第28話 世間を誤魔化すために
コリーンが大学に通い始めて、数週間が経った頃だった。
ロレンツォの妹である、ユーファミーアの結婚が決まったという知らせが入ったのは。
しかしロレンツォは、あまり嬉しそうな顔をしていなかった。
「どうしたの、ロレンツォ。ユーファさんの結婚相手が気に食わないの?」
「いや。そういうわけじゃないんだが……包んでやれる金が、少なくてな……」
「……ごめん、私のせいで」
「コリーンのせいじゃない。貯められなかった俺が悪いんだ」
その貯めていた金を使わせてしまったのは、紛れもなく自分のせいだ。しかし言えるはずも言われることもなく、コリーンは口を噤んだ。
「すまん、気を使わせてしまったな」
「ううん。私にできること、ない?」
「そうだな。ここを出て、一緒にイースト地区の家で暮らさないか? そうすれば、ここの家賃分は浮いてくる」
そうしなければいけないほど、ひっ迫しているのだろうか。
しかしあの家に女を出入りさせては、ゴシップ記者の格好の餌食となってしまうだろう。
「……ねぇ、ロレンツォのお給料の振り分けを教えて」
「教えてどうなる?」
「家族でしょ? 経済状況くらいは把握しておきたいよ」
しばらくコリーンの目を見ていたロレンツォだったが、やがてわかったと納得してくれた。
「俺の給料が毎月二十五万ジェイアだ。戦争がない今では、ほぼ一定と言っていい。ここの家賃が三万、イースト地区の家賃が八万。湯代一万、食費二万、油代一万、剣の手入れ用品や新聞代、その他諸々の雑費が一万。それと大学の授業料が七万」
ここまでで既に二十三万だ。
そこでロレンツォは言いにくそうに目を伏せる。
「あとな……今まで言ってなかったが、知り合いに少し借金をしているんだ。その返済に……二万」
ロレンツォの口から貯金という言葉が出て来ず、どれだけぎりぎりの生活をしていたのかが伺われた。実家への仕送りすらもしていないようだ。
「……その借金の返済、待ってもらうわけにいかない?」
「まぁ言えば快諾してくれるだろうが……ずるずると借金を背負うっていうのは好きじゃなくてな。できるだけ早く返したいんだ」
「……そっか」
確かにそれでは削れる場所は、ここの家賃しかないだろう。長く住み慣れた家を出るのは寂しいが、仕方がない。
「わかった、ここを出るのは構わないよ。でもあの家に殆ど帰ってなかったロレンツォが、いきなり女と住み始めたら……世間を誤魔化すのは大変じゃない? 私、ディーナさんのように記者に追い掛けられるのはやだなぁ」
「じゃあ恋人と公言しておくか? 変に追い掛け回されるよりいいだろう」
「それじゃあロレンツォが恋人を作れないじゃない」
「俺は別にいい。コリーンは困るか?」
「私は別に……大学費用払ってもらってる分際で、どうこう言えないよ」
「じゃ、決まりだな」
それほどまでに金に困っているのだろう。自分の結婚の際にもお金は貯めておきたいはずだし、いやだなんてことは言えない。
「ごめんね、ロレンツォ。でも私、大学は二年で卒業するつもりだから、それまで辛抱してね」
「……二年?」
ロレンツォは首を傾げている。
「知らない? トレインチェ教育大学のシステム」
「ああ、俺はそっち方面はさっぱりだな。なにせノルトの中学すら卒業してない」
「そっか。あのね、一年でも卒業できるんだよ。小学校の教員免許しか取れないけど。二年で中学と高校の専攻科目別の免許。四年通えば大学や専門学校の免許も取れるけど、私は中学か高校の教員になりたいから、二年で卒業できるんだ」
そう告げると、ロレンツォは難しい顔をした。
「いいのか、それで。今のうち資格を取っておいた方が、後々のことを考えるといいんじゃないのか」
「いいよ。私、早く教師になりたいから、二年も追加なんてもったいないよ」
これは本心でもある。ロレンツォに四年もの負担を掛けたくないというのもあったが、使わない資格を取っても仕方がない。早く先生と呼ばれるようになりたかった。
と同時に、後二年弱でロレンツォと離れなければいけなくなることに寂しさを覚える。
恋人だと世間に公言するということは、卒業後には別れたことを示さなければならない。そうでないと、ロレンツォに恋人ができないのだから。
そんな状態で、元恋人と世間に思われているであろうコリーンが、ロレンツォの周りをうろちょろするわけにいかない。つまり卒業後は、ロレンツォとの完全な別れを意味するのだ。
二年後、ロレンツォは三十歳か。
出会った時は十七歳だったから、私のために十三年間も拘束させちゃうんだな。
ロレンツォのことだから、すぐにいい人ができて結婚できるだろうけど……
完全な別れというのを想像していなかったコリーンは、胸が締め付けられた。
この想いは、ロレンツォが結婚することで諦めがつくはずだと考えていた。しかしその後、全く関わり合えなくなるとは思っていなかったのだ。
ロレンツォの結婚相手が、コリーンに会うことを許してくれる寛容な人物であればいいが、それもあまり期待はできないだろう。多くの女性は、過去の恋人と会うことを良しとしないであろうから。
「じゃあ次の家賃の支払い日までに、荷物を少しずつ運んで行こう。ユーファの結婚式は十月だから、それまでに十八万は貯められるだろう」
「うん。ねぇ、私もユーファさんの結婚式に行ってもいいかなぁ?」
「ああ、もちろん。出席してやってくれ」
「ありがとう」
会ったことは一度しかないが、ずっとユーファミーアの服を着てきたコリーンである。その香りだけで親しみが沸く。
結婚祝いには、久々に調香して香水をプレゼントしよう。ユーファミーアヴァージョンだ。
そう心に決めるとるんるんと鼻歌を歌いながら、コリーンは引っ越しのための片付けを始めた。
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