第5話 美人妻の言う事は

 今日は週に一度の休日だ。

 ロレンツォはコリーンを連れて、買い物に出掛けた。彼女の手には、重い辞書と二冊のノートがある。


「女の子らしい手提げ袋もいるな。とりあえず、寝巻きと下着を買って……替えの服は今度の休みに、ユーファミーアのお古を貰って来るか」


 新しい服を買ってやりたいのは山々だが、余裕などないので仕方ない。

 ロレンツォは最初に下着の専門店に入った。中に入ると店員に頼んで、コリーンに合う下着を見繕ってもらった。月のものが来た時のための備えも頼んだ。別に恥ずかしくはない。当然の事をしているだけだ。

 コリーンはその店員と楽しそうに下着を選んでいる。カワイイ、カワイイと連呼しながら、好みの下着を探しているようだ。やはり女だなと口の端を上げていると、周りの客から変な目で見られそうで、自分の下着を探すふりをした。


 下着を買い終えると、今度は手提げ袋と寝巻きを買いに、別の店へと入った。


「手提げ袋はどれが良い? 大きさはこれくらいがいいかな。この中から決めてくれ」


 割と大きめだが、コリーンが持っても引きずらないギリギリの大きさの物を選び、彼女の前に差し出す。コリーンは気に入ったのが二つあったようで、悩みながらもひとつに決めてくれた。


「これ。かわいい。これ」

「わかった、これにするか」


 可愛いリスの絵柄が端に入った、割とシンプルな物をコリーンは選んだ。これなら年齢が上がっても、しばらく使えそうなデザインである。

 予算の関係で、寝巻きはロレンツォが一番安い物を選んだが、コリーンは別段何も言わなかった。


「しまった。靴を買うのを忘れていたな」


 ふと、コリーンが歩き辛そうにしているのを見て、ロレンツォは思い出した。コリーンの足元を見てみると大きめのミュールが足に添わず、足の甲が擦れて真っ赤になってしまっている。


「コリーン、痛かっただろう。早く言ってくれればいいものを」

「いたか……?」

「痛い、だ。足、痛いだろう?」

「い、た、い、い、た、い……痛い、ない。大丈夫」


 さっき買った手提げ袋から辞書を取り出して調べ、コリーンはそう答えた。


「食費を削るか……いや、二人いるんだから、それも無理があるな。仕方ない、貯金を崩すか」


 色々と買いすぎて、すでに予算オーバーだ。貯金と言っても微々たるものだが、それに手をつけるしかないだろう。


「コリーン、ちょっと待っててくれ。家に金を取りに戻る。わかるか? ここで待つんだ。ここで、待つ」

「まつ……ま、つ、ま、つ……私、ここで待つ。わかった」


 立って待つのはつらいと思い、仕方なく道の端に座らせた。ロレンツォは一目散に家へと戻り、お金を持ち出すと速攻で戻ってくる。と言っても、往復で三十分は掛かってしまっただろう。コリーンから離れた瞬間、ロレンツォは不安に襲われた。

 コリーンは大丈夫だろうか。人身売買に手を染めた奴らに会って、再び連れ去られていないだろうか。

 コリーンを一人にするべきじゃなかった。言葉もろくに通じない所で一人にされ、不安にならないはずがない。

 そんな風に煩悶しながら戻ってくると、コリーンは変わらず元の場所にいた。が、誰かと一緒にいる。

 ロレンツォが慌てて駆け寄ると、そこには見知った顔があった。


「あら、ロレンツォ」

「はぁ、はぁ……アンナ殿」

「どうしたの、大汗掻いて」

「いえ、何でも……アンナ殿、コリーンに何かご用ですか?」


 アンナはロレンツォがこの街に来て、初めて声を掛けた美人である。北水チーズ店の事を教えてくれたのも、彼女だ。あの店は誰かの紹介なしではチーズを売ってくれない、特殊な店である。


「コリーンというのね。こんな所に座り込んでるからどうしたのかと思って。声を掛けたんだけど、何も喋ってくれないから」


 コリーンは、アンナを警戒する様に縮こまっている。やはり、相当不安だったに違いない。


「すみません、彼女は……俺の遠い親戚で、ちょっと言語障害があるんです。失礼をしたなら申し訳ありません」

「別に何もないわ。大丈夫よ」

「なら良かった。ところでアンナ殿はどちらに?」

「家族で散歩してるだけ。今、主人と子ども達がアイスを買いに行ってるわ。ほら、あそこ。戻って来た」


 アンナが手を振る方を見てみると、赤髪の男と、五、六歳の男女の子供が両手にアイスを持ってこちらにやって来る。


「おかーさん! アイス買って来たよ!はい、あげる!」

「ありがとう、アイリス。ロイド、そっちのアイスは?」


 アンナが聞くと、ロイドと呼ばれた彼女の息子はコリーンに向いた。


「これは、この子に」


 両手に持ってあるアイスのうちの片方を、コリーンに差し出してくれる。コリーンは伺うようにロレンツォの顔を見上げた。


「貰っておけ、コリーン。ちゃんと礼を言って」


 ロレンツォは言葉だけでなく、頷いて促す。するとコリーンはおずおずと手を伸ばし、「ありがとう」と控えめに礼を言った。


「ありがとう、アンナ殿。それに……」

「息子のロイドと娘のアイリス。主人のカールよ」

「お久しぶりです、カール殿。貴方がアンナ殿のご主人でしたか」

「おお、ロレンツォ。久しぶりだな。兵士団では頑張ってるそうじゃねーか」

「あら、知り合いだったの?」

「まぁな」


 カールとは、士官学校の教官をしている男である。コリーンの国を視察している最中、少し剣の手解きを受けて、筋が良いと褒められた。

 しかしアンナの夫だとは知らなかった。彼の妻に色目を使った事が知られたら、殺されそうだ。

 カールはそんな事は露知らず、自分だけ三段に乗せたアイスをペロリと舐めて聞いてくる。


「お前、今誰に剣を習ってる?」

「今は色々です。兵士団の同僚だったり先輩だったり」

「うーん……もったいねぇな。ちゃんとした師をつけろ。お前は騎士になれる素質がある。ま、兵士団の中にいたんじゃ、それも難しいか。俺が見てやりてえが、なかなかなぁ」


 兵士の休日は不規則だ。今回はたまたま日曜に休みが取れたが、基本的に騎士が日曜に休みを取るので、兵士は平日に休みを取るのが常だ。教師をしているカールとは、休みが被ることは滅多にないだろう。


「そう思って頂けるだけで光栄です。もし、また機会があれば、お願いいたします」

「ああ、わかった。じゃあな、ロレンツォ。俺ン家そこだから、暇な時寄ってけよ」

「はい、ありがとうございます」

「おとーさん、早く行こうよー」

「わぁってるよ。おい、行くぞ」


 そう言いながら、カールは子ども達を連れて行ってしまった。


「アンナ殿?」


 それについて行かないアンナを不思議に思い、ロレンツォは首を傾げる。


「私が見てあげてもいいわよ」

「は? 何をです?」

「剣の稽古に付き合ってあげるという事よ。でも、カールには内緒ね。カールは私が剣を握る事、あまり良く思っていないから」

「……はぁ」

「仕事が休みの日に来るといいわ。ただし、日曜以外でね」

「はあ」

「言っておくけど、私はカールのように甘くはないから、覚悟して来なさい。それじゃあね」


 ロレンツォはそう言って去って行く超絶美人を見送る。一体何を言っているのか。ロレンツォが習いたいのは、実践的な剣術だ。主婦が体を鍛えるために習うお遊びとは違う。

 しかし、である。

 夫の居ぬ間に家にお邪魔するというのは、色々と楽しそうだ。これはぜひとも遊びに行かなければ。


「……フフッ」


 思わず漏れ出た笑い声を、コリーンはアイスを舐めながら見上げていた。

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