第27話 幸せな二人に

 ロレンツォが涙を流した日から数日が経った。

 その日、ロレンツォは家にいた。コリーンもヴィダル弓具専門店の引き継ぎが終わり、することもなく家で本を読む。


「どこか出掛けるか?」

「ううん、そんな予定はないよ」

「そうじゃなくて、俺とどこかに出掛けないかって意味なんだが」


 視線を読んでいた本から上げる。ロレンツォと一緒に出掛けることは滅多にない。特に結婚していた頃はその事実を隠さなければいけなかったため、必要以上に一緒に外出しなかった。


「ノルトにでも行くの?」

「いいや、トレインチェで食事やショッピングでも」

「え、何かデートみたいじゃない?」

「嫌か?」

「嫌なわけじゃないけど」

「アイスでもチョコレートでも、なんでも買ってやろう」

「もう。私そんな子どもじゃないよ」


 笑いながらそう言って、コリーンは本を置いた。出掛けるの意だと理解したロレンツォは、部屋から上着を持ってきている。コリーンもなにかを羽織ろうと、部屋に入った時だった。


 コンコンッ


 珍しくノックの音が転がった。出どころはもちろん、外へと続く方の扉である。コリーンが部屋から出ると、すでにロレンツォが対応していた。相手はロレンツォが出るとは思ってもいなかったのだろう。急に騎士隊長が現れて、狼狽しているようだった。ということは、目的の相手はロレンツォではなく、コリーンに違いない。


「えっと、ろ、ロレンツォ様? こ、こちらはコリーンという女性のお宅では……」

「ああ、そうだが……どなたですかな? コリーンには如何いかなる御用で?」

「ええっとわたくし、トレインチェ教育大学の者でして……その、合否についてのお知らせを……」


 そこまで聞いて、コリーンは飛び出した。


「コリーンは私です。わざわざご足労頂きありがとうございます。お急ぎ立てまして申し訳ございませんが、結果のほどをお教え頂きたいのですが」


 やたらと早口になってしまい、自分でも緊張しているのがわかる。喉は一瞬でカラカラになった。

 その大学関係者は、一枚の紙を広げてコリーンに見せてくれる。


「欠員が出まして、繰り上げ合格となりました」


 あっさりとその関係者に告げられる。

 その紙には大学入学許可の文字。それを受け取ろうとすると、手が異常に震えて上手く掴めなかった。


「入学されますか? もし辞退されるならば早目に……」

「する! 入学する! なっ!?」


 答えたのはコリーンではなく、ロレンツォである。コリーンはそれにコクコクと頷くしかできなかった。


「そ、そうですか。ではこちら、入学までに用意して頂く物を書いておりますので。準備期間が短く大変だと思いますが、よろしくお願いします」

「「ありがとうございますっ」」


 二人して頭を下げると、騎士隊長の一人に頭を下げられた大学関係者は、恐縮しながら去っていった。

 パタンと扉が閉まると、コリーンは手の中の紙を見る。

 入学許可の文字を確認し、今度はロレンツォを見上げた。

 ロレンツォの顔は喜びで溢れ、それでいて優しい目を向けてくれている。


「うか、受かったよ……ロレンツォ。……私、受かったよ……っ」

「ああ、よかった……! よかった、コリーン! おめでとうっ」


 ガバッと、ロレンツォの腕がコリーンの体に巻き付けられた。


「ありがとうっ! ありがとう、ロレンツォ!」


 コリーンもロレンツォに抱きつき、その腕をきつく締める。喜びと感謝を表現する方法がそれ以外に思い浮かばず。ただただ頬をロレンツォの胸に押し付けた。

 その胸から、コリーンセレクトロレンツォヴァージョンの香りが立ち上る。

 幸せの香りだった。ロレンツォの体から漂うその香水の香りは。涙が出るくらい、幸せの香りがした。




***



 かくして、コリーンは大学生となった。

 準備に追われバタバタと入学し、忙しくも充実した大学生活が始まる。


「どうだ、授業はついていけているか?」

「うん、大丈夫。楽しいよ。ロレンツォはお仕事どう?」

「知り合いの息子のロイドという少年が入団して、俺の部下になった。なんでも完璧にこなす奴だから、逆に扱いが難しそうだな。あと、ヘイカーも入団した。俺の隊ではないが」

「へぇ。北水チーズ店の跡継ぎじゃなかったんだ」

「さぁ、どうするんだろうな」


 そんな会話をしながら、コリーンは嬉しそうに手元の紙袋を抱き締めるように持つ。

 今二人が向かっているのは、ウェルスの家だ。先日、とうとう子どもが生まれたらしく、その祝いに向かっているのである。


「ところでコリーンはなにを買ったんだ?」

「ふふ、ヒミツ。ロレンツォは?」

「俺はマザーズバッグにした。見たところ、ディーナ殿はファッションに無頓着だからな。ママ友達ができるように、今時の物を選んだ」

「そっか。喜んでくれるよ、きっと」

「だといいな。着いたぞ」


 ロレンツォが先に行き、ドアノッカーを叩く。すると中からとろけそうな笑みのウェルスが現れた。


「よく来てくれた。ロレンツォ殿、コリーン殿。ディーナと子ども達に会ってやって欲しい」


 そのつもりでやって来たので、遠慮をするつもりはない。コリーンは祝いの口上を述べようとしたが、ロレンツォに制されてしまい、仕方なく簡単な挨拶だけで上がらせてもらう。


「あ、赤ちゃんの香り」

「そりゃ、赤ちゃんがいるんだからな」


 玄関から一歩上がった瞬間、赤ちゃん独特のミルクの香りがして、コリーンは顔をほころばせた。これもまた幸せの香りだ。

 部屋に入ると、生まれたばかりの赤ちゃんを両手に抱いたディーナが、こちらを見て快活に笑っている。


「コリーン、いらっしゃい!やっと生まれたよ!」


 確か予定日は三月だったはずだ。双子だというのになかなか生まれなかったので心配していたのだが、出産は極めて順調だったらしかった。


「うわぁ!! 可愛い!!」


 コリーンは挨拶も忘れて双子の赤ちゃんを覗き込む。まだ生まれて間も無いため、ぷよぷよしてはいなかったがとても愛らしい。一人は赤みがかった茶色い髪の男の子。もう一人は綺麗な深みのある青い髪をした女の子だ。生まれたばかりにも関わらず、しっかり髪の毛は生えていた。


「名前はもう決めたんですか?」

「うん、男の方がアハトで、女がセリンって言うんだ」

「アハト君に、セリンちゃん! いいですね」


 コリーンがそっとアハトに手を伸ばし、その髪に触れる。ふわりと赤茶色の髪が浮いて、その耳を覗かせた。


「……あ、れ」


 コリーンはもう一人のセリンの方の耳を確認する。彼女は普通の耳だった。いわゆる、普通の人間の耳。コリーンは思わずウェルスの耳を見る。その時のウェルスの顔が、一瞬だけ悲しそうな顔をしていた。


「どうした、コリーン」


 後ろから話しかけてくるロレンツォ。コリーンは思わず首を横に振った。


「ううん、なんでも。ほら、可愛いよ」

「本当だな。ああディーナ殿、これは俺からの出産祝いです」

「お、なに? ありがとう!」


 アハトをロレンツォが抱き上げ、セリンをウェルスが抱き上げる。自由になった両手で、ディーナはロレンツォの出産祝いを受け取った。


「あっ! マザーズバッグってやつ?! 買わなきゃと思ってたんだ! 使わせてもらうよ!」

「あ、私もあるんです」


 コリーンが紙袋を渡すと、ディーナは躊躇などせず中身を確認する。それを出して広げたディーナは、首を傾げた。


「なに、バスローブ?」

「はい。これからお子さんをお風呂に入れたりした後、中々自分が着替える暇もないと思いまして」

「そっかー! 今はベビーバスだけど、一ヶ月もすりゃ一緒に入ることになるもんね!」


 ディーナは二つのプレゼントを嬉しそうに眺めて屈託なく笑っている。


「皆、子どもへのプレゼントばかりだったからさ。あたし、ウェルス以外にプレゼントもらうの初めてだよ。ありがとう、大切にするね!」


 ディーナの笑顔も見られたことだし、あまり長居しては迷惑と考えて、コリーンとロレンツォはラーゼ邸を後にした。

 しかし気になるのは、アハトという男児の耳だ。


「ねぇロレンツォ……気付いた?」

「なにがだ?」

「アハト君の耳……」

「……ああ」


 アハトの耳は、明らかに人間のそれとは違っていた。かと言って、ウェルスの耳のように目立って長いわけでも無い。人間の耳を先だけ尖らせた様なその形状。それは、ハーフエルフだけに見られる特徴である。


 ハーフエルフが生まれる確率なんて、一パーセント未満だっていうのにどうして……

 ディーナさんはその意味をわかって……ないだろうな。

 ウェルス様はわかってるようだったけど……


 眉を寄せるコリーンの頭に、ポンと手が舞い降りてくる。そしてロレンツォは憂えた瞳でこう言った。


「コリーンが危惧しても仕方ないだろう。元々あの二人の流れる時間は違っているんだ。それを承知で結婚しているんだから、多少の困難は乗り越えて行くだろう」


 コリーンは一応ロレンツォの言うことに頷いた。しかしロレンツォはディーナという人をわかっていない。彼女はおそらく、そういうことをなにも考えずに結婚しているに違いない。

 しかし確かにコリーンが杞憂してもどうしようもなく、双子の赤ちゃんが幸せに育ってくれる事を願うしかなかった。

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