第100話 触れたら
向かうのは伊桜からギリギリ離れた、ソファの端に置かれている、伊桜のではない真っ黒の俺のクッション。細長く、俺の身長ほどのそれを持つために、気配なんて消さずに近寄った。
それに気づいても、伊桜は視点操作を1度するだけで、それ以降は無反応。でも良かった。どうであれ、どうせ構わないといけなくなるから。
そして堂々とそれを掴んで、伊桜の頭側に立った。テーブル側に向けて寝転び、テレビ側へ横になってスマホを見ている伊桜。何をされるのかと、気になったのか俺を見た。その瞬間だった。
振り上げたクッションは、重力に逆らうことなく、一直線に伊桜の顔に向かって落ちた。トスっと柔らかい音。クリーンヒットしたため、おそらくクッションで出せるだけの最大の痛みも一緒だったはず。といっても、低反発なので痛くないだろうが。
「ツンデレさん。構われた感想はどうだ?」
いじわるに聞いた。
「…………」
しかし返事はなく、未だ顔が隠れるほど載っているクッションを退かす気配もなかった。だから俺は欲に駆られた。ペチペチと、反応するまでテンポよく顔をクッションで叩き、嫌がらせをしたくなったのだ。
もうスマホを見る余裕もなく、無言の時間が続くだけ。顔にクッションが当たって15秒しても動かなかった。と、その時。ガシッとクッションが掴まれた。それをスライドされて、顔が見えるようになる。
「ウザい」
「やっと起きた?せっかく家に来たんだから、スマホばっかり見るなよ」
「スマホの方が楽しいから」
「俺は違うから、これ続けていいか?」
結構楽しい。怒られないと知っているから続けたが、やはり伊桜を拗ねさせるのは大好きだ。
「……なんで今になって?」
「拗ねた伊桜に興味が湧いたから」
「拗ねないと興味ないの?」
「面倒な女かよ。拗ねなくても興味ある。けど、特に興味湧くのが今ってだけだ」
日々強化されるメンヘラな伊桜。親友メンヘラとでも言おうか。
実際、今の俺は高揚感に駆られている。伊桜の、拗ねて目を合わせない姿は、クールな容姿、雰囲気と相まって可愛いギャップとなっている。それを見てると、どんどんいじりたくなるのだ。
「……あっそ。でも、私はスマホが良いから」
頬を赤くしても、隠し通せてると思っているのか、只今恋愛について勉強し、成長中の俺にはツンデレのツンが出てるのは分かる。だからもっと近づこうと、両手を伸ばして頬に添えた。
「ダメだ」
触れると伝わる頬の柔らかな感触。両手を頬の上でゆっくりと回している。プニプニとしたそれは、触れてるだけで癒やされて、今の俺には結構なダメージだった。
伊桜はというと、予想通り、目を開いて驚きながらも無言。固まるほど予想外のことをしていることは、自分でも知っている。ただ、恋してみたいから、嫌じゃない範囲で行動しているだけ。それでも、俺が頬に触れることは驚くことだろうが。
「スマホ触るなら、これされながら触ってくれ」
「……いや……それならスマホ止めないけど?」
「嫌じゃないってことか。ならスマホを取り上げる」
思いの外喜ばれたので、警戒の薄い今、スマホを素早く取り上げる。
「これで時間潰しは俺しか出来なくなったな。ドMで構ってちゃん、そしてツンデレな伊桜さん」
「まぁ……機嫌良くなったから良いけど」
「ちょろっ。よくあれだけ拗ねてて、一瞬にして機嫌良くなるな。そんなに触れられることは嬉しいのか?」
「天方に触れられるのはレアだからね。それにほっぺとか、激レアでしょ。嬉しいに決まってる」
「言われると恥ずかしいな」
頬に触れてて、何故か俺も満足だった。普段から変顔をしないクールな美少女が、頬を触られて人形のように扱われる。それを見るだけで癒やされるというか、心が温まるというか、とにかく形容し難い気持ちに駆られた。
こんな単純な気持ちが好きとは、まだ断定出来ない。これから続けていくべきだろう。
「もう触れることに抵抗はないの?」
「それは伊桜にってこと?」
「色んな人に」
「それなら抵抗はある。触れてもメリットは一切ないから、抵抗しかないな」
付き合うか結婚かしない限り、俺が人に触れるのは許可された人と時だけだ。そうじゃないと、勝手に触れたりするのは最悪、犯罪へと繋がる問題行動になる可能性があるのだから、俺は絶対に触れない。
「けど、伊桜には抵抗はない。とある事情からな」
「私だけ?」
「そうだな」
即答だ。「色んな人」から「私だけ」に質問が変わったのも、親友メンヘラのようで、これも唯一無二の伊桜感として微笑ましく思う。
「そう。やっと私が1人抜けたってことね。とある事情を聞きたいけど、気分良いから聞かないよ」
「助かる」
好きになりたいから、なんて言えるわけもなく。伊桜は調子良くなったのか、質問が止まらない。すぐそこにある顔が、幸せそうな表情をする。
「触れられるのは嫌?」
「どうだろう。触れられた経験が乏しいから何とも言えない」
そう言えば、瞬きをした瞬間に俺の頬に手が置かれていた。伝わる細くて少し温かな指の熱。手のひらも触れていて、その先を辿ると笑顔で見つめる伊桜が居る。
「これならどう?分かる?」
それはもう。
「全然嫌じゃないな」
結構な幸せだった。きっと今の俺の笑顔は、過去で1番、心からの笑顔だったはずだ。
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