第7話 己の欲望に

 コリーンが目を覚ますと、アクセルは椅子の上で船を漕いでいた。

 コリーンはゆっくりと身を起こす。気分はすっかりよくなっていて、そっと伸びをするも、アクセルが気配に気付いて目を開けた。


「コリーン、起きたのか」

「おはよう、アクセル。昨日はごめんね」

「いや、調子はどうだ?」

「うん、もうすっかりよくなったよ」


 そう言うと、アクセルはほっと胸を撫で下ろしていた。


「一晩中いてくれたんだね。ありがとう」

「こう言ってはなんだが、良いアシニアースだった。コリーンとずっと一緒に、聖夜を過ごすことができたんだからな」

「……アクセル」


 アクセルは昨夜のように、コリーンの手を握った。コリーンはまたも顔を染めたが、アクセルはなぜかちっとも赤くなっておらず、真剣にコリーンの瞳を覗いてくる。


「いいか?」


 なにを、と聞くほどコリーンは鈍感ではない。コリーンはわずかに頷き、目をぎゅっと閉じた。求めるものは、コリーンも同じだったのだ。


「好きだ」


 アクセルから短い言葉が紡がれるのと同時に、そのまま唇を塞がれた。

 好きな人に好かれた。キスをされた。コリーンの脳は痺れるような幸福で満たされる。と同時に切なさも生まれる。


 アクセルと、いつか恋人と言える関係になりたい。

 でもまだ、その時じゃない……


 後、三年と少し。ファレンテイン市民権が得られるその時まで。

 唇が離れ、コリーンは目を開ける。目の前には照れ臭そうにはにかむ、アクセルの姿。


「朝食にしよう」


 そう言って、彼はコリーンを部屋に案内してくれた。


 その聖夜から、少しアクセルとの関係は変わった。コリーンはアクセルの家を訪ねることが多くなり、そこでアクセルの家族を交えての食事をとることもあった。

 アクセルの私室にも入った。部屋の中にも部屋があるという、超高級ホテルのエグゼクティブスイートルームといった感じだ。コリーンには広過ぎて落ち着かないが、周りを気にすることなくアクセルとキスできるのがいい。

 その日も二人はそっと、ついばむようにしてキスを交わしていた。


「……アクセル」

「なんだ?」

「そろそろ、勉強、しなきゃ……」

「まだ、もう少し」


 アクセルの部屋に来ても、コリーンは勉強をしていることが多い。アクセルの部屋には図書館にない本もあり、色々と勉強になるのだ。しかしこの日は、中々解放してもらえなかった。


「も、やめて……」

「嫌か?」

「嫌じゃないんだけど……」


 変な気分になりそうで、怖い。というか、すでにそんな気分になってしまっていて、つらいのだ。


「俺はこのままコリーンとしたい。コリーンは違うのか?」


 はあ、と熱い吐息が漏れた。アクセルとこれ以上関係を進ませてはいけない。頭では理解しているのに、体が拒否を示してくれない。コリーンも、アクセルと体を重ね合わせたい。


「……避妊、してくれる?」


 コリーンは、己の欲望に負けてしまった。


「妊娠しても、必ず責任は取る」

「そういうことじゃないの。避妊してくれないなら、しない。安全日以外も、しない。それでもいいなら……私もしたい」


 その妊娠を拒絶する条件に、アクセルは訝しんだかもしれない。しかし、最終的に彼は承諾してくれた。


「わかった。ちゃんと避妊するし、コリーンがいいという日以外は求めない」

「ありがとう、アクセル」

「今日は……いいんだな?」


 アクセルの問いに、コリーンは頷きを見せる。アクセルに抱き上げられたコリーンは、別室のベッドの上へと降ろされた。

 互いに初めての二人は、それが上手くできたのかわからなかった。ただ互いをいたわり、慈しみ、愛し合うことで、行為後にはとても充実した気持ちになっていた。



 ***



 ある日、コリーンは郵便受けから新聞を取り出し、大きな声で叫んだ。


「ロレンツォ、見て見て! ロレンツォの顔がおっきく載ってる!」

「どれ」


 朝食のコーヒーを入れていたロレンツォが、コリーンの持って来た新聞を覗いた。ロレンツォは自身の顔を確認すると、コリーンに読むように促す。言われた通りロレンツォが叙勲された記事を読むと、彼は満足そうにこう言った。


「悪くない」


 彼の夢が叶った、と言ってもいいだろう。コリーンはロレンツォの努力をずっと身近で見てきている。その努力が実を結んだのだから、コリーンが嬉しくないはずがなかった。


「ロレンツォ、すごいね。皆ロレンツォ様ロレンツォ様って、すごい人気だよ。人気投票したら、アクセルと同率一位取れそうなくらい!」

「どういう褒め方だ。お前にとっては、アクセルが一番だろう?」

「そ、そんなことないよ」


 アクセルも大切だが、ロレンツォも大切な人なのだ。どちらが一番か、なんて秤には掛けられない。比べられるわけもなかった。


「最近、アクセルとはどうなんだ?頻繁に会ってるようだが」

「ど、どうって!?」


 狼狽えるコリーンを見て、ロレンツォはおや? という顔をした。そしてニヤリとその表情が変わる。


「残り三年の辛抱だ。妊娠だけは気をつけてくれよ」

「っえ!? う、わ、わかってる!」


 ば、ばれちゃってたんだっ

 うわー、恥ずかしいっ


 顔が火照り、汗が噴き出す。性教育をされた時もそうだったが、彼は当たり前のようにそういうことを口にする。こちらは恥ずかしくて仕方ないというのに。


「俺が邪魔なようなら、イーストドールに家を借りることになったから、出て行くが」

「出てく? どうして」

「俺たちのことは秘密なんだから、アクセルを家に連れてこられないだろう」

「連れてこないよ。だから、出て行くなんて言わないで!たった一人の、家族なのに……」


 ロレンツォは、家族だ。たった一人になって、怖くて路地裏で震えていた自分を救ってくれた、救世主だ。

 長く一緒に暮らすことで、本当に父のようであり、兄のようであり、かけがえのない唯一無二の存在となっている。そんな家族がいなくなる。また一人になってしまう。そう思うと、涙が溢れそうになった。


「すまん。俺がいては二人に悪い影響が出ると思ってな」

「別に、そんなこと……ねえ、イースト地区に引っ越すの?」

「さて、どうするか。引っ越すにしてもコリーンは連れて行けないな。あそこは騎士隊長ロレンツォの家と知れ渡っていくだろうし、そこにコリーンが出入りしていたら疑われてしまう。アクセルにも」

「ここにいてほしい……だめ?」


 わがままなのはわかっている。アクセルには疑われたくないし、ロレンツォと別々に暮らすのは嫌だ。三年後には別々に暮らさなければいけないことは覚悟しているが、せめてそれまでは共に暮らしたい。


「ああ、別に問題ない。今まで通り暮らして行こう」


 ロレンツォからの了解の言葉を聞けて、コリーンはほっと息を吐いた。

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