第19話 封印したはずなのに

「おい、コリーン。開けてくれ」


 コンコンと鳴らし続けられる窓。

 コリーンは目を掻きながらのっそり起き上がった。見慣れぬ景色、ここはどこだったろうと見回す。


「コリーン!」


 再度呼びかけられ、ここはノルトだったことを思い出した。


 そうだ、ここはノルトで、窓から男の人が沢山……


 ふと見るとそこにはロレンツォがいる。コリーンは窓辺に駆け寄り、窓の鍵を開けた。


「なに、ロレンツォ。私に夜這い?」

「馬鹿言え」


 ロレンツォは窓枠に足を掛け、慣れた様子でヒョイと入り込んでくる。

 そして誰と寝たかと聞かれ、全て断ったと告げた。ロレンツォは、コリーンが誰とも寝なかったことを不思議に思っているらしい。

 そして少しの沈黙の後に、彼はこう言った。


「もしかして……今日、アクセルを見たからか?」


 なぜかいきなりアクセル名を出され、コリーンの体はびくりと震えた。アクセルの馬券を買ってしまって、後ろめたさもある。


「まだ、好きだったのか? だったら悪かったな、勝ってやれなくて」

「違うよ、関係ない」


 ロレンツォから視線を逸らすコリーン。夜這いを断ったことに、本当にアクセルは関係ない。だが今日、アクセルとの再燃を夢見てしまったのは確かである。


「とり持ってやろうか?」

「やめてよ、違うったら」

「アクセルが今付き合っているのは、人妻だ。今ならお前の方が理がある」

「……え?」


 人妻、とロレンツォは言ったのか。ならば今付き合っている人は、既婚者だということを隠しているに違いない。アクセルは、絶対に、絶対に。既婚者と付き合うような人ではないのだから。


「か、関係ないよ。アクセルがどんな人と付き合ってても」

「いいのか?」

「いいもなにも……アクセルが好きになった人なんだから、邪魔したくないよ……」



 コリーンは呟くように言うと、ロレンツォは一言「そうか」と声を発する。そして彼は椅子に腰掛けて片足を立て、腕と頬をその上に置いて目を瞑っていた。


「ちょっとロレンツォ、そんな所で寝るつもり?」

「生憎うちには来客用の部屋もベッドもないからな」

「ここに寝ればいいじゃない」


 コリーンはベッドを指差した。自分だけがベッドに寝るなんてしたくない。しかしロレンツォに代わって椅子で寝るなどと言っても、彼は絶対に承諾しないだろう。

 コリーンはなんのかんのと言い伏せて、ロレンツォと一緒にベッドに入ることに成功した。


「ふふ、久しぶりだね。ロレンツォとこうして眠るの」

「そう、だな」


 一緒に暮らし始めて、最初の一年はこうして眠っていたことを思い出す。

 懐かしさが込み上げると同時に、あの頃にはなかった動悸が息を詰まらせた。


「ロレンツォ」

「……ん?」

「……ロレンツォ」

「どうした?」

「私、おかしいのかな」

「なにがだ?」


 本当に、おかしい。

 ロレンツォへの気持ちは封印したはずなのに。

 アクセルに会うと少女のような夢を見てしまったり、ロレンツォと布団に入ると邪な想像をしてしまったり。


「コリーン、今日、十人もの男が来たんだろ? 誰かいいと思える奴はいなかったか? もう一度話してみたい奴とか」

「……いない」


 胸が痛くなった。わかっていたことだが、ロレンツォはコリーンと誰かの結婚を望んでいる。その相手は、決してロレンツォではないのだ。


「こんな農村の男より、貴族の方がいいか? アクセルのような」

「別に、貴族にこだわる気はないよ……アクセルと付き合ってた時は、どうしても価値観にズレがあったし」

「だからアクセルと別れたのか?」

「それもあったかもね……私、ワインを美味しいとは思えなかった。マーガレットも好きになれなかった。あんな広い屋敷じゃ、気後れしちゃったよ」

「……そうか」


 声に出して初めて気付く。そうだったんだ、と。

 なぜアクセルを選ばず、永久的市民権の取得を優先してしまったか。コリーンは無意識下で、貴族との差は埋められないと感じていた。アクセルと結婚したとしても十年以上の婚姻生活を続けられないと、どこかで思っていてしまったのだろう。

 コリーンはモゾモゾ動いて向きを変え、左にいるロレンツォに向いた。それに気づいたロレンツォが、目を流してこちらを見ている。

 ロレンツォは準貴族という地位ではあれど、なんら自分と変わらない。同じ生活基準だ。


「誰かいい男がいたら、紹介してやるからな」


 唐突に、ロレンツォは言った。


「いらないよ。自分で見つける」

「お前はそう言って、一生結婚しなさそうな予感がする」

「そう? 私、これでも結婚願望は強い方だよ」

「本当か? そうは見えないが」

「私はロレンツォの方が心配だよ。遊んでばかりいると、婚期を逃すよ?」

「そうだな。俺もいい加減に結婚しないとな」


 ロレンツォに、結婚というものは似合わない。

 だから、彼のその発言には少し驚いた。ロレンツォは結婚する気があるのだ。そんな風に結婚を考えていたのは、リゼットと付き合っていた時だけだと思っていたが。


「ロレンツォ」

「なんだ?」

「相手がいない時は、言ってね」

「誰か紹介でもしてくれるのか?」

「私が相手になるよ」

「……」


 コリーンは、真剣にそう言った。

 実際にそうなることはないだろう。けど、もしも。限りなくゼロに近いもしもだが、ロレンツォにいい相手が現れなかった場合。その時には、一緒になってくれそうな気がした。

 ロレンツォは絶句し、なにかを考えあぐねている。

 あれ? とコリーンは思った。

 考える、ということは、もしかして、本当に可能性があるのだろうかと。


「ね?」


 コリーンは手を伸ばし、ロレンツォの肩に手を置いた。いい返事をもらえるかもしれないと、期待して。


「……俺は、女に不自由しないさ」

「そだね。でも、結婚となると別でしょ」

「そうだな……そうかもな」


 コリーンの胸が高鳴る。ロレンツォとなら、絶対に結婚生活も上手くやっていける。その自信がある。


「だが、大丈夫だ。俺も自分で相手を見つけるよ」


 しかしやはりと言うべきか、ロレンツォの口から出た言葉は、拒否だった。


「……うん」


 やっぱりロレンツォは、私をそんな対象としては見られないんだ……。


 コリーンは手を、ロレンツォの肩から離した。

 父のように、兄のように思おうとしていたのに、どこかで夢を見てしまっている自分がいる。

 自分はこんなにもロレンツォのことを考えてしまっているのに、ロレンツォは違うのだろうか。ほんの少しも、女として見られないのだろうか。

 コリーンは、それを試すように聞いた。


「夜這い、しないの?」

「……馬鹿言え」


 やっぱりだった。やっぱり、妹としてしか見られないという答えだ。

 コリーンは悲しくて辛つらくて、わかりきった答えを目の当たりにして、笑うしかなかった。


「っぷ!ふふっ」


 コリーンが涙を隠しながら笑うと、ロレンツォは呆れたように息を吐く。


「はぁ。もう寝ろ」

「はぁーい。おやすみなさい、ロレンツォ」

「おやすみ、コリーン」


 ロレンツォが誰かと結婚したら。

 その時には諦めがつくかな。


 再び睡魔が襲う中、コリーンは目元に何かが当たるのを感じて目を開ける。

 目の前にはロレンツォの唇。一瞬驚いたが、おやすみのキスのつもりだろう。一緒に寝ていた頃、ロレンツォがよくやってくれていたことだ。


 ロレンツォのキス、久しぶり……

 嬉しいな……


 コリーンはロレンツォの温もりに、安心して眠りに落ちた。

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