第113話 過去

 暗くないのではなく、暗くならないようにという意味だろう。気遣って、落ち着いてゆっくり、話を理解して聞いて、過去のことだから思い詰めないでと。


 「分かった」


 もちろん頷くだけ。聞かせてもらえることだけでもありがたいのだから、我儘も止めもしない。


 「ありがと。私の過去って言っても、そう大層な話でもないけど」


 座る俺に対して、真横に身を寄せてくる怜。堂々と見える額の傷。それがいつのものかを、俺は知れる気がしていた。


 「中学生の頃、私はこの性格だったの。偽りなくて、友達もまぁ、そこそこ居て。騒ぐし、先生に注意されるし、部活は運動部だし、で、順風満帆な生活を送ってた。そんなある日に、大雨予報があったの。記録的な、とはいかないけど、中々土砂降りの。その時に傘を忘れちゃってさ、両親は仕事だし、姉さんは高校から傘差して帰るだろうから、誰も呼べなくて」


 「友達は?」


 「先に帰っちゃったの。だから土砂降りの中、1人で帰ることになって、私は走って帰ってた。雨に濡れて、少し離れた家までね。でもさ、やっぱり荷物持って走ったら、いくら私でも疲れるでしょ?だから途中歩いたの。それも人混みも少なくて、家までの近道を歩いてる時に」


 嫌な予感がしたのはこの時だった。その話の流れと、額の傷について、全てが合致するような気がした。当事者でもなく、その現場を見てるわけでもない。でも俺は、似たような過去を持つから、どうも落ち着かなかった。そんな俺を見ず知らず、怜は続ける。


 「察してくると思うけど、土砂降りで女の子1人が、人気のないとこを歩いてると、やっぱり家出と勘違いされるんだろうね。路地裏に入った時に後ろから片腕を掴まれたの。ギュッと結構強く。一瞬で血の気が引いたよ。これ、絶対ヤバいって」


 明るく、今は楽しそうに話していても、声はそうじゃない。思い出しながら、具体的に説明することが、どれだけ鮮明に覚えているのかを俺に伝えた。


 嫌なことは色濃く覚えるのが人間。トラウマとして植え付けるのも、その一種だ。つらいだろうに、決めたことは実行する怜だから、今の気持ちに偽ってでも言う。


 「振り返ったら、男の人が息を荒く私を見てて、死んだとも思ったよ。誘拐されるのかなって思って、それから私は必死に抵抗したの。声も聞こえないくらいにね。そしたら、男の人からカチャンって、金属音が鳴って、私の耳に全部聞こえてきた。『可愛い、可愛い』ってただ連呼して、ナイフを持つ男の人の声が」


 「…………」


 無心には聞けない。けど、無心に近かった。あまりの衝撃に、俺は相槌も忘れて、その状況を思い浮かべながら聞いていたから、それがどれだけハードなことで酷な地獄なのか、曖昧にでも分かった。


 「これに抵抗したらヤバいって思ったけど、連れ去られる方がヤバいってすぐに切り替わって、私は咄嗟に男の人の腹部に蹴りを入れたの。そしたら、ナイフがここに飛んできて、同時に手が離れたからもう無我夢中で走って逃げた。その時アドレナリンドバドバだから、気づかなかったけど、ここ、結構深かったらしくて、残っちゃったの」


 額を指差して、髪の生え際から眉まで一直線の傷が、その時のだと物語る。思えば、ハサミやカッターよりも分厚いから、並大抵とは思ってなかったけど、まさかナイフとは。


 「それで、家に戻ってから、落ち着くと、私は自分の顔を見ると、あの声で可愛いって言われて、思い出すようになったの。その日から、私は自分のことを偽るようになった。学校にいる時はいつも通りでも、登下校やプライベートは、友達と一緒に居ることはなくなったし、鏡を見ることも止めた。まぁ、これが私の大まかな偽りの理由かな」


 最後まで明るく偽りながら語り終えた怜。最初あった違和感も、今は消えて、言えたことをスッキリと思ったのか、笑顔も朗らかになりつつあった。


 「結構驚くでしょ?私も驚いたし」


 「……うん。その、男の人は捕まったのか?」


 「翌日のニュースに出てきたよ。その後、ナイフ持ってコンビニ入ったらしくて、警察呼ばれて逮捕だって。精神疾患患ってて、暴れたらしい。だから、その人と会う恐怖はそんなにかな」


 「家族は?」


 「家族には内緒にしてるよ。当時、あまりの恐怖に口に出すのも無理だったからね。土砂降りに当てられて、丁度風邪も引いたから、体調悪くて震えてたってことになってると思う」


 「そうか……」


 「分かるよ。私も多分、隼の立場なら今頃何を言おうとか、大丈夫だったのかって心配と、相手への憤りで混乱すると思うし。でも、それはもう過去のこと。今は私の側で笑ってくれたら、それが1番いいことだよ?」


 同じだから、似た者同士だから、相性抜群だから、俺の思うことは知ってるよ、と。大正解だった。その男の人に対しての憤りを始めとした、怜へ何と言えば良いのか混乱する俺。逆に落ち着かせられるとか、情けなくて悔しい。


 「そうだな」


 寄り添うことの大切さ。それを俺は知らなかった。自分なんて、ただ迷子になった程度のトラウマしかないから、知る由もなかった。だからこんな時の声かけも知らなかった。


 けどそれを教えてくれたのは、怜だった。今、既に密着した肩は、明らかに林間学校の帰りのバスより意味を成している。近づく足音が聞こえる。物理的じゃなくて、恋愛的に。


 同情から?多分それも影響してる。けど、寄り添うことで、というのが正解だろう。


 好きはもう、そこだろうか。


 ここからおっとりとした雰囲気が漂う。と、思われたが、それを嫌った怜は、肩に載せた頭を、俺の頬にぶつけて言う。


 「それじゃ次は、私が天方隼に好感を持った理由を話そうかな」

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