さない。
バックブラストは強烈で、サイケデリックで、しかも自虐的だ。すべての苦痛が快感に置き換わるために、使用者が死ぬまでの自傷行為を行ってしまうというのが特徴だ。使用者の平均余命はあらゆるドラッグの記録を抜いてわずかに三か月。たいがいは全身ズタボロの肉塊になった自殺死体の形で遺体が見つかるという極めつけの厄モノだ。
だがあいつは好奇心に負け、おまけにその売人が売っていたヤクは混ぜ物だらけのヤバサ一級の不良品と来ていた。
最初の一錠であいつの脳みそは焼け切れた。後に残るのは涎を滝のように流すだけのただの死人だ。
俺が切れたわけがこれで分るだろ?
俺はその売人を見つけ出し、そいつが持っていたヤクをすべてそいつのケツの穴に突っ込んでやった。それで一件落着。ジ・エンドだ。
収まらなかったのは売人を雇っていたその地域のマフィアのボスだった。
俺はアシが付かないように慎重に行動していたんだが、どこかで証拠を残していたんだろうな。すぐに俺が犯人だとバレた。
もしかしたらだが、別に証拠は必要としなかったのかもしれない。そいつはただ単に部下がやられたことへの見せしめがしたかっただけということもありうる。
そいつが放火した俺の家の中には病気で寝ていた弟とその看病をしていた両親がいたんだよ。もちろん全員焼け死んだ。生き残ったのは俺だけだ。
俺が二度目に切れたワケはこれで分かったよな?
悪党どもの世界にも仁義はある。家族に手を出すのはご法度なんだ。ヤツはバカだからそれを破り、そしてきっちりとお返しをされた。
ヤツの小さな妹まで巻き込んだのは確かに心が痛んだが、見逃すつもりはなかった。大事なものがあるのならば、他人の大事なものに手を出すべきではないと俺は信じている。俺は家族を失った。だからヤツも家族を失わねばならない。
それがルールだ。
ほら、イエス様だって言っているだろう。自分がして欲しいと思うことを他人にしてあげなさいって。順序は多少前後したが、結局俺は神の言葉に従っただけなんだ。
ヤツの母親と妹の告別式はド派手だったね。参列者は全部がギャングというわけではなく、ヤツの金に群がっている大勢の普通の人々で埋まっていた。
俺はその中に紛れて、ヤツがこちらに気づいた瞬間に中指を立ててやった。
ヤツの怒り狂った顔ときたら、今でも思い出すと笑ってしまう。
ああ、分かっている。俺は半分狂っていた。
告別式にも関わらずヤツは銃を抜いて振り回した。参列者の中には地元の警察署長もいたのだからさすがにこれはまずかった。
パニックになった群衆の大混乱の中、俺はバイクに跨って颯爽と逃げ去った。
まぐれで一発足に食らったことは内緒だがな。
ヤツは俺に懸賞金を掛けた。裏の世界の掲示板にだ。
それは効を奏して、国のあちらこちらから俺の発見報告が舞い込み始めた。俺の写真と出入りしている建物の住所付きでだ。
ヤツはさっそく配下のチンピラたちを送り出した。拳銃を持たせてだ。その試みはすべて失敗に終わったがな。
どういうわけかチンピラたちが足を踏み入れた場所は地元のマフィアのボスの愛人宅だったり、マネーロンダリングのための札束が積みあがった場所だったりしたためだ。
拳銃を手にして足を踏み入れるには絶対に向かない場所とも言えるな。ちょっと調べればそれぐらいは分かっただろうが、所詮はチンピラということだな。期待しなかったといえば嘘になるが、これほどうまく行くとは俺も思っていなかった。
じきに始まったギャングやマフィアとの抗争でヤツの組織はあっと言う間にボロボロになった。報復で送り込まれてきた連中の中には南米のテロリストグループも入っていたな。
全身の骨を折られて病院で唸っているヤツに俺は花束を持ってお見舞いに行ってやったよ。
真夜中に、たった一人で。
看護婦が差し入れた睡眠薬入りのコーヒーを飲んでぐっすりと眠っている警備の警官の横を抜けて病室に入った。
彼女の弟もドラッグの被害者だったからな。説得するのは簡単だったよ。
点滴に薬を入れるのはヤツが目を覚ますまで待った。
目が覚めて銃口を覗いたときのヤツの顔と来たら。
さっとヤツの口にボールギャグを嵌めた。手足はどれも折れてギプスに固められてベッドに固定されているので、もうヤツに助けを呼ぶ手段はない。
脂汗を流しているヤツの目の前に俺の持っていた古い家族写真を置き、それからこのときのために手に入れておいたヤツの家族の告別式の記事も置いた。
にっこりとほほ笑むだけのつもりだったが、満面の笑みになってしまったのは失敗だったと今でも思う。
ダンディにやりたかったのだがなあ。まあいまさらやり直しも効かないしな。仕方がない。
俺は点滴に薬を入れ終わると、病室を後にした。三十分ほどでヤツは死ぬと分かっていた。もし何かの僥倖が起きて生き延びたとしても、俺が最初からまた同じことを繰り返すだけなので、結果には何も違いはない。
ヤツは動かぬ腕を無理に動かしてナースコールのボタンを探るだろう。頑張ればそれには成功するかもしれない。だがナースコールの配線は一番最初に切っておいたので、その努力は無駄になっただろう。
最後にヤツが何と呟いたか、聞いておけばよかったと今にして思う。
さて、俺はそれだけで終わらせる気はなかった。
有難いことにヤツの部下たちは誰が次のボスの座につくのかを決めるのに夢中になっていて、ボスの仇を討つことなんか考えもしなかった。
裏で俺が糸を引いていると知りもしないで、お互いに密告し合い、お互いに撃ち合った。
馬鹿なやつらだ。
時限発火装置にもずいぶんとお世話になった。
ああいう連中は殺し合いとなると自分たちのアジトに閉じこもる習性がある。そこなら安全だと思うんだろうな。俺がとうの昔にそこに忍び込んで、リモートの爆弾を仕掛けているなんて考えもしなかった。
これでスコアは何人ぐらいになったかな。ああ、四十八人か。ジョージ、思い出させてくれて、有難う。
もちろん。後悔なんかしていない。
それからは俺は半ばヤケになってギャング連中を手当たり次第に襲い始めた。手薄なところをちょっとづつな。その頃には自分の命はもう気にしていなかった。
こういうろくでもない連中がいなければ俺の人生ももっとマトモだったのにとそればかりを考えていた。
生き延びることができたのは才能があったからだと思う。よく見て、よく考えて、慎重にかつ素早く行動に出る。後に残るのは死体の山だ。
大学を卒業する頃には、どこから漏れたのか俺の名前が裏社会で流れるようになっていた。そうとも、狂える殺人鬼ボブ・マーリイだ。
マフィアの連中もそれが本名だとは思っていなかったようだが、一種のデモンストレーションで同じ名前の人間が次々と殺され始めた。
暗黒街のボスたちが会合を開き、俺を殺すための殺し屋部隊を編制したのだとは後で知った。
俺の所にその長い手が届く前に、俺は諜報組織に入ることにした。
身分を偽装して生きるにはもってこいの職業だからだ。
最初は文書係だったがその内にあの上司が俺の才能を発掘した。もっともそうなるように裏で細工したのは俺だがな。
その後はジョージ、君が知っている通りだ。
世の中には生きているよりも死んでいた方がうんと良い人種というものが存在する。そういう連中を見ると、俺の内には止められない衝動が湧いて来る。
きっと俺は殺しというものが人生の一部になってしまったのだと思う。
*
ジョージは長い間沈黙していた。その顔の背後で大勢のファーマル星人が喧々囂々の議論を行っているのだろうと俺は推測した。
「私たちが分からないのは」とジョージが口を開いた。
「あなたの心がなぜ平静を保っていられるかです。被害者の中にはまだ年端もいかぬ子供もいたはずです」
「だが無関係の者は一人もいない。俺は慎重にターゲットを選んでいる。
悪党からお小遣いを貰った者は無垢なのか?
その金にはたっぷりと血がついているのに。自分は罪を犯した本人ではないからと主張するのは偽善だろう」
「その論理ではこの世の人間すべてに罪があることになります」
「それこそまさに俺が言いたいことだ。この世の人間すべてには罪がある。
無関心に、自分は関係ないと悪を見逃すことはそれ自体が罪だ。
遠い国のことだと見ようとしないことは罪だ。
悲惨なニュースをニヤニヤしながら見るのも罪だ。
現実を戯画化してとらえ、その中に含まれる悲惨さを無視するのも罪だ」
「では貴方も罪深いとそう主張するのですね?」
「いったい俺の何を聞いていた? ジョージ。
そうだとも。俺こそがこの世でもっとも罪深い存在だ。だがそれだからこそ、俺はこの世の中から罪と悪を少しでも減らすために生きてきた。これが誰に恥じるでもない俺の生き方だ。
野火を見かけたらそれが広がる前に水をかけるのが俺だ。誰かが焼け死ぬのを待ってから行動するようなことはしない。たとえそれが法の正しい姿でもだ」
「あなたは希代の殺人鬼です。何の痛痒も無く人を殺せる」
「その痛痒とやらを君たちが真の意味で理解する日が来ることを祈っているよ」
俺はできるだけ皮肉っぽく聞こえるように言った。俺のファンだという二兆匹の巨大ゾウリムシたちに向けて。
「俺はこう考えている。俺はひょんなことで選ばれた自然界の中に存在する諸力の一つなのだと。物理現象の一種なのだと。悪い連中が行う悪を作用とするならば、それに対する反作用として俺が具現化したのだとそう考えている。
俺はそうやって果たせぬ者たちの復讐を行い、その結果世界を正しい位置に押しとどめている。
物理現象に後悔や罪悪感があると想像できるかね?
そんなことは想像もしないだろう。だからこの俺もそういったものは感じない。悪人たちの行いが鏡に反射したのが俺なのだ。そういった苦しい思いをしたくなければ最初から他人の幸せに手を出さなければよい。それだけの話だ」
沈黙が落ちた。
しばらくしてジョージが訊いた。
「まだ続けるのですか?」
「もちろんだ」と俺は答えた。今日の俺は飲み過ぎたらしい。口が軽すぎる。
「アンナ・フォービル」
俺がその名を呼ぶと、どこかの場所で女がびくりとするのが感じ取れた。
「オフレコだぞ?」
震える声で返事が返って来た
「もちろんです。ミスター・カネル」
「よろしい」
俺は頷くとジョージに話を振った。
「これで終わりかな?」
「十分です。いま向こうは凄い騒ぎになっています。新しい研究テーマがすでに一万を越えて申請されています。それと・・」
「それと?」
「今までの会話の間に貴方のファン登録が五兆体を越えました」
ファーマル星人の大ボケめ。俺の一体何が気に入ったのやら。
「とにかく、俺はヒーローに成りたかった。品行方正なヤツじゃなくて、ダークヒーローの方だ。変な正義に縛られることなく、心の向くままに行動する真のヒーローにだ。
だから俺は宇宙戦艦が欲しい。この広い宇宙を飛び回りたい。たまには地球に帰って、俺の気ままに悪者を罰したい。
まあ宇宙戦艦は売り出されていないから、なんてしても宇宙クルーザーを買って、武装化するつもりだ。
君たちが俺のファンだと言うなら応援の一つでもしてくれ」
ジョージは真面目な顔で頷いた。
「検討してみます」
「勘違いするな。今のはただのジョークだ。本気ではないさ。だから君たちファーマル星人はジョークを理解しないと言われるんだ」
「そうなのですか?」
「そうだとも。そんなに人間のことを知りたいなら、もう一杯飲んで酒に酔えばよい。アンドロイドでも酒に酔った振りぐらいはできるだろう」
俺は迂闊な大馬鹿だ。酒に酔っていたとは言え、絶対にファーマル星人をけしかけるなどしてはいけなかった。
ヤツらは大ボケなんだから。
ジョージは即座に俺の言葉通りにした。
まずウイスキーをボトルで飲み、それから惑星を改造した人間シミュレータを起動させた。酒に酔った場合の人間の行動を計算させてそれに制御権を渡した。
まず炸裂したのは笑い上戸た。
バーの中にジョージの馬鹿笑いが響き渡った。棚に飾ってあるあらゆる酒のボトルが共振し、高価なボヘミアグラスが片っ端から砕け散った。
あまりの大音響に耐えかねてバーの客が逃げ出す。
ついにはバーテンダーたちがジョージに飛び掛かった。だがもちろんそれぐらいではジョージを止めることはできない。
「みんな、外に出ろ。彼はファーマル星人のアンドロイドで今は暴走状態にある!」
俺は叫んだ。
この高級バーの店員は全員プロだ。客のことは良く調べてある。当然ながら俺の身分も知っていたので、その言葉を疑うことはしなかった。
「ついでに上の階の連中も批難させてくれ。早くしないと深いコミュニケーションが始まるぞ!」
全員が自分の尻を手で隠しながら慌てて部屋から出ていった。
バーには俺とジョージだけが残った。
続いてジョージは泣き上戸へと変化した。
嗚咽と共に大量の水がジョージの目から溢れ出す。それは見る見る内に水嵩を増し、最後は奔流へと変じた。
物質転送装置。どこかの星系から送り出された水は超空間位相連結パイプを通じてジョージに流れ込み、その目玉を通る時にわずかな塩化ナトリウムを付与されて外部に放出される。
たちまちにしてバーが半分ジョージの涙に浸かる。
それが終わるとジョージは俺の肩を抱きしめて、訥々と語り始めた。三千光年に渡る銀河の探索。十万年に渡る空しい探索の結果。人類の観測とその未来への期待。パイオニアとしての重責。今まで決して聞くことがなかった裏話の数々。
「絡み上戸だ!」俺は思わず呟いた。
「ボス。何か嫌な予感がします」俺の耳の中でアンナ女史の声がした。
「俺もだ」
人間シミュレータの最後の選択は怒り上戸だった。酒乱と言い換えてもよい。
すべての被害額は新国連政府が補償したにも関わらず、俺のバーの会員資格はこの日を境に取り消された。
バーがあった場所に存在するクレーターは今ではファーマルの名前がついた新しい観光名所になっている。
これって、俺が悪いんじゃないよな?
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