第20話 目玉焼きを作ったのは

「ロレンツォ……ロレンツォ……起きて、朝だよ」


 コリーンの自分を呼ぶ声に、ロレンツォは目を覚ました。顔の痛みは変わらずで、ドクンドクンと脈打って火照っている。それでも朝まで寝ていられたのは、一晩中冷やしてくれたコリーンのお陰だろう。


「う、くう……」

「おはよう……大丈夫? ご飯、食べられそう?」

「悪い、先にリゼットの所に行きたい。これ以上時間が経つと、顔が元に戻らなくなりそうだ」

「治癒師の魔法は、自然治癒もしくはレベルの低い修復魔法及び再生魔法で中途半端に治った状態を完璧には戻せないってだけだから、ロレンツォのはまだ大丈夫だと思うよ。むしろ酷くなってる最中だし」

「細かい分析はいい、とにかく早く楽になりたい。手を貸してくれるか」

「わかった」


 ロレンツォはコリーンに肩を借りて、リゼットの家があるセンター地区に向かった。

 クルーゼ家の前まで来ると、ロレンツォはコリーンを帰らせる。朝ご飯はいらないとだけ伝えると、コリーンは隣家の犬を撫でて帰って行った。

 ロレンツォはクルーゼ家のドアノッカーを叩く。すると中から初老の執事が現れた。


「これはロレンツォ様、お久しゅうございます」

「クージェンド、久しぶりだ。すまんが、リゼットに会えるか?」

「急ぎのようですな。中に入ってお待ち下さい。すぐにリゼット様を呼んで参ります故」


 執事のクージェンドはロレンツォの顔を見て緊急と判断し、部屋の一室に通してくれた。そして彼はリゼットを呼びに部屋を出て行く。彼はこの家唯一の召使いだ。

 しばらくするとパタパタと駆ける音がして、扉が開いた。


「ロレンツォ! どうしたの、その顔!」


 飛び込むなりロレンツォに駆け寄り、そっと患部に触れられる。


「っつ!」

「酷い腫れじゃないの! 貴方ほどの人が、なんてザマなの!? 誰にやられてしまったの!」

「スティーグ殿だよ。悪いが、治してくれるか」

「スティーグさん? スティーグさんが、なぜ貴方を……」

「少し怒らせてしまったようだ」

「少し? 少し怒ったくらいで、あの人はこんなに殴ったりなんかしないわよ」

「じゃあ、とても怒らせてしまったんだろうな……っつつぅ」


 笑おうとして痛みが走り、顔を歪ませる。しかしそれさえも痛い。


「じっとしていて」


 そう言うとリゼットは、魔法を詠唱し始めた。

 全身の力が抜け、ロレンツォの体に何かが流れ込んでくるのを

感じる。一瞬ひやりとし、体温が奪われたと思った次の瞬間には、顔面の痛みも火照りも消え去っていた。


「治ったわよ」


 リゼットの言葉に、ロレンツォは自身の顔に手を当てる。触り心地はいつもの顔であった。


「ありがとう、リゼット」

「まったく……スティーグさんとは大丈夫なの?」

「まぁ、子供じゃないんだ。大丈夫さ」


 ふう、と嘆息した後、リゼットは優しい笑みをロレンツォに向けた。その笑顔を見て、ロレンツォも微笑む。


「朝食がまだなら、一緒に外で食べて行くか?」


しかしリゼットは寂しそうに首を横に振った。


「今日はアンナの家で食べると言ってあるのよ。貴方も来る?」

「アンナ殿の? 俺も行っていいのか?」

「ええ、貴方もあの家には行ったことはあるんでしょう? アンナが貴方に会いたがっていたわよ。たまには行ってあげたら?」

「それは光栄だな。じゃあ行かせてもらおうか」


 アンナの家には、騎士になってから一度も踏み入れていない。剣の弟子がどんな風に成長したか気になるのは、当然のことだろう。

 リゼットはドアノッカーを叩くこともせず、当然のように扉を開けて中に入って行った。ロレンツォは逡巡するも、その後に続く。


「おはよう、アンナ」

「おはよう、リゼット。あら、ロレンツォも一緒?」

「ええ、構わない?」

「いいわよ。ヘイカーも来てるの。リゼット、手伝ってちょうだい。ロレンツォは座って」


 リゼットはアンナに言われるまま、キッチンに向かって行った。ロレンツォが食卓の方に向かうと、そこには新聞を読むカール、それに彼の子供のロイドとアイリス。そして何故か北水チーズ店の息子、ヘイカーの姿。


「おはようございます、カール殿」


 そう声を掛けると、カールは自身を隠していた新聞をバサっと降ろす。


「おお、ロレンツォか。久しぶりだな。どうした?」

「いえ、リゼットに誘われて来ただけです」

「そうか。まあ朝はせわしないが食ってってくれ」

「ありがとうございます」


 頭を下げ、席に着くと目の前の女の子がキラキラした瞳でこちらを見ている。


「おや、小さなレディ。これは挨拶が遅れまして申し訳ありません。ご機嫌はいかがですか?アイリス殿」

「朝からロレンツォ様に会えるなんて、こんなに幸せなことはないわ! すこぶる快調よ!」

「そうですか、それはなによりです」

「……おい、娘に手ェ出すなよ、ロレンツォ」

「私、ロレンツォ様にならいいかも……」

「おい、アイリスッ!」

「アイリスも父さんも程々にしてよ、まったく……」


 最後に長男のロイドが諌める。カールはまだ言足りなさそうではあったが、息子に諌められてグッと飲み込んでいた。

 ロイドの隣に座っているヘイカーがこちらを見ている……というより、ほぼ睨んでいるのに気付いて、ロレンツォは視線を彼に向けた。


「ヘイカー、何でお前がここに? それにその格好……士官学校に通ってたのか?」

「今日、リゼットがここに来るっつったら、昨日から泊まりに来たんだよ。こいつはロイドと同じ士官学校の三年で友人同士だ」


 答えたのはヘイカーではなく、カールである。ロイドは飛び級したのでまだ十五歳だが、学年はヘイカーと同じということらしかった。


「ってことは、お前ももう今年で十八か、ヘイカー。来年は騎士団に入るのか? 北水チーズ店はどうするんだ?」

「父ちゃんはまだまだ現役だかんな。一応騎士団に入るよ。折角士官学校を出るんだ。騎士になってガッポガッポ稼がねぇと、割りに合わねぇっての」

「さ、ご飯出来たわよ! ロイド、アイリス、ヘイカー、運んで頂戴!」


 キッチンから呼ばれて、三人の子どもたちは席を立った。そして目の前に食事が運ばれてくる。

 そして全員が席に着き、ファレンテイン流の祈りを捧げてから食事を始めた、その時。妙な味わいが口に広がっていく。


「っう」

「……」

「これは……」

「アンナ、この目玉焼きはだれが作った?」


 カールが問い、アンナがリゼットだと答える。やっぱりか、とロレンツォは苦笑いした。


「どうしたの? ちょっと焦げてはいるけど……」


 そう言いながらアンナも口をつけている。しかし他の者と同様、やはり顔を歪めた。


「リゼット、砂糖を使ったわね。しかも大量に」

「え、ええ。この間は砂糖を入れていたから」

「この前作ったのは、甘い卵焼きでしょう。目玉焼きには塩よ」

「そ、そう……そんな気もしたんだけど……皆、ごめんなさい」


 リゼットがしゅんと肩を落とす。ロレンツォが声を掛けようとした瞬間、先を越す者がいた。


「ウマいよ。焼きプリンみたいで、うまいじゃん。いいよ、これで」


 ヘイカーがさらりとそう言ってのけたのだ。どこをどう味わっても、焼きプリンには程遠い。北水チーズ店のチーズは、息子が開発した物もあると店主は言っていたから、ヘイカーの味覚は一級のはずである。


「……ま、食えねぇことはねーか」

「う、うん、私、甘いの好きだから、大丈夫よ、リゼット!」

「今日は食べるけど、次はちゃんと塩で頼むよ」

「わ、分かった」


 皆、我慢しながら口に運んで行くので、ロレンツォもそれに習った。

 ふと見ると、しょげるリゼットに、ヘイカーが熱い眼差しを送っているのがわかった。

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