第104話 名前
いつの間にか見続けてしまった天方の顔。確かに言われて気づいた。目を合わせず、逸したままの天方を、私はずっと見ていた。綺麗な縁取りをされた輪郭に、私よりもキリッとした目。長いまつ毛に、眠気を催す声音。どれもこれも惹かれてしまっていたから。
「ごめんごめん。暇だったからつい」
「暇を潰せる顔してないけどな」
「カッコいい顔ではある。それだけでも見るには十分な理由じゃない?」
「これをカッコいいと言うなら、蓮と千秋の方がいいぞ?」
分からないのも無理はない。これを謙遜と思わないのも、何ヶ月前からだろう。宝生くんに続いて人気のある天方は、千秋くんとは比にならないほどモテる。
しかし実際は、他校を含めて宝生くんがモテるだけで、うちの学校だけで言うならば、天方がぎりぎり勝っていると噂されている。でも告白されないのは、観賞用として、誰も手を出さない同盟があるかららしい。それに最近では、花染さんのことも広まっていて、完全な抑止力として誰も話しかけることすらしないらしい。
何よりも、天方は人に興味を持たない。だから、玉砕100%の相手に、挑む人は居ない。
……思い出すとなんかムカついてきた。私の天方の魅力に気づいてもないくせに、カッコいいって理由だけで視線送るのも、結構ムカついてきた。考えるのやーめた。
「人それぞれだからね。私は天方と一緒にいる時間が長いから、良いと思うんだよ」
「それはありがたい話だな」
「天方はどう?私の容姿は」
「クールビューティだな」
「そうじゃなくて、好みかどうか」
「それ何回目だよ。好みから何も変わってない」
それを聞きたかっただけ。絶対だと分かっていても、やはり本人の口から言われるのは心に響いて嬉しい。花染さんたちがここに居たら、きっと言わなかっただろうけど、それでも良い。いつか、クラスメートの前で、堂々と言ってもらえる関係になれれば、もっと良い。
「知ってる」
「なら聞くな」
「いつか私の気持ちが分かるようになる時が来るよ。その時にも、まだ聞くなって言えるかな?」
「……さぁな」
好きを知れば、相手から容姿を褒められるのが嬉しいと感じるようになる。それは女子だからとかじゃなく、男子でも共通だと思っている。気持ちなんて一切分かんないけど、天方のことは分かる。
「はぁぁ。いい加減、ここに座るのも疲れたから移動する」
ソファを支えに、腰を痛めたおじさんのようにゆっくり起き上がる。
「どこに?」
「さっきの椅子」
「ソファ空けるよ?」
「伊桜が寝てる姿を見るのが好きだから、あっちでいい」
っと、これまた私に葛藤を覚えさせる。天方の好きな私で居たいし、隣に座って不意に抱きしめたりしたい。親友だからと嘘をついて、偶然を装って。
「ソファの方が座り心地いいでしょ?空けるから座りなよ」
「でも伊桜を――」
「ダメ。座って」
「……俺、今日誕生日で祝われる側だし、ここ俺の家。それで尻に敷かれた状態なのは解せないんだけど……」
「良いの。誕生日くらい私のお願い聞いてよ」
「だから俺の誕生日な?普通逆じゃね?」
「私たちの関係に一般常識は通用しないでしょ」
「……分かったから、睨むの止めてくれ」
「はーい」
結局私の我儘は、近くに好きな人を置くことだった。見られるのは嬉しいけど、近くにいる方が、私は嬉しいし、好きになってもらえる機会は増える。
天方のように鈍感で、色恋を知らない人には、攻める作戦が大きく今後を左右する。私に出来ると思わないけど、増えた花染さんたちの介入に勝つためには、ここで密かに距離を縮める必要がある。
「伊桜ー、何か飲む?」
キッチンへ向かった天方は、キッチンに居るのに居なかった。正確には、ソファからは見えなかった。
「どこに居るの?」
「冷蔵庫」
――多分過去1番だった。甘い言葉を言われた時よりも、好きだと自覚した時よりも、私の心臓は高く跳ねた。理由なんて、他に比べて小さいけれど、私にとっては心底嬉しい勘違いだった。
私の名前は怜であり、冷蔵庫の冷に、一瞬私の名前を呼ばれたのかと勘違いしたのだ。バクッ!と冷や汗も出るほど驚いた心臓は、それだけ喜びを表していた。
「冷蔵庫から中継でーす。伊桜さーん、何飲みますか?」
「……何があるの?」
「何でも」
「なら、天方のオススメで」
「了解。水道水で」
「いらないよ」
「我儘だな。仕方ないからフルーツジュースで」
「ありがとう」
なんとない、どうでもいい会話。これが私を癒やして落ち着かせてくれる。他愛ないからこそ、気楽で居られる。
それにしてもやはり、私は名前を呼ばれたことで、名前を呼ばれたいと思うようになった。これまで会ってからずっと伊桜と呼ばれている。もしここで、名前を呼んでくれるようになるなら、少し花染さんたちを追い越せる。
花染、華頂、青泉、と、宝生くん以外を名字で呼ぶということは、仲のいい人だけしか名前を呼ばないということ。ちょっとした格付けだけど、女でずる賢い私は、このチャンスを逃さない。
コップを持って、ソファへやってくる天方。私も隼と呼べば、距離近づいた気がして、今後もウキウキで関われるだろう。私はもう、天方に近づくなら止まらない。
勘違い本当にナイス!
「はい。フルーツジュースの水道水割り」
「……ホントに?」
「なわけ。勿体ないことしない人なので」
「そうだね。ありがと」
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