第6話 仕方ないので無理矢理に
コリーンが香水を作って帰ったその日は、役所に届けている方のコリーンの誕生日だった。二十二歳。実年齢は十六歳である。
ロレンツォは、コリーンのためにワンピースを買ってくれていた。それも高価なものだと一目で分かる物だ。普段着としては着られないが、やはり素敵な服を貰うと嬉しい。
コリーンはその礼も兼ねて、クランベールの袋を取り出し、ロレンツォに渡した。
「香水か」
「名付けて、コリーンセレクトロレンツォヴァージョン」
「ってことは、アクセルヴァージョンもありそうだな」
アクセルヴァージョンという名はないが、つまりはそういうことである。
「よくわかったね」
「アクセルが、好きなのか?」
唐突にそう聞かれ、コリーンは顔を赤らめた。
「ち、違うよ。ただ、ちょっと仲がいいだけ」
違うことはない。本当は……好きだ。
しかしそれを家族であるロレンツォに知られるのが、とてつもなく恥ずかしい。なぜだか知られたくない。
「ちょっと、ね」
「もう、違うんだってば!」
ポカポカとロレンツォの胸を打つと、ロレンツォはわかったわかったと苦笑いしていた。
「今度のリゼットさんとのデートにでもつけてってよ。名前を享受した時にお祝いするでしょ? その香水、自信作」
きっとリゼットもロレンツォから立ち昇る、その香水の香りを気に入ってくれるに違いない。そう思っていたコリーンは、次のロレンツォの言葉に耳を疑った。
「リゼットとは、先日別れた」
「……え?」
聞けば、コリーンのせいではないということだったが、コリーンの胸には罪悪感がのし掛かる。
もし私と結婚していなかったら。
ロレンツォは、リゼットさんと結婚していたかもしれない。
そしたら、三年は離婚できないような制度がこのファレンテインにはあるんだから、リゼットさんとも別れることはなかったのかも……
しかし、今さらだった。今さらロレンツォと離婚したところで、なんの意味も成しはしない。
「残念、だったね……」
「……まぁな」
ロレンツォが悲痛な表情を見せることは、コリーンが知る限りほとんどない。その沈痛な面持ちで、どれだけリゼットを愛しているのかが窺われた。
残り四年でコリーンはファレンテイン市民権を得ることが出来る。それまでもう本気の恋はしないでほしい、と思うのはわがままだろうか。しかし、コリーンはそう願わずにはいられなかった。
ロレンツォの見せる悲しげな表情を、もう二度と見たくはなかった。
***
コリーンとアクセルの関係は、その後もしばらく続いていた。
進展があったのは、その年の冬のことだ。聖夜と呼ばれるアシニアースの日に、アクセルの家に招待されたのである。
毎年ロレンツォは、アシニアースに家にいた試しがない。今年も同様だろう。コリーンはその誘いを受けることにした。
その日、コリーンは初めてロレンツォに貰ったワンピースに袖を通した。そしてユーファミーアのお古のコートを上に羽織る。足元は、これまたユーファミーアのお古のパンプスである。これがコリーンのお気に入りでよく履いているため、かなりくたびれているが、他にないのでどうしようもない。
アクセルとは図書館で待ち合わせ、一緒に家へと向かった。その家はコリーンの想像を遥かに凌駕した、大きく美しい屋敷だった。
中に入ろうとするとスッと扉が開き、中から美しい女性が現れて、コリーンは深々とお辞儀をしながら言った。
「この度はお招き頂きましてありがとうございます。アクセルさんとは友人としてお付き合いをさせて頂いております、コリーンと申します」
そう言って顔を上げると、その女性は困った顔をしていて、隣にいたアクセルが少し笑った。
「コリーン、彼女は召使いだ」
「っえ」
「ただいま。連れてきた」
「お帰りなさいませ、アクセル様。そちらがコリーンお嬢様ですね。いらっしゃいませ。コートをお預かり致します」
そう言って、召使いはコートを脱がせてくれた。すぐに別の召使いが来て、アクセルもコートを脱がせてもらっている。
「もう皆は集まっているか?」
「はい。坊ちゃんとコリーン様をお待ちでございます」
「坊ちゃんと呼ぶな。行こう、コリーン。そんなに硬くならなくていい。うちの家族はフランクだから、さっきのような堅苦しい挨拶はしなくて大丈夫だ」
「う、うん……」
玄関のホールだけで、コリーンらが住んでいる家の三十倍くらいありそうだ。住む世界が違う、とはこういうことなのだろう。
部屋数は百で足るのだろうか。いや、もっとあるかもしれない。アクセルは慣れた足取りで長くて広い廊下を歩き、コリーンはその後ろをおずおずとついていく。その後ろを、さらに一人の召使いが着いてきていた。
やがて大きな扉の前まで来ると、後ろを歩いていた召使いが扉を開けてくれる。そのためだけに着いてきていたらしく、扉が閉まると去っていったようだった。
「おお、アクセル、やっと来たか! そちらのお嬢さんがコリーンだね? 初めまして、私はアクセルの父のダーンだ」
「は、初めまして、コリーンと申します」
「家族を紹介しよう。来たまえ」
広いホールに、人が何人もいる。コリーン以外にも招かれた客は多いようだ。コリーンとアクセルは、ダーンの後に続いた。
「丁度集まっているな。アクセル、お前の方から紹介しろ」
ダーンに促されたアクセルは、家族とコリーンの間に立つ。
「コリーン、母のエマだ」
「よろしく、コリーン」
アクセルは母親似だな、と思わせる顔立ちだった。金髪で、パッチリとした瞳が愛らしい童顔の女性だ。
「続いて、長兄のセム」
「初めまして」
「次兄のミラン」
「よくぞいらっしゃいました」
「二人の奥方と子ども達は、また後で紹介しよう」
皆、並々ならぬ美形揃いだ。コリーンは深々と頭を下げた。
「本日はその、お招き頂きまして……こんな立派なパーティに、あの……」
「楽しんでいってちょうだいね、コリーン」
萎縮するコリーンを宥めるかのように、エマはそう言ってくれた。
「アクセルが女の子を招待するなんて、初めてだからな」
「ゆっくりしていってくれ。歓迎するよ」
セムとミランが笑顔を見せてくれて、コリーンはほっとする。
アクセルの家族はそれぞれにその場を離れて、客をもてなしていた。パーティは立食形式で、格式張ってはない。ほっと胸を撫で下ろす。
「コリーン、何が食べたい?」
「なにがあるのか……緊張しちゃって、喉が渇いちゃった」
「緊張など、する必要はないというのに……とりあえず、ワインで乾杯しよう」
アクセルはワイングラスを給仕から受け取り、コリーンに渡してくれた。綺麗なグラスに、濃い紫色の液体。
「今日のワインはラウリル産だ。コリーンの口に合えば良いが」
そう言って二人は乾杯した。コリーンは実は、ワインを飲むのは初めてである。ファレンテインでは十六歳から飲酒できるが、コリーンはまだお酒という物を口にしたことがなかった。ロレンツォもまた、家で飲むお金がないのか習慣がないのか、飲んでいるところを見たことがない。
コリーンはドキドキしながら口をつけた。ラウリルという国のお酒が高くて有名なのは、コリーンでも知っている。
「……」
「どうだ?」
不味い。それは究極に不味い飲み物だった。苦くて濃くて、渋くて嫌な感じが喉に残る。しかし、せっかくの高いワインを前に不味いとは言えず、コリーンは無理矢理飲み干した。
「う、うん。美味しい、かな」
「だろう? これは若い物だが、さすがはラウリル産だ。いい味を出している。こんなに大きなパーティでなければ、もっといい物を出せたんだが」
アクセルのワインウンチクが始まり、コリーンは苦笑いを浮かべながら料理を手にとって口に運んだ。しかしどうにも先ほどのワインが口に残って、せっかくの料理が美味しく感じられない。一度水で流したい。そう思ってキョロキョロと給仕を探していると、それに気付いたアクセルが再びワインを手に持って、コリーンに渡してくれる。
「どうぞ」
「……ありがとう」
その嬉しそうなアクセルに、不味いからいらないと言えるわけもなかった。仕方無く、コリーンはまたもワインを無理矢理に喉の奥へと通過させる。そんなことを何度か繰り返していると、気分が悪くなってきた。酔いも相まって、吐き気が込み上げる。額から大粒の汗が流れ始め、泣けてきた。
「アクセル……」
「どうした、コリーン」
「ごめん、気分が悪くて……私、帰りたい」
「なにっ!? 大丈夫か!?」
「あんまり、大丈夫じゃない……」
「わかった、すぐに医者を呼ぼう」
「そ、そこまでじゃないから……」
アクセルはパーティ会場を抜け出して、客間であろう部屋にコリーンを寝かせてくれた。
「ごめんね、迷惑、掛けて……」
「気にするな。俺も早く気付いてやれなくて、すまない。体調が悪かったのか?」
まさか、勧めてくれたワインのせいだとは言えず、コリーンは口ごもる。
「今日はここに泊まって行くといい」
「そんな……これ以上迷惑掛けられないよ……」
「迷惑なんかじゃない。コリーンさえよければ、一晩中でもこうしていさせてくれ」
そう言って、アクセルは初めてコリーンの手を握ってくれた。互いの顔が朱に染まる。
コリーンがわずかに首肯して見せると、アクセルは柔らかい笑みを浮かべた。
アクセルは本当に一晩中、そうやってコリーンの側にいてくれたのだった。
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