第37話 あんな男に?

 なにを話そうか。いきなり二人でお話を、と置いていかれてしまい、コリーンも若干混乱していた。


「……飲むか?」


 ロレンツォに問われ、コリーンは淹れたての紅茶を前に頷く。


「うん……」

「とりあえず、落ち着くか」


 ロレンツォはソファに腰掛け、コリーンもそれに習った。

 二人は淹れられた紅茶を口に含み、そしてホッと息を吐く。


「美味いな」

「ダージリンのファーストフラッシュだよ。多分、トリンクルってブランドの」

「よくわかるな」

「昔、何度か飲ませてもらったから」


 小さな缶に入って、一万ジェイア以上する品物だ。然るべきところで飲めば、一杯三千ジェイアはくだるまい。


「うちにある高級な紅茶とは、わけが違うな」

「ユーバシャールと比べちゃ、誰も勝てないよ」

「そうだな」


 ロレンツォはクスリと笑い、コリーンもその笑みを見て顔をほころばせる。

 しかしその顔はあまり元気がない。アクセルがロレンツォは病気だったと言っていたし、その影響かもしれない。


「ロレンツォ、体は大丈夫なの? ちゃんと寝てる?」

「ん……? ああ、あまり寝てはいないな。……最近眠れなくてな」

「どこか悪いの? お医者さんには行った?」

「そんなではないさ。大丈夫だ」


 大丈夫……本当だろうか。あまり大丈夫という顔色ではない。


「じゃあ、リゼットさんに魔法をかけてもらうとか……」

「こんなことでリゼットの手を煩わせるつもりはない。ヘイカーの奴も煩いしな」

「え?」


 どうしていきなり彼の名前が挙がるのだろうか。不思議に思って首を傾げていると、ロレンツォはそれに気付いて説明してくれた。


「ヘイカーのやつ、リゼットと付き合い始めたんだ。不釣り合いなカップルだろう?」


 ロレンツォは失笑するかのように口元を上げた。それでコリーンは、ロレンツォの元気のない理由はそれだと思い付く。


 ロレンツォ、やっぱりリゼットさんのことが好きだったんだ。

 なのに言えずに、リゼットさんは別の人と付き合い始めて……

 それで塞ぎこんでたんだ。


 アクセルの言っていたこと一致し、コリーンは納得した。


 アクセルは私がロレンツォのことを好きだって知ってるから、好機と思ったんだろうな。

 私が告白すれば、上手く行くって思ってくれたのかもしれない。


 しかし傷心のロレンツォに、なんと言えばいいだろうか。

 リゼットのことは忘れて付き合ってくれと言って、喜んで付き合ってくれるような浅い想いではないはずだ。彼を癒すには、時間が掛かるに違いない。

 コリーンが黙り込んでいると、ロレンツォはその悲しげな瞳をこちらに向けてきた。


「コリーンには好きな人ができたようだな」

「……え?」


 すでにアクセルに聞いて知っているのだろうか。コリーンが、ロレンツォを好きになっているという事実を。


「心配していたんだ。アクセルのことをずっと忘れられないのかと思っていたからな。良かった、と言うべきなんだろうが……」


 最後の接続詞に、コリーンは眉を下げた。

 コリーンに別の好きな人ができて良かった。だが、その相手が自分だと困る……と、ロレンツォはそう言いたいのかもしれない。


「別に、ロレンツォのことを好きなわけじゃないよ。その、そういう意味では」


 コリーンは慌てて弁解した。これ以上自分のことで悩ませてはいけない。それでなくとも傷心のロレンツォに、想いを知られて負担を増やすなんてこと、したくはない。


「……ああ、わかってる。コリーンは、眼鏡を掛けた男が好きになったんだろう?」

「眼鏡を掛けた……」


 ふと、ロレンツォの黒縁眼鏡姿を思い浮かべる。しかしそうではなく、ローダのことをを言っていそうだとコリーンは理解した。


「もやしのような男だったな」

「……ちょっと、ローダ先生のことを悪く言わないでくれる? 優しくて頼りになって、素晴らしい本を書く人なんだから」

「あんな男に、コリーンはやれん」

「やめてよ、変なこと言うのは」


 妙なことを言うロレンツォに、コリーンは苛立った。ロレンツォは世の父親が言うような台詞を吐き、苦り切った顔をしている。

 ロレンツォはきっと、コリーンには貴族と婚姻をかわしてほしいのだろう。そのために色々と奔走していたようだったし、その気持ちはわからなくはない。しかしだからと言って、ローダをけなしていい理由にはならないはずだ。

 先ほどのロレンツォの言葉の続きは、『その相手が自分だと困る』ではなく、『そんな貴族でもないもやし男では許せない』だったのかもしれない。

 ともかくローダはロレンツォの眼鏡には適わなかったようである。ローダとはなにもないが、今後の発展を考えて、釘を刺しておきたかったのだろう。

 にしても、大好きな作家をもやし呼ばわりされては、あまり気分は良くない。


「ローダ先生は、素晴らしい人なんだよ。ロレンツォが考えてるよりも、数段」

「……そうか。すまん」


 ロレンツォは素直に一言謝罪すると、ソファから立ち上がった。そんな彼をコリーンは見上げる。


「帰るの?」

「ああ。別に話すべきこともないしな」

「……そっか」


 そう言って、ロレンツォは扉に向かって歩き始める。しかしそのノブに手を掛けたところで、彼は立ち止まった。

 そしてしばらくそのままで、なにやら懊悩するようにしかめっ面をしている。


「どうしたいのか、どうしてほしいのか……か」


 ふうっと息を吐いて、ロレンツォは首をこちらに向けた。そして目を流してコリーンに告げる。


「今晩、会いに行く」


 え? と聞き返すことができなかった。なにを言っているのかが理解できず、再びドアノブに手を掛けるロレンツォをポカンと見る。

 そしてその言葉の意味を聞く間もなく、ロレンツォは出て行った。コリーンはわけがわからぬまま、ロレンツォの決意の瞳を思い返して首を傾げた。

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