第13話 かつて愛した人に

 コリーンはワンピースに袖を通した。

 いつかロレンツォが買ってくれた、一張羅である。買ってもらっていてよかった。いきなり「明日結婚するから」と言われるとは思っていなかった。

 しかしそれも仕方のないことだろう。ディーナとウェルスは、何年もこの日を待ちわびていたに違いないのだから。

 結婚出来るとなれば、すぐにでも式を挙げたくなるのは道理だ。


「ウェルス様、ディーナさん。本日はご結婚、誠におめでとうございます。お二人を祝福するかのごとく、お日柄もよく……」


 二人を祝福する気持ちを言葉にすると、やたらと長い祝辞になってしまった。ゆうに十分間は一人でベラベラ喋ってしまっていただろう。ふと見ると、ロレンツォが呆れ顔をしているのが目に入り、コリーンはようやく切り上げた。


「……お二人の末長い幸せをお祈り致しまして、私からのお祝いの言葉とさせて頂きます」


 深々と頭を下げると、笑顔の二人からは「ありがとう」との言葉をもらった。

 コリーンが下がり始めると、今度はロレンツォが前に出た。コリーンはロレンツォに軽く会釈して下がる。ここでは、コリーンとロレンツォは他人だ。誰も二人が知り合いとは思ってはいないだろう。アクセル以外は。

 端の目立たない所へと足を運ぼうとすると、逆側で既に祝辞を終えたそのアクセルが手招きをしている。

 彼の姿を見るのも久しぶりだった。アクセルを見ると、やはり熱い感情が蘇ってくる。コリーンは手招きされるまま、アクセルの方へと歩み寄った。


「久しぶりだな、コリーン」


 久々の彼の声。彼の笑顔。そして彼を彩る、香水。懐かしさでコリーンは笑みを漏らす。


「うん、久しぶり」

「元気か?」

「うん、元気だよ。アクセルは?」

「変わりない」


 二人の瞳には互いの姿ではなく、幸せそうなウェルスとディーナの姿が映し出されている。


「俺もあんな風に、皆に祝福されたかった」

「……」


 コリーンは俯いた。コリーンも、アクセルとの結婚を思い描かなかったわけではない。しかし今ではもうそれを想像することできなかった。申し訳なさだけが募る。


「すまない。未練がましく言うつもりはないんだ。ただ俺は、真剣にコリーンが好きだったということを、知っておいてほしかった」

「……うん。私も、アクセルが好きだったよ」

「……そうか。今はロレンツォとはうまく行ってるのか?」

「あのね、アクセル……」


 そう言いかけて、コリーンは止まった。

 今さら一体なにを言うつもりなのか。

 ロレンツォは父親のような存在だったのだと。

 早く永久的ファレンテイン市民権を得るためにロレンツォを選んだのだと。

 本当は別れたくなかったのだと。

 ロレンツォと離婚した今なら、もう一度付き合えるとでも言うつもりか。


「コリーン?」

「……ううん」

「……まぁ、ロレンツォが相手では、色々とあるだろうからな」

「アクセルは、今付き合ってる人は?」

「気になっている人ならいる。美しい絵を描く女性だ」


 アクセルは常に前を見る男だ。別の女性が彼をとらえても、なんら不思議はない。


「……そっか。上手くいくといいね」

「ああ、コリーンも。ロレンツォが、好きなんだろう?」

「……え?」

「え?」


 聞き返したコリーンに、アクセルもまた聞き返してくる。


「好き? 私が、ロレンツォを?」

「ああ、そうじゃないのか?」


 前はなんと言ったのだったか。ロレンツォのことを。

 そうだ、好きという言葉じゃ言い表せられないと言ったのだ。

 だけど、今は。


「……うん、好き」


 なぜだかあっさりと認められた。大切な家族であり過ぎたため、気付けなかった。

 色んな感情があり過ぎて、好きという感情が埋もれてしまっていた。


「ありがとう、アクセル」

「よくわからんが……どう致しまして」


 はにかむような笑顔を見せて、アクセルはそう言った。

 ふと見ると、ロレンツォはリゼットと並んで、何事かを話し合っている。

 そういえば彼がリゼットと別れた理由は、ウェルスとディーナが別れたことが原因である。

 そのウェルスとディーナが幸せになった今、彼らも寄りを戻すつもりかもしれないと思い、コリーンは睫毛を伏せた。


 今、たった今。

 ロレンツォを好きだって認識したばかりなのに。

 もう失恋なんて、つらすぎる……。


 この日を境に、コリーンの生活と心境は少し変わった。

 ディーナがウェルスの家に住むことになったので、店番の日は開店準備のために早く家を出る。帰りも先にディーナを帰らせるために、遅くまで店番をしていた。それに日曜も出勤するようになった。ウェルスの休みに、ディーナも合わせたいに違いない。

 そんな働きづくめのコリーンに、ロレンツォはほぼ毎日、コリーンの家に来てご飯を作ってくれ、そして泊まっていく。


「ありがとう。帰ってすぐにご飯が食べられるって、幸せだね」

「そうだろう?」


 コリーンの言葉に、ロレンツォは満足したように頷いている。

 一度好きだと気付くと、その嬉しそうな表情を見るだけで胸が締め付けられるように感じた。

 食事の後の片付けも、肘が当たるたびに意識してしまう。風呂上がりのロレンツォを見ると、勝手にドキドキしてしまう。

 そんなコリーンに気付いているのかいないのか、ロレンツォはいたって普通であった。

 今、ロレンツォに好きだと告白したら、どうなるだろうか。受け入れられる姿も、拒絶される姿も想像つかない。これだけ長く共にいつつ、彼がどう出るか、さっぱり予測がつかないのだ。

 コリーンは密かに想いを抱きながら、このままロレンツォとの生活を続けることにした。

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