第63話 綱引きへ
体育祭も競技2つしか出ない私は、障害物競走を終えて、もう折り返しを始めた。体育祭自体は、まだ始まったばかりで、10時半を回るまだ盛り上がりの冷めない時間帯だった。
退場門を潜り抜け、私たちの団テントへ戻るのだが、その時もずっと脳裏に彼が居る。誰なんてそれは1人だけだ。天方隼。私が応援したからって応援し返してくれるとは、思っていたけど、言われてみれば嬉しかった。
だからずっと消えない。だんだん好きになってるから、というわけでは断じてない。実際、会ったくらいで嬉しくなったりときめくことはないから。だったら何故そんな脳裏から居なくならないのか。それは簡単なことだ。今まで誰からも応援されずに、ずっと1人で会場を右往左往していただけの私には、応援されることが心底嬉しかっただけ。
構ってもらいたかったのだ。厳密に言えば、仲のいい友人と、一緒に楽しみたかった。それを察してほしかった。その気持ちが強かったから、応援してくれたことが、予測しても嬉しかった。
もちろん後ろから私が声を掛けた時は、何をしてるかなんて曖昧だった。冗談の意味を込めて「別にいいのに」なんて言い出したけど、まさか本当に応援とは。
振り返られたらきっと「嬉しそうだな」なんて言われてたほどに口角は緩んでた。それを見られなくて良かったと思うと同時に、顔を見て応援してほしかったとも思った。葛藤だけど、まぁ、これは見られなかったことを良しとしたため、後悔はない。
テントは遠くなのに、考え事をしているとすぐ目の前だった。青色の団テント。その下に刻まれた1年の文字。そこに向かってゆっくり歩いて行く。真っ先に目に入るのが天方なのも、悔しいけど納得する。
そんなテントの下。全員が見える距離まで来ると、何やら騒がしくなっているのを感じた。間違いなくザワザワしている。と、そこで千秋くんの声が聞こえた。
「誰が
その声の先を見ると、足首を掴んで氷嚢で冷やす皇くんの姿が見える。ということは、怪我で出られなくなったのだと瞬時に理解した。痛そうに顔を顰める姿は、同情してしまう。
そして、私は思った。いや、感じたから思った。私が出る綱引きに、男子は誰でも出ていい。この2つの重要ワードを聞き逃さない、唯一の男が手を挙げるのだと。彼はテントの足組に背を掛けて、私のすぐ近くに座っていた。ここに来ることを予測していたかのようだ。もう手も挙げていた。
「誰でもいいなら、別に3種目出てても、綱引きには出られるんだろ?」
天方隼だった。
「天方か。別になんの問題もない。欠員の穴を埋めるのは、原則3種目出る生徒以外とは決まってないしな」
「なら誰もいないなら出るけど」
「マイナーだからな。誰もいないみたいだから、天方でいいだろ。運営に話し通して来るわ」
「助かる」
千秋くんは駆け出し、天方はこちらを一瞬見て笑う。綱引きなんて団の男女学年様々だというのに、何故選んだのか本当に分からない。そんなランダムの中で、私と近づけるとかそんなことを考えるほどアホじゃないから、ただの優しさと思いたいけど、ニコッとする以上はあり得ない。
運命とかいう可能性に懸けたかな。相変わらずで何よりだけど。
午前の部、最後から3番目の競技が綱引き。後1時間後くらいなので、時間はまだたくさんある。けどすることはない。天方の男子リレーとクラスリレーは午後の部だから、これからは天方も暇になる。
だからここに残っていつメンと会話するだろう天方とは、話すことは出来ない。人目につく場所ばかりのため、今日は綱引きで近くにならないと会話は難しい。近くでも周りに人は大勢だから難しいことに変わりはないけれど。
今日は応援してされて、それだけでも嬉しさは十分だったからこれ以上なくてもいい。そんな気持ちを胸に、正直な私はテントで1人寂しく応援することにした。
――既に招集に呼ばれて綱引きに参加する生徒は集められ、多くの人で溢れた入場門。そこでも私は1人だ。不快な気持ちは全く無い。だって同じ人が少し離れたとこに居るから。
天方はいつメン以外にはおとなしい。だから、今は私の前に並んでいるだけで、動くこともなく片膝曲げて座っていた。無言で、どこに視線を向けることもない。同類を見つけたことでニヤニヤしたいが、目立ちたくもない。だから静かに始まるのを待った。
アナウンスが始まる。綱引きへの意気込みを込めた各団のコメントを読み上げられるのを耳に、私たちは定位置へ向かう。運命は万能ではなかったようで、私と天方は残念ながら近くになることはなかった。
天方はどう思ってるか分からない。けど、悔しさに押し潰されているのなら顔を拝みたいものだ。陰ながら女子から人気のそのご尊顔を。
並び終えると私たちの団はまだ出番ではないため座らせられる。私の前で引くことになる天方。一生懸命な姿を後ろから眺めれるのは楽しみだ。
そんな私なんて関係なく、隣で始まる綱引き。拮抗する力の勝負は綱引きの醍醐味だ。緩急つけて引っ張る人も、体重を後ろにかけてるが、滑ってそれどころじゃない人。様々な引き方があって、個性的で、勝敗よりもマニアックな引き方をした方が勝ちなのかと思うほどに、形に熱血だった。
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