第116話 出遅れ

 名前を呼んだのは、彼の姿がそう見えたから。だから確実に隼くんだとは思ってなかった。でも、確実に近い思いは抱いていた。


 ゆっくり振り向くと、私の目を見る。間違いなく、天方隼だった。


 「ん?花染じゃん」


 私が声をかけることを知っていたかのように、驚きすら見せずに振り向いてみせた。私が後ろから付いてきてることを、とっくに気づいていたように。


 「やっぱり隼くんじゃん。どうし――」


 「花染がとうしてここに?」


 聞かれると察したのか、私の声を遮って、先に理由を問われた。こんな隼くんは初めてだ。聞きたいことが山ほどある中で、更に気圧されるように問われたから、私は思わず口ごもった。


 「……あの……悪いことだとは思ったけど……その……隼くんっぽい人が見えて……女の人と一緒だからつい……」


 ストーカーをしてしまったのだと。これは一歩間違えば、大事になることだった。けれど、そうならない相手だと、私は確信に近いものを抱いていたから、恐怖心は薄かった。


 けれど許されることではないと知っている。だから伝えることが怖かった。聞いた隼くんは、変わらず穏やかな表情を見せる。


 「気になって付いてきたってことか」


 「……うん」


 本当に申し訳ない。


 「俺も多分、花染とか蓮が異性と歩いてたら付けるだろうし、注意はしないよ」


 いや嘘だ。興味ないから、見てそれで終わり。若しくは興味あって、でも付けることはしない。それは面倒だから。これは優しさだ。私が罪悪感を少しでも薄めるための。


 これだから優しさは、時に人をダメにする。


 「花染、少し近くの公園で話そうか。何か聞きたいことあるんだろ?」


 「うん。分かった。ありがとう」


 近くの公園。それは今、隼くんと別れた女性の家と、隼くんの家の間にある公園のこと。小さくこじんまりとした、最近では遊ぶ子も見られない過疎化した公園。雪だけが、そこには積もっているだろう。


 「寒くないか?」


 「大丈夫。温かいよ」


 本当は、その余分のあるマフラーを巻いてほしいなんて思うけれど、もうその気持ちが口を動かしてまで言う言葉ではないと、私の脳は判断した。


 隣並んで、私の気持ちなんて知らない隼くんは、距離が近い。普通なら、最低でも拳2つは間があるのに、今は1つしか入らない。横に揺れれば手が触れるような距離感。それがいつメンである、私と隼くんの距離。


 だけれど、さっきの女性よりは間は開いていた。時々肩をぶつけて、仲睦まじい姿を見せ、笑顔を見せて興味を示していた。あんな顔もあんな行動も、何もかも初めて見た。


 そして、あの女性も――初めてだ。


 公園に着くと、やはり閑散としていた。ブランコも滑り台も、鉄棒も砂場も、白一色に染まっていた。


 「華頂か誰かと遊んでた?それとも、家からたまたま見えた?」


 「姫奈と由奈と、3人でモールで遊んでたの。そこで見てから追いかけちゃった」


 「仲良しだな。はいこれ」


 「え?あ、ありがとう」


 いつの間にか、私の中での時間と隼くんとの時間が狂っていたらしい。手に持ったココアを、私に向けて伸ばしていた。


 「ココア、確か好きだったよな?」


 「うん」


 言ったのは、入学式後、私が初めて話した時だった。一目見た時から、カッコよくて、スラッと伸びた足を見て、魅力的な相好から覗かせる笑顔を見てしまうと、これは仲良くなるしかないと思った。その時に、なんて言えばいいか分からなくて、咄嗟に「私はココアが好き。君は?」と聞いた。懐かしい記憶だ。


 なんで覚えててくれたんだろう。


 ベンチに座る私の隣に、雪を払って座る。


 「何から聞く?花染が満足するまで付き合うから、ゆっくりでいいぞ」


 「……やっぱり、さっきの人のことかな」


 少し前、約束をしようとして断られた理由。それが、さっきの女性だと分かってる。けど、私の予想は外れた。伊桜さんじゃなかったから。だったら誰?私の頭はこれだけで埋め尽くされた。


 「さっきの人か。さっきの人は……なんて言えばいいんだろう。秘密を共有している人、かな」


 「秘密を共有?」


 「そう。だから花染にも言えないけど、あの人とは、俺が彼女居るって嘘をついた時から、関わり始めたんだ」


 やはり違和感は間違ってはいなかった。私の感じた、焦りと動悸は、彼女が居るという嘘に対してではなく、彼女が居ると言った雰囲気に対してだ。


 それにしても秘密を共有。これならば聞きたいことも聞けない。全ては、秘密にしてるからと言われて聞き出せない。けれど、1つだけ聞けることはある。


 「そっか。それじゃ、その人のこと、好きなの?」


 聞きたくなかったけど、聞くことはそれしか浮かばなかった。私はもう、余裕がなかった。出遅れていたのは、私だったらしい。


 少しの間、静寂がここら一帯を包む。聞いてはいけなかったと、もう後悔はした。沈黙が何を意味するかなんて、分かりきっていたから。それから開ける瞬間、ギュッと握り拳をつくった。


 「好き、ではないかな」


 それ以上答えるのは無粋だと、そこで途切れる。


 好きではないと言うのに、全く安堵感もない。そりゃそうだ。恋を知らないのだから、そんな人が、言い淀むほどの気持ちを与えられてるということなのだから。


 「それは、まだってこと?」


 「そうだな。多分、この関係を築き続ければ、俺はあの人を好きになる」

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