第28話 忘れてしまった約束は
寒い寒い季節がやって来た。
追い込みのシーズンだ。受験は来週に迫っているので、ジタバタしてもしかたないとコリーンの姿勢は変わらなかったが。
その日ロレンツォは、アルバンの街にレリアの様子を見に行った。
レリアはまだアクセルに妊娠していることを告げていなかった。もうお腹は大きく、来月が出産予定だというのに。
「いかがですか。体調の方は」
この寒いのに、外で絵を描いている彼女に声を掛ける。
「ええ、お陰様で、順調ですわ」
「まだアクセルに言うつもりはないのですか? もう構わないでしょう」
「……会う機会がありませんもの」
「俺が連れてくればいい。男としては、こういうことをあまり隠されたくはない」
ノルト村での逆夜這いでできた子どもならばともかく、そうでなければ話すべきだというのがロレンツォの考えである。
「アクセルがあんなにも懊悩しているということは、まだ貴女に気持ちがあるからでしょう。お腹の子のことを、きちんと話した方がよい。それでアクセルも一歩前に踏み出せるかもしれない」
ロレンツォは説得を続けた。
頑なだったレリアの態度が、徐々に軟化する。
「次の日曜、アクセルを連れてくる。いいですね」
ダメ押しに確認すると、レリアは頷いてくれて、ロレンツォはホッとした。
次の日曜のシフトは、ロレンツォもアクセルも出勤だ。仕事に
アクセルとレリアを引き合わせると、アクセルは彼女の大きく膨らんだお腹を見て目を丸めている。
「な……ま、さか……」
「身に覚えがあるのか、アクセル」
ロレンツォは横からアクセルの背中を押し出す。
「覚えがあるなら、きちんと話し合って来い。今日のアルバンでの仕事は、俺が全てやっておいてやる」
仕事などあってないようなものだ。ロレンツォはアクセルを置いて、トレインチェへと戻った。
明日はコリーンの受験だな。
今日くらいは仕事を休めばいいものを、几帳面なやつだ。
今日は必勝祈願も兼ねて、北水チーズ店のクミンシードのゴーダチーズでも奮発するか。
本署で仕事をこなしながら、そんな風に考えていると。
アルバンの街に置いてきたはずのアクセルが、医師らしい人物を連れてロレンツォの執務室に飛び込んで来た。
「ロレンツォッ!! この方を連れて、アルバンへ急いでくれ!!」
「どうした!?」
「レリアが産気づいた! しかも逆子だ!! 医師がいなければどうなるかわからんっ!」
物凄い慌てっぷりだ。レリアとはよりを戻すのか、なんて聞くどころじゃない。
「わかった、全速力で行く! お前は先に行ってろっ」
「すまん、ロレンツォ!」
アクセルが先に執務室を出る。その後ロレンツォもすぐに飛び出してシラユキに乗り、医師を後ろに乗せてアルバンに向けて走り出す。
「ヒ、ヒィィイッ! も、もっとゆっくり……」
「喋らないでっ! 舌を噛みますよっ」
「ヒィイイッ、た、助け……」
医師の言葉を無視し、シラユキを飛ばす。途中、街道は行かずに森に入った。
いつ魔物が出てくるかわからないため、剣を抜けるように態勢を変える。しかしその必要もないようだった。先に行ったアクセルによって、魔物が蹴散らされている。ロレンツォは走ることに専念した。
人を乗せた状態で全速力など、初めての経験だ。それでなくともシラユキは、今日すでにアルバンに一往復して疲れている。それでもシラユキはロレンツォの期待通り、懸命に走ってくれた。
アルバンに着き、馬から降りると医師はふらふらしていた。しかし患者を目の前にすると、さすがにシャキッとプロの表情になる。そしてレリアの状態を見て、こう言った。
「これは……腹を切って取り出すしかないな。時間が経ち過ぎては、母子共に危険だ」
淡々と準備を始める医師。青ざめるレリアに、医師は何か薬を飲ませている。
そしての手足をベッドに縛り付け始めた。恐らくは切開時に動かれては困るからであろう。
「アクセル様、アクセル様……!」
「落ち着け、レリア! ずっと傍にいる!ずっとだ!」
怖がるレリアをアクセルは宥めている。
医師は冷静に、メスで彼女のお腹を裂いた。
「いやあああああっ!!」
「体を押さえつけろ!!」
医師の言葉に、アクセルは身を乗り出すようにしてレリアの肩を押さえつけている。
飛散する血。
出産というのは命懸けだ。ロレンツォは馬のお産を何度も見て知っている。しかしお腹を裂いたことはないので、正直焦った。
腹を裂いて、子宮まで切って、無事で済むわけがない!
そう考えたロレンツォは、隣で青ざめている官吏のケビンという男に声を掛ける。
「ケビン殿! 今一度、トレインチェに戻って治癒師を呼んできたい! この城一番の早馬を貸してくれ! 俺のシラユキは疲れている!」
ロレンツォの言葉に、ケビンはシャキッと眉を吊り上げた。
「こっちです!」
ロレンツォはケビンに案内されて、馬に飛び乗る。
リゼットならば、治癒魔法で腹の傷を治してくれる!
急がなければっ
その馬でクルーゼ家まで来ると、ロレンツォはノックももどかしく飛び込んだ。執事のクージェンドを呼ぶつもりだったが、リゼットは丁度玄関先にいた。日曜なのでどこかに出掛けているかもしれないと思っていたが、幸運だった。
「リゼット! 来てくれ!!」
「ロレンツォ!?」
目を丸くするリゼットの手を、強引に引っ張る。すると隣にいた男に声を荒げられた。
「ロレンツォ! なにすんだよ、手を離せ!」
そこにいたのは、なぜか士官学校生であるヘイカーだった。しかしロレンツォは気にもせず、リゼットを連れ出す。
「どうしたの、ロレンツォ!」
問いながらもリゼットはロレンツォと共に走り始めている。切り替えが早くて助かる。彼女のこういうところがさすがだ。
「治癒師の力が必要な者がいる! 頼む、助けてやってくれ!」
「わかったわ、どこ?!」
「アルバンの街だ!」
場所を告げると、リゼットは厩舎から自らの馬を連れ出して飛び乗った。ロレンツォも馬を変えて共に走る。
アルバンの街に着くと、子どもは生まれていたがレリアの意識はなかった。リゼットがすぐに魔法を発動させると、レリアの裂けていた腹が綺麗に戻り、体は赤みを取り戻し始める。どうやら間に合ったようだと、ロレンツォはほっと息を漏らした。
レリアは目を覚ますと、生まれた赤ちゃんを抱いていた。
もう何度も往復してへろへろになっているが、明日はコリーンの受験だ。遅くなって心配させるわけにはいかない。
「すまん、リゼット、助かった。俺は帰るが、お前はどうする?」
「私も帰るわ」
三たびアルバンを出る頃には、すでに日が沈んでいた。ロレンツォはのんびりと街道を歩かせるリゼットに、先に帰るとも言えずに寄り添って馬を歩かせた。街道を行っていては、コリーンが帰ってくるまでに戻れないが仕方ない。
「こうやって二人きりも久しぶりね」
「そうだな」
ロレンツォは穏やかな笑みをリゼットに向ける。それを受けて、リゼットはなぜか寂しそうな笑みを浮かべていた。
「今日赤ちゃんを抱いていた女性はロベナーの妻よね? アクセルとどういう関係なの?」
「まだ本人から聞いていないが……あの顔付きは、レリア殿と結婚を決めたのかもな」
「本当? 月日は流れているのね。昔が、懐かしい」
そう言ってリゼットは目を細めている。昔、というと、アクセルがリゼットを好きだった頃のことだろうか。アクセルと二人でリゼットを奪い合った日々。確かに懐かしい。もう遠い昔の出来事のように感じる。
「俺がリゼットを振り向かせるように画策してしまったからな。本当は、アクセルの方が好みだったか?」
「馬鹿を言わないで! 私は、貴方のことしか……!」
相変わらずの反応に、ロレンツォはまたも微笑んだ。リゼットの言葉はそこで途切れ、恥ずかしがるように目を伏せている。
「……貴方にも、今はいい人がいるんでしょうね」
「いや、いないが?」
リゼットの言葉を否定すると、彼女は俯いていた顔を上げた。そしてしばらくパッカパッカと心地よい音だけが響く。
「ほ、本当?」
「本当だ。リゼットの方こそどうなんだ?」
先程クルーゼ家にいたヘイカーを思い出す。カールの家で見た時の彼は、リゼットに惚れているように見えたのだが。
「私も、誰も居ないわ」
「そうは見えないけどな」
「ほ、本当よ!!」
リゼットは恋愛事で嘘をつけるような女ではない。彼女が本当だと言うなら、まだそこまでの関係には至っていないということだろう。
ヘイカーとリゼットか。
あまり、似合いのカップルにはなれそうにないが。
二人が付き合う姿を想像して、クスリと笑う。恋人が同じ職場の隊長だと、平の騎士は苦労しそうだ。
「ロレンツォ……」
「なんだ?」
「いい人は、いないのね?」
「ああ、さっき言った通りだが」
なぜ確認を取るのかを不思議に思いながら、ロレンツォはリゼットに目を送る。彼女は言いにくそうに口を噤んでいて、ロレンツォは先を促した。
「それがどうかしたか?」
「……ウェルスとディーナを、私が別れさせたことがあったでしょう」
「……ああ、あったな」
「その時、私と貴方も別れた」
「そうだな」
「その時、貴方はなんと言ったか覚えてる?」
「……」
なんと言ったか。覚えていない。確かリゼットは、貴方なら分かってくれると思った、というようなことを言っていたはずだから、別れを承諾したのには変わりないが。
「えーと、多分……別れたくないが、リゼットが望むなら仕方ない……とこんな感じだったか?」
「間違いではないけど、その後よ」
「その、後……」
別れを承諾した後、なにを話したというのだろうか。頭の中をさらってみるも、まったく記憶にない。
「すまん、忘れてしまった。教えてもらえるか?」
ロレンツォがそう聞くと、リゼットは酷く傷付いた顔をした。その理由が分からず、ロレンツォの心が痛む。
なんだ? 俺はなんて言ったんだ?
しかしその答えをリゼットが言うことはなく、「もういいの」という言葉を残して、二人は帰途に着いた。
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