第62話 それでも気づかない

 我慢することを覚えなければ、この我儘な性格をいつまでも顕にしていては、いつか伊桜に本気で嫌われる可能性がある。自重することを覚えるべきだろう。


 ふぅーっと反省のため息を1つ。そして視線を向けるは静かに背筋を伸ばして座る伊桜。今時、一切猫背にならずに座る人は珍しいのだと、改めてその姿勢の良さに尊敬の念を抱く。


 斜め後ろのせいで授業中は覗けないが、図書室で見る姿勢は、初めて見た時を思い出すと驚きの連続だった。懐かしい。


 そんな伊桜も、実は運動能力も並の領域を抜け出している。それを証明しようとここでは走らないだろうが、見たい気持ちはある。誰もが驚いて、それを知ってる風に堂々と立つ。やってみたい。が、葛藤だ。知るのは俺だけが良いのだと、我儘な部分が邪魔をする。


 まぁ、これは全部伊桜の自由だ。俺が何をしようと伊桜の意思を変えることは出来ないのだから。


 「障害物競走って女子も同じなの?」


 「そうだよ。網潜って平均台乗って、跳び箱越えてぐるぐるバットして、最後に麻袋に入ってジャンプしながらゴール。学校も鬼だよね。三半規管いじめて麻袋って」


 ハードなのは確かだ。俺なら断固拒否する。ここらで眼鏡外れるなんてアクシデントが起きたら面白いのだろうが、常に万全で非の打ち所がない伊桜には、俺の願いは届かない。


 「これなら華頂と花染が行けば面白かったのにな。キャーキャー騒いで女の子っぽく振る舞って、男子からポイント集めれたろ」


 いつの間にか後ろまで来ていた、全身砂まみれの人気者。テントの外でパタパタと叩きながらも、癪に障るようなことを平然と言う。普通なら殴られてもおかしくないが、この仲で優しい2人だからこそそれはない。


 生かされてるみたいだな。


 「私はそんなポイントなんていりませーん」


 「私は限界だから」


 「羨ましいな」


 「千秋、お前が言うとウザいな」


 女子からのポイントも高いスクールカーストのトップが、誰かを人間関係で羨むなんて、そんな妬ましいことがあってたまるか。


 「けが人にそんなこと言うなよ。丁重に扱ってくれ」


 「嫌だね。自業自得だろ」


 調子が良ければそれだけノる男だからこそ、千秋悠也という人間はああいう場でミスをする。コケて少し擦りむく程度で済んだことを良く思って改心してもらいたいものだ。


 体の砂をある程度落とし終えると俺らに混ざる千秋。そして2組目が終了した今、伊桜は無表情のまま白線の後ろに立っていた。


 パンッ!と始まる3組目の障害物競走。ゆっくり駆け足で置かれた網を、その細く白い小さな体を匍匐前進させて進む。絡まることはなく、他に必死で前へ進もうとする選手よりも圧倒的に速い。落ち着きがあるというか、絡みを操作しているよう。


 そのまま1番で抜け出すと平均台へと進む。その知る人ぞ知るどこで鍛えたのか不明瞭な揺れない体幹を軸に、ササッと乗り終える。ペースを比べれば、足の回転なんてそこそこ。でも1位を走るのは、運ではなく、変わらないペースで臨機応変に対応をしているからだろう。


 本当は跳び箱の6段なんて余裕で越えれるだろうに、わざと1度お尻をついてから、引きずるように攻略する。両手も軽く降るだけで、力なんて全くこもっていない。か弱い見た目に倣ったかのような力は、心の底から笑い出しそうなほどおかしい。


 ぐるぐるバットへと進み、本当に一切変わらないペースで10回回る。この時点で同じ障害物へ辿り着いた人は2人。まだ始めたばかりの赤子だ。これは勝ちが見えたか。


 「伊桜さん速いね」


 「こりゃ1位だな」


 「悠也くんのせいで伊桜さんがコケちゃうじゃん」


 「姫奈、それハマってるの?」


 「少し」


 誰が相手でも、フラグを許さないかのような冗談の指摘は、ここでも炸裂する。フラグを忌み嫌うような、何かしら特別な感情がないのが意味不明行動に拍車をかける。


 でも俺にはそれよりも気にすることがあった。伊桜に注目したことだ。これまでも同じクラスの応援には、名を出して注目していたのだが……。


 「何となくだけどさ、伊桜さんて可愛げあるよね。顔ちっちゃくておとなしくて」


 花染の意外な発言に、いつメンの最後尾で応援する俺はビクッとなった。気づかれはしないが、それを俺に問いかけてたなら狼狽は避けられなかっただろう。


 「関わったことあるのか?」


 俺の聞きたかったことを千秋が先に問う。こういう時、ナイスな働きをしてくれるため、友人として重宝する。


 「ううん。全くないよ」


 「見た目で判断したってことか」


 「まぁ、1人が好きですオーラを感じるからそう簡単には近づけないけどね」


 「確かに」


 共感したタイミングで、麻袋を軽々と扱う伊桜は1位でゴールした。見たかった欲よりも、ヒヤヒヤとしたこの気持ちを落ち着かせるのに必死だった。


 「ナイス1位ー」


 「跳ね方も可愛かったね」


 華頂が可愛い言うほどならば、結構見たかった。でも、1つ俺は考え事に引っ張られた。伊桜を可愛いと言ったことだ。やはりあの見た目では、陰キャとして可愛い方向へ見られてしまうのだと。


 でも本当は、前髪を上げて、眼鏡を外してみると、クールビューティーな女性へと変わるのに。それを予想すら出来ないこの見た目なら、と、今少しホッとした自分がいた。

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