第121話 本当に良かった

 「へぇー、あれが伊桜さんか。私なんてミジンコに見えるんだけど」


 姫奈は隠れる気なんて一切なく言った。


 初詣に行こうと誘ったのは、姫奈からだった。正直、外に行けば隼くんに会うかもしれないという懸念点があったから、乗り気ではなかった。しかし、いつまでも落ち込んでいると、私は私で居られなくなる気がした。


 だから、誘われて1つ間を置いて承諾した。その時、快諾だったなら、私は今見ている光景を初めてだと思えただろう。


 「そんなことないよ。人にはその人の魅力があるんだし、人と人を測ることは間違いなんだよ」


 「なんか、それっぽいこと言ってるけど、負けてることは否定しないんだね」


 「そりゃ、私だってあの顔見た時は、驚きで何も言えなかったからね。誰が良いとかの前に、言葉を失うほどの優麗さは初めてだったし」


 2つの意味が重なることで、言葉を失ったんだけどね。


 今では仲良く手を繋ぎ、楽しそうに笑みを咲かせる2人に、勝算は少しもなかった。元から勝ち目のない試合に、私は乗り遅れて堂々としていたなんて、恥ずかしい。


 「それにしても、完敗だね。私も林間学校の時は、隼くんは佳奈が取るだろうと思ってたし、隼くんの裏に伊桜さんが居るなんて微塵も思ってなかった。だけど、すっかり天と地がひっくり返ったよ」


 勘が鋭い姫奈でも、成績上位の姫奈でも、人の癖を見抜くのが得意な姫奈でも、伊桜さんの擬態には一切気づけなかった。それほど、巧みに隠してきたという才能。才色兼備でしかなかった。


 「そうだね。そうかな?とは思ってたけど、辿り着く前に教えられちゃったし。何よりも、その姿で私の前に現れたってことは、もう余裕で隼くんを、自分のものに出来るって自信があったんだろうし」


 私は何もかもが手遅れだった。それに気づくのがもっと早ければ。いや、好きになった時から、アタックを始めれば、きっとこの未来は見えなかったはず。悔いても悔いても、心の傷は癒えそうにない。


 「どうするの?ここから追い上げる?今ならまだ、伊桜さんと一緒に、隼くんの手を『行かないで』って握れば、可能性はあるよ」


 自分でも、その可能性は雀の涙だと思っているくせに、可能性なんて甘い言葉で誘惑しても、私に振り向くことはないと知っているくせに。姫奈は最低最悪の親友だ。けれど、悲しみを怒りに変えようとしてくれるのは、とても嬉しい。


 「ほら、階段に向かってる。これから帰られたら、もう佳奈に勝ち目はないよ。いいの?」


 1つでも下りれば、その瞬間に私の負けは確定する。姫奈同様、そんな気はしていた。けれど、それは無粋なことでもあった。見たことのない表情で埋め尽くす隼くんを引き出したのは、紛れもない、伊桜さんなのだから。


 ――ねぇ、隼くんって呼んでもいい?


 懐かしい記憶だ。出会って2週間。天方隼に恋心を抱いた日、そして瞬間、私は「隼くん」と呼ぶことを決めた。


 ――好きに呼んでくれ。俺は花染って呼ぶから。


 それまで女の子の友だちしか居なくて、私は名字で呼ばれたことがなかった。佳奈ちゃん、佳奈、これが普通で。だから、名前を呼ばれて嬉しいように、好きな人に誰からも呼ばれない呼ばれ方をされるのは、少し高揚感に浸れた。


 それから蓮くん、悠也くんと、私の名字を呼ぶ男の子は増えたけれど、何故か特別感は消えなかった。きっとそう思いたいだけで、最初に呼ばれたことを特別視していただけ。それほど、隼くんのことを好いていた。


 一緒に帰れば必ず笑って話を弾ませて、困ってる時に限って優しく声をかける。落ち込んだ時はドジをして、涙を流す時は黙って隣に立ってくれた。そんな彼が、私は途轍もなく好きだった。


 興味ある人にしか接さず、なのに誰からも好かれて、一目置かれていた隼くん。私はその中の特別になれても、唯一無二にはなれなかった。


 「いいよ」


 お互いの右足が階段を同時に下りた。横に並ぶお似合いの美男美女が、その想いを確定させた瞬間だと、そう察した。


 「私はずっと隼くんからの特別視を待ってただけの、惰弱で卑怯な女の子。そんな私が今更頑張っても、無意味だよ」


 私は選ばれなかったんじゃない。元から選択肢に存在しなかったのだ。それだけ、恋に対して何もしてこなかった。その報いというやつだ。私には結ばれる資格はないのだと。


 「だから、今度は応援する側になるよ。隼くんは多分、伊桜さんと上手くいく。それを応援することで、私にもきっと……幸せが来ると思うから」


 きっと来てくれる。そう願うために、今日初詣に来たのだ。隼くんに届かなかった腕は、多分私には他の人に出せない。一途に想い続けて、これから同じように想う相手は出てくると思わないから。


 これもまた、今だけの感情なのかもしれないけど。


 これで良い。これで幸せになってくれるなら、私はこれからも学校生活を楽しめる。隣には隼くんが居て、いつでもその笑顔を補給出来るのだから。その幸せを、少し分けてもらうくらいは、してもいいだろうし。


 ホントに、良かった。


 「そう……」


 姫奈は言って頭を撫でた。


 「お疲れ様、佳奈」


 「っ…………」


 言葉は出なかった。ただ親友の不意の優しさに、崩れ落ちる気持ちがあった。そして、耐えられない涙にも。


 隼くんに恋することが出来て良かった。涙を流せて、良かった。

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