第20話 激情するコリーンに

 ノルトに行ってから、一ヶ月が過ぎた頃。

 コリーンがいつものようにヴィダル弓具専門店で働いていると、ロレンツォが店に現れた。


「あれ? ロレンツォさん? どうしたの、ウェルスになんかあった?」


 ディーナがそう言うのも無理はない。ロレンツォは今まで一度たりともこの店を訪れたことがないのだから。剣一辺倒で頑張って来たロレンツォに、弓は扱えない。よって、買い物でないことだけは確かだ。


「いえ。申し訳ありませんがディーナ殿、少しコリーンをお借りしてよろしいでしょうか。火急の用なのです」

「え? コリーンを? 構わないけど」

「すみません、ありがとうございます」


 そう言うや否や、ロレンツォは目の前に早足でやってくるなり、コリーンの腕はグイと引っ張られた。


「ちょ、ロレンツォ?!」


 有無も言わせないように外に連れ出され、持っていたフード付きのパーカーをすっぽりと被せられる。


「な、なに? ロレンツォ」

「シーッ。今から騎士団本署に行く。いいな」

「よくないよ、なにがなんだか」

「人前では説明できないんだ。着いてから話す」


 なにか不測の事態でも起きたのだろうか。よくわからないが、言う通りにしておいた方がよさそうだ。

 ロレンツォは騎士団本署に入って行った。しかし正門ではなく、裏門からこっそりと。

 なにかをしただろうかと不安になった。ファレンテイン人になったとはいえ、元は他国民である。しかも奴隷として攫われて来た。まさかそれが知られてしまって、なんらかのペナルティが課せられるのではないか。

 逃げ出したい気持ちに駆られたが、そうなると罰則を受けるのはロレンツォの方だろう。コリーンよりロレンツォの方が、十六歳未満だったコリーンと結婚するという罪を犯しているのだ。それに逃げ出しても行くところなど、どこにもない。

 コリーンは憂惧しながらも、仕方なしに歩みを進める。


 どうしよう、ロレンツォといられなくなっちゃったら……

 今さら国に帰されても、生きて行く土台がないよ……


 涙目になりながら、コリーンはフードを深く被る。ロレンツォは、ある扉の前で立ち止まりノックをした。


「イオス殿。連れてきました」

「入ってくれ」


 聴取部屋と書かれたその部屋の中に入ると、そこにはイオスと二人の男達が座っている。

 コリーンはその男達を見た瞬間、脳に衝撃が走るのを感じた。

 忘れもしない、そのいかつい顔。

 コリーンの記憶が蘇る。身体中を蹴られ、恐怖を感じたその時の記憶が。

 コリーンは思わず、ロレンツォの後ろへと隠れた。


「今日来てもらったのは、この二人を見てほしかったんだ。どうだ、見覚えはないか」

「ロレン、ツォ……」


 手が震え始めた。恐怖なのか怒りなのかわからない。わからぬまま、ロレンツォの騎士服を掴んで引っ張っていた。


「言ってくれ。お前の証言が必要なんだ」

「ロレンツォ、ロレンツォ……この人達、私を……」


 こちらに注がれる、もうひとつの視線を見る。

 イオス。

 他国から攫われてきたと言えば、強制送還されるかもしれない。

 イオスの感情の読めない瞳を見て、コリーンがさらに身を震わせていると。


「大丈夫だ。イオス殿には全部話してある。気にせず続けてくれ」


 ロレンツォの言葉で、コリーンはさらに混乱する。


「え? ぜ、全部? な、なんで? どういうこと?」


 まさか、もう強制送還の話は決まっているのだろうか。ロレンツォの罪はどうなるのだろうか。騎士を剥奪されてしまうのだろうか。上手く立ち回って、ロレンツォの罪だけはどうにか隠さなければ。


「教えてくれ。この者達が、お前になにをしたのかを」


 しかしロレンツォはコリーンに向き直って、真っ直ぐ目を見てそう問うてきた。やましいことなどないといったその表情に、コリーンはようやく安心して話し始める。


「この人達は……この人達はいきなり村に来て、私を馬車に閉じ込めて……!」


 記憶がどんどん蘇る。

 いきなり口を塞がれ、馬車に放り込まれた。

 大切な腕輪を抜き取られると、自慢げに自分の腕に嵌めていた。

 両親の形見の腕輪を。

 あんな奴らの腕にあると思うと許せなかった。

 コリーンが返してと叫ぶと、容赦なく蹴られた。

 それでも何度も何度も飛びついたが、結果は変わらなかった。

 血反吐を吐くまで蹴られ、逃げる時も腕輪は諦めるしかなかったのだ。


「両親の形見の腕輪を奪っていったっ! 取り返そうとしたら、何度も……何度も蹴られて……っ! そして、無理矢理ファレンテインに連れて来られたっ」


 どれだけの喪失感だったか、こんな奴らには想像もできまい。

 憎かった。

 人の大切な物を奪っておきながら、ヘラヘラと笑っている奴らが。

 暴力を振るいながら、ニヤニヤと笑っている奴らが。


「返してよ!! お父さんの腕輪を! お母さんの腕輪を、返して!!」


 思い出せば思い出すほど怒りが込み上げる。

 人をこれほどまでに憎いと感じたのは初めてだ。

 憎くて悔しくて、涙が溢れそうになる。


 そんなコリーンの肩を、後ろから諌めるように抱き締めてくる者がいた。

 しかしコリーンは感情を抑え切れず、その腕に爪を立てる。


「仔細は分かった。お前達、もう言い逃れはできんぞ。詐欺罪、強姦罪、それに人身売買罪。全てはロベナー・クララックの指示か?」


 イオスの言葉に、男達は諦めた様子であっさり罪を認めた。


「腕輪は、腕輪はどこにあるの!?」


 問い詰めるも、男達の反応はなかった。罪は認めた癖に、我関せずといった態度が、コリーンの怒りを増幅させる。


「なによ! 人で無し!! ファレンテイン人なら、結婚指輪の大切さくらい分かるでしょ!! あの腕輪は、あの腕輪は! お父さんと、お母さんがぁっ!」


 人を殴りたいと思ったのは、生まれて初めてだ。

 しかし飛びかかろうとするとロレンツォに手を掴まれ、そのまま別室に連れて行かれる。

 部屋に入ると、ロレンツォはようやく手を放してくれた。


「コリーン……」

「ロレンツォ! あいつらが、あいつらが腕輪を取ったんだよ!」

「ああ」


 なぜロレンツォはそんなに冷静でいるのか。

 これだけ、これだけあいつらの悪事を知らせたというのに。

 なぜ、この気持ちをわかってくれないのか。

 所詮、ロレンツォは他人でしかないのか。

 ロレンツォならわかってくれると思ったのに。

 ロレンツォしか、わかってくれる人はいないのに。


「唯一の形見なんだよ!! 取り返してよ!! なんであんな奴らが! 平気で大切な物を奪って行くの!!」


 コリーンの目からはボロボロと涙が溢れ出した。しかし悲しみはない。怒りと憎しみしか、感情はない。


「あいつらっ! 絶対許せないッ! 絶対ッ! 絶対ッ!!」

「コリーン、もうやめてくれ」


 糾弾をやめろというのか。

 どうして。

 こんなにも苦しんでいるのに。

 どうして。


「あんなやつら、死ねばいいっ!」

「コリーンっ!!」


 どうしてロレンツォは。

 どうしてそんなにも悲しい瞳をしているのだろうか。


「法で殺せないなら私がっ! 私が、あいつらを殺してや……っ」


 グンッと体が意図せず動いた。

 目の前が暗闇で閉ざされ、なにが起こったのか分からない。

 ただ唇に優しいものを押し付けられていることだけがわかった。


 コリーンは、理解できず抵抗した。

 少し唇が離れるたび、それは何度も吸い付いてくる。

 体は拘束されたように、びくとも動かない。


 そして気付いた。

 ロレンツォにキスをされているということに。


 よく見ると、目の前にはロレンツォがいた。

 驚きだけがコリーンを支配する。

 一瞬で怒りと憎しみが消え去る。

 ただただ、コリーンは驚愕していた。


 なんで、ロレンツォが……私と……?


 フードがパサリ落ち、露わになった髪を頭ごと引き寄せられる。

 強い力に抵抗できず、そしてその口付けに堕ちるかのように、コリーンはその感触を味わった。


 なんでキスしてるんだろう……

 どうして、離れたくないんだろう……


「ん……ん、ロレ、ンツォ」


 なぜこうなっているのか知りたくて、彼の名を呼ぶ。するとロレンツォは、そっとその唇を離してくれた。

 ロレンツォの顔は、悲しみで満ちていた。今にも泣き出しそうなくらいに。


「落ち着いたか?」


 その言葉で、コリーンは全てを悟る。なぜキスしたのかなど、問う必要などない。激情するコリーン落ち着かせるために違いなかった。

 コリーンは、己の醜さを見せてしまったことを恥じ入る。


「う、うん……ごめん、私、つい……」

「いや……なにも情報を入れずに会わせたんだ。配慮が足りなかった。すまん」


 拘束されるように抱き締められていた体を解放され、コリーンは赤い顔をしたまま首を横に振った。

 そしてハッと息を吐き出す。


 落ち着こう。

 これ以上迷惑は掛けられない。


「仕事、休むか? 一人でいるのがつらいなら、俺もこのまま帰ろう」


 ロレンツォがまだ心配そうに覗いてくる。


「えっ、そんな、いいよ。大丈夫。仕事に戻るし」

「そうか。無理するなよ」

「うん。ごめんね、ありがとう」


 そう言ってコリーンはフードを深く被ると、ロレンツォの執務室から出ていった。

 体が熱い。

 心の通ったキスでなくても、体は熱くなっていた。


 忘れなきゃ……

 ロレンツォはそんな気持ちで、私にキスをしたんじゃないんだから……


 溢れそうになる気持ちをぐっと堪えて、コリーンは職場に戻ったのだった。

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