第22話 溜め息の理由に
「おな、じ……? コリーンも結婚していたのか?」
ハッとしたが、自身の愚かな発言を後悔しても遅い。アクセルの非難の目が、コリーンを突き刺して痛みを発する。
アクセルは正義の人だ。だからこそ、言いたくないし言えなかったのだ。
しかしこうしてぶちまけてしまった以上、せめて言い訳したい。コリーンには、理由があったのだから。
「コリーン……」
「アクセル、聞いて。お願い」
アクセルの蔑みの目がつらい。かつて愛した人に蔑まれるのだけは、どうしても我慢できなかった。
コリーンはアクセルに、自分の生い立ちを全て話した。少しの悪事も見逃せない彼に、コリーンが十歳で結婚したというところだけは隠して。
アクセルはなにも言わずに傾聴してくれた。そして全てを話し終えると、やはり小難しい顔でコリーンを見つめていた。
「ごめんね、アクセル……」
「どうしてあの時、そのことを話してくれなかった?」
「それは」
「いや、やはりいい。今さらだな」
覆水盆に返らず、という言葉が頭を過る。今コリーンがなにを言っても、もう元には戻れないし戻るつもりもないのだろう。アクセルにすれば、コリーンはもう過去の女である。つまりは現在進行形で想っている女性がいるということに他ならない。
「私とは終わったけど、その人とはまだ終わってないんじゃないの?」
「どうしてそう思う?」
「大事そうに飾ってある絵を見れば、わかるよ」
「……そうだな。正直言うと、まだ忘れられない。どうすべきか……答えが出ない」
白黒はっきりつけるのが好きなアクセルが、宙ぶらりんで悩んでいる姿を見るのは初めてである。騙されていたという事実と、それでも彼女を想う気持ちがぶつかり合っているのだろう。
コリーンは口を噤んだ。なにかを言えるような立場ではない。
アクセルにこんなにも愛されている女性を、少し羨ましく思った。
「……俺のことばかり、すまない。コリーンは最近どうしてる?」
「ヴィダル弓具専門店で働きながら勉強してる」
「また勉強か。好きだな、コリーンは」
「好きっていうか、実は大学に行こうと思ってて」
「大学?」
「うん。実は……教師になりたいな、なんて……」
「教師か!」
分不相応な職業を口にして身を小さくしていたが、アクセルの顔はパアッと明るくなって笑みが漏れている。
「いいな! いい、とても似合う。コリーンに相応しい職業だ」
「そ、そうかな?」
「ああ、きっと天職となる。俺の勘は当たるんだ。頑張れ、コリーン」
「ありがとう、アクセル!」
好きな人に応援してもらえるというのは嬉しい。
別れた後、しばらくはなんの接点もなかったが、またこうして普通に会話できることを幸せに思った。
「ところで、コリーンの頼み事とは何だ?」
「あ、北水チーズ店のことなんだけどね。あそこは誰かの紹介なしには買えなくて。アクセルに口添えしてもらいたいんだけど」
「そんなことか。別に構わないが、ロレンツォに頼めばよいものを」
「ロレンツォに言うと、紹介してくれずにチーズを買わせちゃいそうで。それは嫌だからさ」
「そうだな。借金がある身で、あそこのチーズを買わせたくはない気持ちはわかる」
アクセルの言葉に、コリーンの時間が止まった。
借金?
なんの話……?
「どうした、コリーン」
「……借金って、誰が?」
「だから、ロレンツォが……」
「ロレンツォが借金してるの!? なんで!?」
「知らなかったのか? 腕輪を買い取りたいと言い出して、手持ちじゃ足らなかったようだった」
腕輪。と言うと、形見の腕輪以外に思い浮かばない。やはりあの腕輪は売られてしまっていたのだろうか。それを買い取るために借金をしたのだろうか。
「借金っていくら? どこの金融業? 金利は!?」
「金額は八十万ジェイアだ。金利はゼロ。俺が貸しているからな」
アクセルから借りていると聞いて、多少ホッとする。しかしなぜ言ってくれなかったのだろうか。
「よほどあの腕輪が気に入ったようでな。借金をしてでも買い取ると言って……」
「その腕輪、私の両親の形見なの」
コリーンが真っ直ぐにアクセルの顔を見上げると、彼は納得したように頷いていた。
「そうか。それでロレンツォはあんなに必死だったんだな」
「その借金、私が払うよ! 貯金は二十万ジェイアもないけど……月五千ジェイアくらいなら、何とか払っていけるから……」
「コリーンは来春から大学に行くんだろう。どうやって払って行くつもりだ?」
「そ、それは……」
大学に行きながらアルバイトをしても、大したお金は作れないだろう。それでもしないよりはマシだろうが、必要なテキストくらいは自分で買いたい。
目を伏せるコリーンに、アクセルは優しい瞳で髪を撫でてくれる。昔よくやってくれて、嬉しかったものだ。
「借金のことはロレンツォがしたんだから、ロレンツォに任せた方がいい。別に返済期限など設けてはいないしな。無理はするなと俺からも言っておこう」
「アクセル……」
「本当はその腕輪を買い取って、俺がコリーンにプレゼントしたいくらいだが……あいつのプライドを傷付けるようなことは、したくないしな。だから、コリーンも俺に借金を払うなんてことはしない方がいい」
「でも」
「あいつを立ててやってもらえないか。女のためにあんなに必死になるロレンツォを、俺は初めて見た。きっと腕輪のために借金をしたなどと、知られたくないに違いない。わかってやってくれ」
アクセルが柔らかく微笑み、コリーンは素直に頷く。
なぜだか、アクセルが大人に見えた。元々大人だったのだが、あの直情的なアクセルとは思えない。昔のアクセルなら、事情を知った途端、ロレンツォに借金を帳消しにする話を持ち掛けるに違いなかった。
今のアクセルはロレンツォの尊厳を守るため、腕輪を買い取った理由を知らぬふりし、お金を受け取り続けるのだろう。
そしてアクセルがそうする限り、コリーンもなにも知らない振りしなければならない。
「うん、そうだね……」
「もし、食うに困るくらい困窮したなら言ってくれ」
「ありがとう」
「さて、北水チーズ店の話だったか?」
「もういいや。節約、しなきゃ」
「そうか。無理はしないようにな」
「うん、大丈夫。ありがとう、アクセル」
ロレンツォの溜息のわけがわかった。
借金をしたということは、貯金は全て使ってしまったのだろう。
今ロレンツォは、入学金の準備や、年頃のユーファミーアがいつ結婚してもいいように、必死に貯蓄に励んでいるはずだ。北水のチーズが食卓に出ないのも頷ける。
言えなかったんだろうな、ロレンツォ……
ごめんね……
私のために借金まで抱えちゃって……
来春からはノース地区の家賃や学費まで上乗せになるのに、やっていけるのかな。
私も余計な出費を減らして、なるべくお金を貯めておかなきゃ。
働き始めてから、つい自分の服を買ってしまって出費が嵩んでいた。ある程度服も揃ったことだし、真面目にお金を貯めないといけない。大学に行かないという選択肢はないのだ。期待してくれているロレンツォのためにも。
コリーンはそれから毎日、仕事も勉強も着実にこなして行くのだった。
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