第90話 また次の機会に
「怜って伊桜にめちゃくちゃ似合ってるよな。珍しくてカッコいい。賢さもしっかりあるんだから」
手のひらに書かれた伊桜の名前。怜。女子の名前にしては少なく、この名前に従って生きてきたかのような性格。何を取ろうと、完璧な美少女なのは流石の一言だ。
「ありがと。これでお互いおまじない持ったね」
「おばけにも有効なら良いんだけど。嫉妬されて逆に遊ばれそう」
「そうなったら、私も遊ばれてるってことだから、さっきから聞こえてくる悲鳴に加わることになる」
何度も何度も、特に女子の声が響き渡る。事件性のある悲鳴でも、ここに残る人たちは笑ってるだけ。花染と華頂は一緒に居ることが多いから分かりやすかった。なんなら華頂は笑い声がよく聞こえたくらいだ。
頑張れ二色。
「伊桜の悲鳴とか聞いたことないから、背中追いながら待ってるぞ」
「多分聞けないよ。私って驚いたら声出ない人だから」
「イメージ通りで面白みがない」
「仕方ないでしょ。それが私。嫌なら思い出作りしないよ」
「分かったって言っても拗ねられるツンデレだし、どう答えても続くんだからなんて答えようかな」
「心の声漏れてるぞアホ」
「それは悪かったなアホ」
は?と離れた身長差から見上げられる。首を振り向かせる速さが途轍もなかったから、髪が靡く。その時に見えた、額の傷。少し気になって――やはり考えるのは止めた。
「言われて嫌なことは言うもんじゃない」
「本当のことを言ったまで。私はアホじゃないから怒る権利はある」
「そうですかー」
十分アホなとこはある。だが火に油を注ぐと今度は殴られるので止めておく。
「そうそう。これから青泉さんと肝試しでしょ?お願いを聞いてくれる?」
鋭かった目も、穏やかにキリッと大きく開かれる。
「なんでも」
「青泉さんが手を繋ごうとするまで、怖くても青泉さんには触れないで」
「了解。怖くなったら木の枝掴むわ」
「あれ?思ったよりあっさり承諾したね。理由聞かないの?」
「聞いても分からないからな。それに、悪いことじゃないだろうし」
「うん。私からの我儘だからね。でも、悪いことはしてるかな。私が、だけど」
「へぇ。伊桜も暴れ始めたんだな」
「ふふっ。誰のせいだろうね」
不意に笑うから、伊桜はズルいんだ。何がそんなに嬉しくて、機嫌も良くなるのか、いい加減この付き合いなのだから分かりたい。鈍感と言われても、本人にはその自覚がないのだからどうするかの解決策もない。実は悩み抱える鈍感ボーイである。
「不意のダメージ大きい」
「今から笑いますって言って笑おうか?」
「はい、アホ」
「はぁ?冗談言ってアホ扱いされるの癪に障るんですけど」
右手に注目すると、「はぁ?」のすぐ前に、ピクッと動いたのが見えた。多分勢いで殴ろうとしたのだろうが、回避出来て良かったと、推測の中で安心する。
「冗談とは思えなかった。ごめん、いつもアホの伊桜だからそれに慣れたら分かんないんだ」
「今日はとことんウザいね」
「伊桜と話してるからだな。特別ってやつ。どう?嬉しいだろー」
「うん。嬉しいよ」
優しく、そう思ってるんだと察してもらうことに重きを置いたような声音だった。
「……うわっ」
「はい、カウンター決まった。私の勝ち。ドキドキしたでしょ?チョロくて助かる」
「いや、カウンター決まっても、本当の気持ちを受け取れたなら負けじゃない」
「じゃ、引き分けね」
本当の気持ちを否定しないのは、素直な証拠。恥じらいもなくよく思いを表現出来るのだと、尊敬の念を抱く。俺なら言葉に詰まりまくるのに。
「負けず嫌いも引き分けを認める日があるんだな」
「特別な日だけだよ」
何かを含んだニヤケ顔。正直この顔が1番ウザい。可愛いし、不意でハッとするし、俺の頭の中を混乱させるし。どうしてこうも俺の急所を突いてくるのだろうと、疑問に思う他ない。
「左様ですか」
いつの間にか、人から見られても話すようになった間柄。仲を深め始め、注目を浴びるようになったのも前進と捉えよう。これで、伊桜と話すことに違和感を持つ人は少なくなるだろう。それも、花染華頂青泉と、なななトリオがその関係に文句を言わないので、必然的にクラスメートに違和感は生まれない。
なんとかここまで来れたな。
周りを見渡して、俺らを不思議に思う人がいないことを確認すると、ホッと安堵する。
「次ー!伊桜さんと熊埜御堂さん準備よろしくー!天方くんも最後だからこっち来ていいよ!」
「だーってよ。今日はここまでだな」
「寂しくて泣きそう」
「笑顔で言うな」
青泉の死角。俺の体の前に隠れて満面の笑みで泣きそうになってる。らしい。
「結構話せたから、私に不満はないよ。林間学校も終わりに近づいてるし」
「そうだな。俺も不足してることはない」
飯盒炊爨にここでの会話。結構記憶に残せただろう。
「それじゃ、私は熊埜御堂さんのとこに行くよ。あっちでね」
「了解」
言って伊桜は熊埜御堂のとこへ走って向かう。走り方に陰キャ感がないのが笑えたが、せっせと走るという珍しい姿を見れたことが俺の笑顔を作った。
そんな伊桜を見終わると、俺もゆっくりと青泉のとこへ向かう。近づけば近づくほど、暗闇の中に入るのだと、恐怖に駆られるのを感じる。青泉が隣で脅かすとかしなければ、多分意識を保ってゴールは出来るだろうが。
頼んだ、青泉。
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