第14話 どうして、何のために
コリーンがロレンツォへの想いに気付いて、一ヶ月が経った頃である。
午後八時を回り、コリーンは店仕舞いを始めた。そして鍵を掛けようと外に出ると、一人の女性が店に入ろうとしていて、コリーンは謝る。
「あ、すみません。もう閉店なんです」
「ごめんなさい、買い物に来たんじゃないの。紙とペンを貸して頂けるかしら」
「いいですよ。少々お待ち下さい」
コリーンは店に戻ると、紙とペンを持ってきて渡してあげた。
コリーンはその女性を図書館で何度も見かけたことがあった。図書カードにはよくケイティという彼女の名を見かける。かなりの読書家だ。ロドリオ・クルースという作家がコリーンは好きなのだが、その作家の図書カードの全てに彼女の名前が書いてあったほどだ。
ケイティはその紙に『私の処女をもらってください』と走り書いていて、コリーンは眉をひそめた。それを彼女はどうする気だろう。まさか、それを持って大通りに立つつもりか。
「ペンありがとう」
「…………いいえ」
世の中には色んな人がいるものである。しかしあれで処女を奪う男もどうだろうか。
彼女が悲惨な目に遭わなければいいけれど、と思いながらコリーンは家に帰った。
その一時間後のことである。ロレンツォが、そのケイティを連れて家に帰ってきたのは。
「ただいま、コリーン」
ロレンツォの後ろにいるケイティを見て、コリーンは目を広げた。
なにに一番驚いたかといえば、この家に人を連れてきたことだ。
ロレンツォはもちろん、コリーンも誰もこの家に人を上げたことはない。昔、大型家具の設置に、業者が配達に来たくらいだ。
コリーンとロレンツォの関係を知られぬよう、細心の注意を払っていたロレンツォが、人を上げたのである。
「お客様……?」
「そうだ。紅茶を淹れてくれ。一番いいやつだ」
コリーンはコクリと頷いて奥へと引っ込んだ。
すぐにロレンツォもケイティを連れてダイニングに入ってくる。
「で、どうして売春を?」
「違うのよ」
二人の会話に耳を澄ませた。
「スティーグ殿のために、ファーストキスも処女も取っているのではなかったのですか?」
「そうなんだけど、そんなことを言ってはいられなくなってしまって」
「どうしたのです? 俺で良ければ力になりますよ」
「助かるわ」
そこでコリーンは紅茶を出す。確か紙には処女をもらってくださいと書いていたはずだが、あれも売春になるんだろうか。
そう考えていると、ロレンツォがケイティに合う服を貸してやってくれと言われて、コリーンは自分の部屋に入る。
しかしなにを貸そうか。見た感じ、貴族のお嬢様だ。コリーンが普段着にしている服など、着られないに違いない。
「……仕方ない、か……」
コリーンは先月ディーナの結婚式に着て行った、上等のワンピースを取り出した。ロレンツォに買ってもらったやつだ。
コリーンはそれを持って、自室の扉を開けた。
「彼女は病気で、まともな教育を受けられなかったこともありまして、言語が劣っていたのですよ。今はもう克服していますが」
ロレンツォの声が聞こえてくる。自分のことを言われていると悟ったコリーンは、またも眉を寄せた。
誰が病気で、誰が言語障害だ、と頭でツッコミをしながら歩みを進める。
「そうなの。ここで一緒に暮らしているの?」
「ええ、まぁ。親戚ですから」
一緒に暮らしているなんて言っていいのだろうか。まぁ昔と違って既に永久的市民権を得られているので、問題はないかもしれないが。
「失礼します。こちらでよろしいですか?」
コリーンがワンピースを見せると、ロレンツォは意外そうな顔をして、眉を下げていた。
彼女に合う服、とは、彼女の背丈に合った大き目の服、という意味で言ったのかもしれない。
「ありがとう、ごめんなさいね。必ず返すわ」
「…………いいえ、お気になさらず」
「コリーン、下がってくれ」
コリーンは首肯し、再び部屋へと戻った。
そしてしばらくすると、誰かが風呂に入っている音がする。
コリーンはそっと扉を開けた。
「コリーン、すまないな。服を貸して貰って」
「……なんでここに来たの?」
「なんで? いつでも来てくれと言ったのはお前だろう?」
「でも、あの人を連れてくるなんて……」
「コリーン、ケイティ嬢を知っているのか?」
「処女をもらってくださいって書いた紙を持って立ってた人でしょ」
「お前も見たのか」
「あの人に紙とペンを貸してあげたのは、私だから」
「そうだったのか」
ロレンツォの驚きの声に、コリーンは訝った。
「ロレンツォ、まさか、本当にあの人の処女を……」
「ああ、そのつもりだが?」
信じられない。
ロレンツォの女好きは承知しているつもりだが、ここまで軽い男だとは思わなかった。
「……やめてよ」
「どうしてだ?」
「ここは私の家だから」
「少しだけ我慢してくれ。あんな必死な女性を放ってはおけないだろう? 可哀想じゃないか」
ロレンツォの言い分に、少し納得してしまう自分も自分だ。ロレンツォは、ただ自分がしたいわけではない。おそらく、ケイティを考えての行動なのだということが、今の発言でわかった。どこまでも女に優しく甘い男である。
「好きにすれば」
コリーンはぐっと堪えて、無理矢理自分を納得させた。そして自室に閉じこもる。
それにしても、なぜこの家でそれをする必要があるのか。
今まではこの家に誰かを連れてくることも、ましてや女を抱くこともしなかった。
これまではコリーンが幼かったために、気遣ってくれていただけだったのだろうか。
ならなぜ、今になってその気遣いをしなくなったのか。
イースト地区に家はあるのだし、そこが駄目ならホテルだっていくらでもある。
どうしてここでなくてはいけないのか。
「きゃ、きゃああっ!!」
その時、隣の部屋から声が上がった。
「いやあ、あああああっ」
ロレンツォの声は小さくてよく聞こえない。全てケイティの嬌声に掻き消されてしまう。
「え……?あっああう……ああ、じゃあ、もう……っ、やめぇ……っ」
何度も喘ぎ、達する彼女の声を聞かされる。コリーンは耳を塞ぎ、早く終わるように祈った。
もう、最低っ!
なんでこんな、私に聞かせるように………っ
そして、はっと気付く。これは、自分に聞かせるためのロレンツォの策であるということに。
ロレンツォ、私の気持ちに気付いてるんだ。
なんとなく、ロレンツォの気持ちがわかってしまった。
ロレンツォは、コリーンの気持ちに気付いた。しかし彼は、コリーンに応えてはくれないのだろう。その理由は、リゼットと付き合うからなのか、コリーンを娘のようにしか思えないからなのかはわかりかねたが。
ロレンツォは、告白をされたくないのだ。それは、コリーンとの家族という関係を壊したくないからに違いない。
だからきっと、こんな手段を取った。これはロレンツォの意思表示だ。たとえ路上に立っている女性を抱くことはあっても、コリーンはだけは抱かないという。告白してくれるなという、彼からのメッセージなのだ。
わかったから、もうやめてよっ!!
ただの家族でいいからっ!!
そうしてコリーンは、ケイティの声が聞こえなくなるまで、耳を塞いでいた。
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