第6話 帰って来られぬ理由とは

 その、翌日の出来事である。

 出勤した途端、隣国が交戦を仕掛けてきたという情報が入って来たのは。

 騎士はもちろん、ロレンツォら兵士もその戦闘に駆り出された。一刻を争う事態のため、コリーンに知らせる暇もなくトレインチェを出ることとなってしまった。

 ロレンツォは、誰にも結婚したことを話してはいない。話せるはずもなかった。連絡係の方にも知らせていないので、コリーンに自分が出兵したことは伝わらないだろう。


 しまった。せめて、金のありかだけでも教えておくべきだった……!


 一度出兵すると、いつ戻れるか分からない。それどころか、死してしまえば一生戻ることはできない。さっさとその事実を伝えておくべきだった。

 食料は、一人ならば五日はなんとか持つだろう。それまでに戻れるだろうか。いや、戻らなければならない。何としても。


 その戦闘でのロレンツォの活躍は、驚異的だった。戦場を愛馬ユキヒメと駆け回り、次々と敵を切って伏せる。ロレンツォは、敵を震撼させた。

 ファレンテイン軍は制圧を免れ、敵勢を退却させることに成功した。それでも辛勝である。ロレンツォも手傷を負い、ふらふらのくたくただ。

 だが、ロレンツォは即座にトレインチェに向かって駆け出した。愛馬ユキヒメにも自分にも鞭を打ち、街道を疾風の如き速さでひた走る。トレインチェに着いた時には六日目の朝を迎えていた。


 ロレンツォはアパートの目の前までユキヒメで行き、自宅を目指す。

 扉に手を掛けると、鍵は開いていた。不安が襲い、ロレンツォは勢い良く扉を開け放つ。そしてその名を呼んだ。


「コリーン!!」


 一瞬の静寂に、体が凍り付く。しかし直後、ガタンと椅子の倒れる音がした。


「ロレンツォ!? ロレンツォ!!」


 まだ十ほどの幼い女の子が、駆け寄って飛びついて来る。


「ロレンツォ、いない、探す、いない、いない、なんで!」

「すまん、コリーン……すまん!」


 いきなりいなくなって、幾日も帰らなかったのだ。ひもじく、寂しく、つらい思いをさせてしまったに違いない。ロレンツォはコリーンを強く抱き締めて、泣きじゃくる少女に何度も謝罪していた。


 しばらくして落ち着くと、二人は向かい合って座った。テーブルの上には、相変わらず辞書とノートが乗ってある。ノートには『人を探しています』や『どこに行けば会えますか』など、ロレンツォを探していたであろう形跡が見て取れた。


「すまない。俺は兵士で、戦闘に駆り出されてた。コリーンに伝える暇がなかった」

「うん……わかった」

「……え?」


 ひとつひとつ噛み砕いて説明するつもりがあっさりと首肯され、ロレンツォは目を見張る。


「ロレンツォは兵士。戦い、行く。私に伝えられない。合ってる?」


 語彙が飛躍的に増えている。たった六日の間に、である。それだけ必死に勉強して、今の自分の状況を把握しようとしていたのだろう。たくさんの人と拙い言葉で話したに違いない。


「……ああ、合ってる」

「これから、同じこと、ある?」

「おそらく、いや、必ずある」


 そういうと、コリーンは悲しそうな顔をした。言葉の通じない異国に連れて来られ、そこで助けられた人物にいきなり置いて行かれる心境は、想像に難くない。


「なるべく伝えたいと思ってはいるが、今回のように突然いなくなるかもしれない。そして……帰って来られないかもしれない。だから、金の場所を教えておく」

「ロレンツォ、死? いや! いや!」

「そう簡単に死ぬつもりはないさ。俺には野心があるんでね」


 再び泣きそうになるコリーンに、そう言って宥めた。コリーンは「やしん?」と呟いて、辞書を引いている。


「野心……分かった。ロレンツォ野心、なに」

「俺の野心は、アーダルベルト様の右腕となって働くことだ。そのためにはまず騎士となって、トップに上り詰めることだな。今はそれを目指して勉強してる」

「右腕……?」


 コリーンが自分の右腕を見たので、ロレンツォは説明した。訳しか載っていない辞書では、その意味を書かれてはいまい。


「頼りにする部下って意味だ。アーダルベルト様に頼りにされたいんだよ」

「じゃあ、私の右腕、ロレンツォ」


 真剣な瞳でそう訴えられた。頼りにしている、ということを言いたかったのだろう。


 俺は、コリーンの部下か?


 ロレンツォはそう思い、ひとりプハッと吹き出した。


「ロレンツォ?」

「っぷ、っくっくっく……いや、何でもない。そうだな、俺はコリーンの右腕だ。肝に銘じよう」


 頼りにされるのは、ある種の心地良さがある。しかし今はそれでもいいが、いつかは自立を促さなければならない。十年の婚姻関係を続ければ、コリーンは永久的なファレンテイン市民権を得られるのだ。そうなるまでに、右腕など無くてもやって行けるようになって貰わなければ困る。ロレンツォだって、今は特定の人はいないが、いつかは愛する人と結婚したいのだから。

 コリーンもその頃には、実年齢二十歳を迎えているだろう。仕事だって恋だって、存分に出来る。今から十年後が待ち遠しい。


 コリーンはどんな男を連れて来るんだろうな。

 俺は、世の父親のように『こんな男にコリーンはやれん』などと言うんだろうか。


 それを想像して、やはりロレンツォはくっくと笑っていた。




 休みの日になるとロレンツォは故郷であるノルト村へと戻り、妹ユーファミーアが着なくなった服を貰ってきた。両親を失った子供に提供すると言って。

 もっともこれは嘘ではないが、弟バートランドから自分の服も使ってくれと言われた時、断ってしまったのでおかしいと感づかれているかもしれない。

 ともあれ、コリーンの服は手に入った。ユーファミーアの服は農作業用のものが多いので、トレインチェでは少々ダサいが仕方あるまい。コリーンが年頃になるまでには騎士に昇進して、良い服を買ってあげようと心に決めた。


 次の休みには、お待ちかねの人妻の所に行った。

 ロレンツォは美人と剣を交えることを楽しみにしていた。負ける気なんてさらさらない。かなりの手加減をしてやらなければいけないだろう。しかし勉強ばかりでなく、こんな楽しみもなければやっていけない。

 そんなゆるい気持ちで行ったので、アンナにコテンパンに伸された時には目を丸めた。

 強いなんてものじゃない。段違い。桁違い。いや、次元が違った。今まで出会ったどんな剣士よりも強い。圧倒的だ。それでも手加減をしてもらった感がある。


「アンナ殿、騎士になれば良いのでは? それほどの強さがあれば、戦を勝利に導けるはずだ」


 そう問うと、アンナはこう答えた。


「言ったでしょう。私が剣を持つことを、カールはあまり良く思わないのよ。まぁ逆も同じだけどね。カールは騎士になるためにここに辿り着いたんだけど、私が反対したから教職に就いたのよ」


 二人の過去を知りたいと思わなくはなかったが、あまり良い話は聞けそうにはない。女性につらい過去を聞くのは、ロレンツォの趣味には合わない。

 かくしてロレンツォは二人の過去に触れないまま、アンナに指導を乞うた。最初に思い描いたような甘い展開にはならなかったが、夫不在時の人妻との特訓は、それだけでロレンツォには雀躍する思いだ。

 アンナとの特訓もあり、ロレンツォは更に剣の腕を上げていった。

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