第114話 好感

 暗い話の後には、明るい話を。その意味を込めて、怜は楽しそうに、これが本題だと思えるほどに、夏の夜空を彷彿とさせる表情だった。


 怜が俺にだけ見せて、他人には隠し続ける偽りなき顔。その根源である好感。そうだ。俺はそれも知りたかった。


 「忘れがちだけど、これも大切だから。これこそ、過去のことを思い出して聞いてね」


 過去のこと……。思い当たる節はないが、一応思い返すとする。


 「その事件が起きてから3ヶ月くらい経過した日に、また土砂降りの日に、私は傘を忘れちゃったの。我ながら珍しくバカだなと思って、借りれないかなって、流石にトラウマは消えてなかったから探した。けど、やっぱりなくて、また1人で帰らないとって、決死の覚悟で走ったの。内心バクバクでね」


 何故か、笑いながら教える過去の話に、先程の暗い雰囲気はなかった。むしろこれを、楽しんでいるかのように。作り話かと思うが、ここに来て嘘をつく人じゃないのは知ってるから、俺は黙って笑顔を眺めて聞いていた。


 「路地裏はダメだから、しっかりと人通りの多いとこを走って帰って、めっちゃ人に見られたけど、恥ずかしさ堪えて走って。流石に疲れたって雨宿りを、とある本屋さんでしてたの。そしたらさ、制服の違う、170cmくらいで同じ歳くらいの男の子が本屋さんから出てきて私に言うの。『こんな土砂降りに、なんで濡れてるの?』って」


 「…………」


 「それに『傘がなくて』って、なんでか正直に答えた私に、その男の子は『なら、傘あげるから、使いなよ』って言うの。優しいなって思ったけど、断って、でもダメだって強く言われて、何回も言い合ったら、『じゃ、一緒に入って帰ろう』って言われた。そして、渋々入れてもらって帰ったんだけど、同じ方向じゃなくなった時、その男の子は私に傘を無理矢理渡して走って帰っちゃった」


 淡々と、含みのある喋り方で時々肩を頭で叩いて、思い出したかを確認してくる。そんなことされなくても、本屋の部分で分かっていたのに。


 「……それ……」


 「そう。胸のタグに【天方】って書いてある、今私の隣りにいる人と同じ名字だったの」


 「だよな」


 俺の迷子のトラウマから、人に付き添って帰るという性格が出来上がった後の、多く居る一緒に帰った生徒。その1人というわけか。確かに、思い出した。眼鏡は掛けてなかったけれど、前髪で目を隠して、肩にタオルを巻いていた少女と帰った記憶がある。


 「だから私は、その時天方って人にだけ、唯一の好感があったの。言い方からしていつも通りっぽかったし、私を見て可愛いと思った素振りもなかったから、当たり前なんだと思ってさ。そして、顔も同じで、身長は少し伸びた様子の天方って人が、同じ高校の同じクラスに居るじゃん?もう奇跡だと何回も思ったよ」


 もう怜に過去のトラウマは払拭されているのだと感じた。過去のトラウマが出来た経緯を話している時と今は、天と地ほどの差が生まれており、出会えたことを話すのが、何よりも楽しいかのように笑う。


 「夏休み入る前に、図書室で話しかけられて、すっごい驚いたから、つい冷たく当たったけど、それでも隼は受け止めてくれた。だから私は、隼となら別にいいかなって思ったの」


 「奇跡すぎるだろ」


 「運命かもね。そうだったら、奇跡じゃなくて、必然的だけど」


 もうそうなるように、人生が構築されていたように思える。


 「それでさ、続きだけど、隼の家に日傘を忘れた時あったでしょ?その日より前の、家で遊んだ日、こっそり貰った傘を返しててさ、それに気づくかなって思って、わざと日傘を忘れたけど、結局気づかなくて。少し残念だったよ」


 「マジで?言えば良かったのに」


 「あの時はまだ、偽る理由を言うとは思ってなかったから、言って忘れられてるかもって思うと、トラウマが蘇りそうで、少し抵抗があったの。だから、秘密にしてた」


 傘は何本も置いてある。そういう性格だったから、いつもビニールの傘が立てられていた。5本の数なんて、そんなの覚えてないし、返されたことも分からなかった。


 「今はもう、偽る理由を言っても、守ってくれそうな存在だから、言っちゃった。これは責任取るしかないよね?」


 顔が覗かれる。答えを教えてと、懇願されてるように。


 「……それは……まぁ……」


 口ごもる。好き、なのかは……まだはっきりとはしてないから。でも。


 「時間の問題かもな」


 「ふふっ。何それ。まぁ、いいけど。私は私で、もう言いたいことはないし、これからは、私なりに好きなように生きていくことも出来るようになった。縛るものはなくなったってことだね」


 人のトラウマは、簡単に除けない。けれど、除かれれば、見える世界は変わる。そう。今の怜のように、何かに価値を見出した姿は、未来の俺を見ているように感じる。


 「隼。聞いてくれてありがとう。私は隼のおかげで、今の私で居られるの。何にも代えられない、大切な存在。私に幸せをくれた、親友。今よりも落ち着いたら、もっと大きなことを伝えるよ」


 出会った時は、こんなにも明るくはなかった。冷たくて、背筋を伸ばした優等生キャラで、ドグラ・マグラなんか読む奇才。そんなイメージは今は何処に行ったんだろう。そう気になり、それは見失ったけど、また新たな場所を見つけた気がする。


 ――大きなことを伝えるよ。


 俺も、きっと伝えるのだろう。


 「俺からも、教えてくれてありがとう」


 「うん!」


 その返事を、もう1度聞くには、やはり知るしかないんだろう。


 「よし、少し見回ってから、帰ろうか。解放された気分に、少し酔いたいし」


 「そうだな」


 ほんの少し、気づいたと思う。

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