第38話 ロレンツォの言葉に

 その晩。

 コリーンは明日の授業の準備を進めていた。

 しかし、気になるのはロレンツォの言葉だ。

 すでに夜の帳は下りていて、寮は誰の来訪者も受け付けない。緊急時なら別であろうが、いくら騎士隊長と言えども真夜中の訪問は許されないだろう。

 時刻は午後十時を回った。もう少しすれば、いつもの就寝の時間である。コリーンがあくびをひとつした時だった。


 コツン。


 耳慣れぬ音が響いて、コリーンはぎょっとする。

 まさか、もしやと思いつつ、窓のカーテンを開けると、そこには。


「ロレンツォ!」


 見慣れた男の姿がそこにはある。風呂上がりのためか変装のつもりなのか、髪はセットされておらず、垂れ下がっていた。

 コリーンは慌てて窓を開ける。


「な、何してるの! ここ、三階だよ!?」

「夜這いだ。対応してくれ」

「危ないよ、とにかく上がって!」


 コリーンはロレンツォの手を引っ張るように部屋の中へと導いた。中に入ったロレンツォは、クックと可笑しそうに笑っている。なんというか、いつものロレンツォだ。


「最短記録だ。こんなに早く部屋に上げてもらったことはない」

「あんな危ないところにいちゃ、当然でしょう!」

「それでも夜這いだと告げた。中に入れたということは、受け入れるという意味になるな」


 一歩近付いて来るロレンツォに、コリーンは一歩後ずさる。


「待ってよ。ここはノルトじゃないんだから」

「別の場所でも、互いがルールを理解してたら適用される」

「それ、ホントの話?」

「さぁな。俺が今そう考え付いただけだ」

「もうっ」


 コリーンは呆れながら義憤の息を吐く。ロレンツォはそんなコリーンを見て「駄目か?」と少し寂しげに聞いてきた。


「駄目とかいう以前に危険。それに三階の窓越しで会話だなんて、騎士隊長ともあろう者がなにをしてるって話でしょ。誰かに見られたらどうするの? ゴシップ記事に載るだけじゃすまないんだよ。貴族の格や品位がどうとか、カルミナーティの家督が剥奪されたり騎士を降格させられたりするかもしれないんだからね」

「それは困るな。気を付けよう」


 気を付けるうんぬん以前に、しないでほしいのだが。しかしロレンツォはロレンツォらしく楽しそうに笑っているので、これ以上小言を言えなくなってしまった。


「で、なにしに来たの?」

「つれないな。夜這いに来たと言っているというのに」

「冗談でしょ?」

「それが、冗談じゃない」


 コリーンは、ロレンツォを見つめた。ロレンツォは少し寂しげな瞳で、しかし口元には微笑みをたたえている。

 なんと言っていいか分からず言葉を探していると、先にロレンツォの方から話しかけられた。


「少しだけ、一緒にいてくれるだけでもいい。お前がいないと……眠れなくてな」

「……」

「少し眠ったら、帰るよ」


 それがロレンツォの望むことなのだろうか。どうしたいか、どうしてほしいかの答えなのだろうか。


「わかった。朝になるまでには帰ってね」

「すまん、助かる」


 そう言うと、ロレンツォは遠慮もせずにコリーンのベッドに寝転んだ。なんだか疲れているようだ。瞑っている目の下には、うっすらとクマができている。

 コリーンはそっと近寄り、ロレンツォの額に手を置いた。別に熱を出している様子はなく、ほっとする。


「コリーン」

「あ、ごめん」


 下げようとした手を掴まれ、コリーンは狼狽えた。


「ありがとう、コリーン。今日は眠れそうだ」


 そう言ったかと思うと、ロレンツォは一瞬にして眠りに落ちたようだった。コリーンの手を強く握り締めたまま。

 コリーンは仕方なく、その手を繋いだままベッドに腰掛けて、うつらうつらと眠った。


 朝起きると、すでにロレンツォの姿はなかった。しかしその日の晩も、再びロレンツォが窓から忍び込んできたのだ。「ここで寝かせてくれ」と言って。


「ロレンツォ、大事になる前に帰った方がいいよ」

「お前がいると、よく眠れるんだ」

「それは分かったけど……」


 もしも家督や騎士職を剥奪されたらと思うと気が気じゃない。コリーンだって、女子寮に男を泊まらせたとなれば、どうなるかわかったものじゃないのだ。


「こんなところで寝るのは、リスクが高すぎるよ」

「じゃあコリーンがうちに来てくれ。別に外泊するのは構わないんだろう?」

「なんのためにあの家を出たと思ってるの」

「さあ、なんのためだ?」


 とぼけるのが得意なロレンツォだが、そんな様子ではない。コリーンは生徒に言い聞かせるかの如く、その理由を挙げた。


「一つ目は、記者の問題。元々付き合ってもいないのに交際発言をしてたんだから、別れた後に一緒に暮らしてるのはおかしいでしょ。有ること無いこと書き立てられでもしたら、お互い立場がなくなるよ」


 目の前に出していた人差し指に、さらに中指を上げて「二つ目」と続ける。


「私があの家に出入りをしてたらロレンツォに恋人ができた時に怪しまれる。だからロレンツォも、借金を帳消しにしてくれたんじゃない。三つ目……」


 さらに薬指を増やそうとした瞬間、ロレンツォはそのコリーンの右手を取って待ったを掛けられた。


「待ってくれ。俺がコリーンへの借金を帳消しにしたのは、そんな理由じゃない」

「じゃあ……なに?」

「コリーンが早く結婚できるようにと思ってだ」


 確かに、借金を背負ったまま結婚などは考えられなかっただろう。もしも良い人がいても、七百万もの借金があると言えば、引かれてしまったに違いない。そういう意味では結婚しやすくはなっている。


「じゃあ、あの最後にくれたお金はなに? 手切れ金代わりじゃないの?」

「まさか! そんな風に思ってたのか?!」

「違うの?」


 コリーンの言葉にロレンツォは手を放し大きくかぶりを振る。その大袈裟な仕草が、彼の落胆の様子を克明に表していた。


「逆だ。あの金は、お前への思いの丈を表したものだ。まぁ、十七万程度じゃ少ないにもほどがあるが……それでも、苦労して貯めたんだ」


 十七万程度というが、十分な額だ。それにあの生活の中から捻出してきたというだけで、コリーンには涙ものである。


「コリーン、聞きたいことがある」

「うん……なに?」

「お前は俺と、ずっと一緒にいる気はあるか?」


 それはどういう意味で聞いているのだろうか。

 眠れないから眠剤代わりに側にいてほしいのだろうか。今までのように、世間を欺いて。

 その選択はあまり賢いとは言えないだろう。なんのために離れて暮らすことにしたか。三つ目は、互いの幸せのためだ。

 ロレンツォが誰かと幸せになれば、コリーンもロレンツォを諦められる。そうすればコリーンも別の人に目を向けられるようになるだろう。なのにまた元に戻ってしまっては、二人とも幸せになどなれないではないか。

 だが、ロレンツォには恩がある。

 今まで数え切れないほどの恩があり、教師になれた暁には、その恩を返していきたいとずっと思っていた。


「もしもロレンツォが、私に側にいてほしいって思ってるなら、従うよ。完璧に縁を切ることがロレンツォへの恩返しだと思ってたけど、違ったのなら……ロレンツォの望む通りにする」

「……俺がなにを言っても、従うと?」

「うん。給料を全部出せって言われたら出すし、家政婦になれって言われたらなるよ。その……教師の合間にだけど」


 コリーンがそう言うと、ロレンツォは眉間に皺を寄せている。例えが酷かっただろうか。ロレンツォがそんな要求をするわけがないのは百も承知だ。しかしそれくらいの気持ちでいるということを、アピールしておきたかった。


「コリーンは俺にどうしてほしい? もう二度と関わってほしくないか?」


 関わってほしくないわけではない。しかし関わることで、ロレンツォの幸せが遠のいてしまうのが嫌なのだ。ひいては、自分の幸せも。


「私の気持ちより、ロレンツォの気持ちが優先だよ」

「俺が二度と関わりたくないと言えばそうして、一緒に暮せと言えばそうしてくれるのか」

「……うん。ロレンツォが望むんであれば」

「毎日飯を作れと言えば作り、おかえりとおやすみを毎日言えと言えば、そうするんだな」

「……うん。そうするよ」


 なるべく真摯に答えたつもりだった。しかし、ロレンツォの顔は悲しみで歪む。


「俺は、コリーンの意思でそうしてほしいんだ……」


 ロレンツォは大きく息を吐いて、泣きそうな顔で横を向いた。


「ロレンツォ?」

「アクセルの奴のことは、もういいんだろう?」

「え? うん」


 えらく昔の話を持ち出されて、コリーンは首を傾げる。


「コリーンがアクセルのことを諦められる日が来るまではと思っていた。なのに寮に移った途端、別の男を好きになるとはな……」


 やはりコリーンは首をひねる。ロレンツォという、アクセルとは別の男を好きになったのは確かだ。しかしそれは寮に入る前からのことだし、どうにも話が見えてこない。

 不思議がるコリーンを見て、ロレンツォはお門違いな答えを教えてくれた。


「ユーファに聞いた。コリーンに好きな男ができていたってな。あのもやし………おっと、ローダとかいう教師なんだろう?」

「へ? ローダ先生?」


 確かに、ユーファミーアには好きな男が出来たと誤魔化した。が、そこでどうしてローダの名前が出てくるのだろうか。


「ローダ先生のことは尊敬してるけど、好きとかじゃ……」

「クランベールで告白していたじゃないか。うまくいかなかったのか?」

「クランベールで?」


 ハッと気付く。確かに好きとは言った。ローダの作品の全てが好きだという意味で。

 聞きかじったであろうロレンツォが勘違いするのも無理はない。


「違うよ、あれは、ローダ先生の書く小説が好きって、そう言ってたの」

「……そうなのか?」

「うん」


 ロレンツォは驚いたように目を広げ、そしてホッと息を吐く。「そうだったのか」と呟きながら。


「コリーン。一緒に暮らしてくれないか?」

「うん、わかった。いつまで?」

「できれば、一生」


 ロレンツォの言葉に、今度はコリーンが眉に皺を寄せる番だ。

 一生。

 ロレンツォが誰かと結婚し、子どもを作り、育てていく。その姿を一生見ていかなくてはならないのか。ロレンツォの傍にいられるのは嬉しいが、それは正直キツイものがある。

 教師をしながら家政婦の真似事も、ハッキリ言ってキツイ。それに教職は副業禁止のため、誤魔化すのも大変である。

 大体そんな状況で、ロレンツォの元に来てくれる嫁はいるのだろうか。ロレンツォなら上手く言い包められるのかもしれないが。

 しかしそれでは、コリーン自身の結婚は絶望的である。一生ロレンツォの家にいなくてはいけないのなら、恋人すら作れなさそうだ。


「……コリーン」


 黙ってしかめっ面をしてしまっていたコリーンは、ロレンツォに声を掛けられた。ハッとしてコリーンは顔を上げる。


「……やはり駄目か?」

「……ロレンツォ」

「お前が傍にいてくれないと、眠れないんだ……ずっと、傍にいてほしい」


 真剣な眼差しで、両手を握られてしまう。

 そんな瞳で見つめられると、断れなかった。

 今までロレンツォは、自分の人生を犠牲にしてコリーンを育ててくれたのだ。コリーンもロレンツォのために尽くさなければという思いで溢れる。

 考えようによっては幸せかもしれない。好きな人の傍でずっといられるのだから。このまま一生他人として生きていくよりは、家政婦としてでも共にいられる方がいいのかもしれない。

 気付けば、コリーンは頷いていた。


「どこまで家事ができるかわからないけど……でも、がんばるよ」


 コリーンの言葉にロレンツォはゆっくりと目を細め。


「ありがとう、コリーン」


 その言葉と共に、ロレンツォに強く、強く抱き締められた。

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