第33話 友の言葉に

 大学に入学して、無事に一年が過ぎた。

 小学教師の資格も難なくパスし、コリーンは現在大学二年生となっている。

 法年齢二十八歳、実年齢二十二歳である。

 最初の頃のように新聞に書き立てられることはなくなったが、未だにロレンツォの相手としてAさんが時折載っている。

 だがロレンツォとの関係は相変わらずだ。あの時の夜這いも、やはり大した意味はなかったのだろう。新聞にコリーンとの仲が報じられているため、誰の所にも行けずに欲求不満だっただけに違いない。

 申し訳なさはあるが、残り一年の辛抱だ。我慢して貰おう。


「コリーン、どこか食べに行かない?」

「うーん……今日はちょっと。また今度ね」

「もう、付き合い悪いなぁ。さては、ロレンツォ様とデートだな!」

「違うから」

「いいっていいって、隠さない隠さない! いってらっしゃーい!」

「……違うんだってば……」


 友人は楽しそうに去って行った。ロレンツォの恋人という設定のせいで、こういうことをよく言われる。やっかまれるよりは随分マシではあるが。

 結局コリーンは定期的なアルバイトはしていない。手の足りない時にヴィダル弓具専門店の仕事を手伝うくらいだ。相変わらず生活はきつく、友達と外食など滅多にできない。


「あ、コリーンごめんね! 助かるよ」

「いいえ、私でよければいつでも呼んでください」


 今日は帳簿担当の子が風邪を引いて休んでしまったらしい。そういう時は授業が終わってから店仕舞いの八時まで、ディーナに代わって店番をしている。


「ねぇ、あたし、割り算ちょっとわかってきたよ! コリーンのお陰だ!」

「ディーナさんががんばっているからですよ」


 基礎がないから仕方がないが、ディーナの飲み込みは正直遅い。それでも一生懸命解こうとするディーナは、コリーンにとって優秀な生徒だ。


「コリーンに言われたテキストやってたんだけどさ、ここはどうしてこうなるんだ?」

「ああ、これはですね……」


 コリーンが噛み砕いて説明をすると、ディーナは何度目かの説明でようやく頷いてくれた。


「なるほどー、そっかそっか! コリーンはすごいね! いい先生になれるよ!」

「もしいい先生になれたなら、ディーナさんっていういい生徒がいたお陰ですよ。ディーナさんに出会わなければ、私は教師を目指してませんから」

「え、そうなの!? そっかー、なんか嬉しいな。じゃああたしはコリーンの生徒、第一号だね!」

「はい、その通りです」


 互いに顔を見合わせ、コリーンはニッコリと。そしてディーナはあははと口を開けて笑った。店の主人と従業員、教師と生徒という関係だが、気持ちは互いに友達だ。


「コリーンはさ、来年卒業するつもりなんだろ?」

「ええ、高校までの歴史と現代文の教師資格が取れたら、ですが」

「無事に卒業したら、ロレンツォさんと結婚するんだよな。お祝いはなにがいい?」


 コリーンは口を噤んだ。無事に卒業した時。それは世間にロレンツォとAさんが別れたと公表される時だ。


「コリーン?」

「なにも要りません」

「なんで!? あたし、いっつもしてもらってばっかりで……あたしだってコリーンになにかしたいよ!」

「ディーナさん……」


 世間の皆の目を欺き、ロレンツォの家族にも嘘を付いている。だが、ディーナにだけは本当のことを伝えたいと思った。この本当に真っ直ぐで純真な人を騙すのだけは、どうしても許せなかった。


「……今から言うことを、誰にも言わないでいただけますか?」

「え、なに? うん、言わないよ! コリーンも昔、あたしとウェルスが付き合ってたこと、誰にも言わないでおいてくれたもんね!」


 ディーナの答えを聞いて、コリーンは彼女に全てを語る決意を固めた。


「……実は私とロレンツォは、付き合ってないんです。ディーナさんとウェルス様の時と、逆ですね」

「え? どういうこと?」

「長くなりますが、よろしいですか?」

「うん、構わないよ。今日はウェルスがアハトとセリンを迎えに行ってくれるし」


 コリーンは首肯し話し始めた。始めは腕輪の借金のことだけ話すつもりだったが、なぜそんな物を買う必要があったのかを説明しなければならないと思い直し、コリーンは生い立ちから全てを話した。


 両親が死に、奴隷として攫われた。

 その時に奪われてしまった形見の腕輪を諦め、逃げ出してロレンツォに保護された。

 ロレンツォは十歳だったコリーンと婚姻を交わして、世間的には実年齢よりも六歳上になった。

 十年後、ファレンテイン市民権を会得してロレンツォとは離婚。

 腕輪を見つけたロレンツォが、それを買い戻してくれた。

 そのためロレンツォは借金を抱えた上、コリーンの大学費用まで出してくれている。

 金を捻出するため、二つあった家のうちの一つを処分して、イースト地区に引っ越した。

 同じ家に住む理由を、ロレンツォの恋人と宣言することで、記者からの執拗な追い掛けを回避した。

 そしてロレンツォにちゃんとした恋人が作れるように、卒業したら別れるということを。


 コリーンが話を進めるたび、ディーナは「そっか」とか「つらかったね」とか「そいつら許せない」とか「ロレンツォさん優しいね」とか「やっぱりあたしより年下だったか」とか「離婚したんだ」とか「腕輪良かったね」とかそれぞれに反応をくれた。

 そして最後の事柄を伝え終わると、ディーナは「コリーンはロレンツォさんの事が好きなんだろ?」と当然のようにそう言った。


「どうしてそう思うんです?」

「見てればわかるよ。特に、戦争が終結して騎士達が凱旋してきたあの日……コリーンは泣きそうな顔をしてロレンツォさんを待ってたじゃないか」

「……」


 あの時はまだ、ロレンツォに恋心など抱いていなかったはずだが。

 いや、もしかしたら自分で認識できていなかっただけで、すでに想いは内にあったのかもしれない。


「コリーン、本当はロレンツォさんと別れたくなんかないんだろ?」

「別れたくないもなにも、付き合っているわけじゃありませんから」

「別々に暮らすことになってもいいのか!? コリーン、それで後悔しない!?」

「そ、それは……でも、それがロレンツォのためであって」


 そこまで言うと、ディーナはその言葉を遮るように言葉を被せた。


「あたしもウェルスのためを思って別れたことがあるよ。でも、すごくつらかった。悲しかったんだよ。あたし馬鹿だから上手く言い表せないけど、とにかく苦しかった。相手のためにって思うことが悪いとは思わないけど、自分のためにわがままを言ってみてもいいんじゃないか? あたし、コリーンの苦しむ姿なんか、見たくないよ」

「わが……まま……?」

「うん」


 このまま一生、一緒に暮らしてほしいって?

 伴侶になってほしいって?

 またロレンツォを拘束させるの?

 しかも、一生。


 コリーンは眉を下げた。ロレンツォはコリーンの願いなら、なんでも聞いてくれている。

 服が欲しい。靴が欲しい。ベッドが欲しい。テキストが欲しい。チーズが食べたい。働きたい。大学に行きたい。

 もし結婚してと強く望めば、彼はそうしてくれるかもしれない。ならば、そう言ってもいいかもしれない。


 しかし。


 それでコリーンは幸せになれたとして、ロレンツォはどうだろうか。

 また自分のわがままのために、人生を縛られてしまうのではないだろうか。


 ロレンツォの意思はすでに確認している。

 彼は、自分で結婚相手を見つけると宣言している。


「私はこれ以上わがままは言えないんです。今まで散々良くしてもらったから」

「……でも」

「いいんです。来年の春が来たら別れたと公言して、それで終わりです」


 コリーンがきっぱりと言うと、なぜかディーナの方が涙目になっている。


「そんなの……悲しいよ……ッ! 駄目だよ、コリーン!」

「ディーナさん……」

「だって、コリーン! ロレンツォさんのこと、好きなんだろ!?」


 ディーナの言葉に、今度はコリーンの瞳の方が潤んだ。


「ええ……好きです」


 好きだ。どうしようもなく。

 何度も何度も気持ちを封印しようと努めてきたが、無駄だった。


 ニヤリと小悪魔的に笑う顔が好きだ。

 プハッと噴き出すように笑うロレンツォの顔が好きだ。

 笑いを堪えるようにクックと肩を震わせる姿が好きだ。

 困ったように眉を下げて口角を上げる顔が好きだ。

 ロレンツォの真剣な顔が好きだ。

 彼の飄々とした態度が好きだ。

 馬を走らせる姿が好きだ。

 そして、煙草を燻らせている姿が大好きだ。


 別れてしまえば、もう見られなくなる。

 もう二度と、濡れた髪を垂らして眼鏡を掛けたロレンツォの姿は。


 ただいまもおかえりも。

 おやすみもおはようも。


 二度と、聞けなくなる。

 言えなくなる。


「だったら……」

「ロレンツォには絶対に言わないでください。もう彼にこれ以上のわがままを言いたくはないんです」

「それで、いいのかい!?」

「……はい、いいんです」


 優先事項は自分ではない。ロレンツォだ。

 今まで全てを与えてくれたロレンツォに、卒業後には恩返しをすることがコリーンの役目だ。


「コリーン、苦しいよ……その選択は……」

「承知の上です」


 ディーナが悲しい瞳で見つめてくる。コリーンはそれをしっかりと受け止めた。そして彼女はそっと息を吐き出す。


「そっか……じゃあもうなにも言わないよ。コリーン、あたしに全部打ち明けてくれてありがとう」

「私も聞いてくださってありがとうございます。ディーナさんにだけは、本当のことを話したかったんです」


 そう言うと、ディーナは悲しみの中にも、少しだけ笑顔を見せて頷いていてくれた。「友達だからな」と付け加えて。

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